182 知識の共有
グドンが望んだのは知識の共有、移行だった。
ボウはドミアールの企みでたまたま病を見分ける術を身につけた。問題は、それを実際に治療する方法を知らないことだ。それなら、治療法に関する知識を彼女に与えれば、問題は解決するのではないか? グドンはそう考えたのだ。
知識だけに限っていうなら、治療に関するものも、グドンはいくらでも持っていた。必要なら、脳内にどんどん湧いてくる。それは彼の能力の一つだった。
知識の共有のため、グドンはボウとの魂の繋がりを利用することにした。魂を一つにすることで、彼の中にあるものを、ボウも同じように感じることができる、あの能力だ。以前会ったこともなかった渉不城の半妖について、彼女が詳しく知っているのもそのいい例だ。ホウカと会って話したことはないが、容姿だけでなく、性格やひととなりまで大まかになら把握している。もちろんそれは、グドンというフィルターを通してのホウカの姿だが、それでも十分な情報量といえた。
同じように、治療に関する知識を彼女に授けたい、とグドンは考えた。
心配なのは、魂を繋げた際に、そうした知識を彼女が自分のものとして保持できるのか、という点と、どれほどの情報量に彼女が耐えられるのかという点だった。
グドンには何ら問題にならない量の情報でも、ボウには耐えられない可能性もある。過剰な情報に彼女が接したときに何が起こるか、それはグドンにもわからなかった。
治療の知識といっても、闇雲に共有、移行しても意味がない。まずはグドンが、ボウの身につけた病を知ることから始める。移行する知識は、あくまで彼女の習得した病に限定する。そうであれば、情報量としても膨大なものにはならずにすむはずだった。
しかし、魂を繋げようとしたとき、ボウは別の理由から拒否反応を示した。
グドンの中にいるジュウイツの影だ。それは今も彼女の記憶の中でしこりとなって残っていた。ジュウイツの影を想像しただけで、今も自然に体が震えだす。そうした恐怖心を克服することは並大抵ではなかった。
最初、そうした試みからボウは逃げ出そうとした。とても耐えられそうにないと感じたのだ。だが、彼女は頑張った。頑張れたのは、グドンの行動の裏に、強い決意があると気づいたからだ。
グドンは自分の中に残るジュウイツの欠片を消し去るつもりでいる。そのことを彼女は鮮明に感じた。欠片を消し去れば、その後に、どれほど恐ろしい結果が待っているかわからない。それでも彼は悪魔と共存することを拒絶する気なのだ。
今、魂を繋げ知識を共有しようとしているのも、ジュウイツを消し去ったあと、仙族と魂を繋げる能力が自分に残っていない可能性があると思うからだろう。そうなれば、二度と知識の共有、移行は叶わない。いわば、自分が愚鈍に戻ってしまった場合に備え、グドンは、今から下準備を始めようとしているのだ。
もちろん、治療師の力などなくとも、ボウは困らないが、出来れば彼の期待に答えたかったし、現在のまま何も出来ないただのお荷物でいたくなかった。
二人は試みを開始した。
二度目ということもあり、魂を繋げるのはとても簡単だった。
彼女は造作もなく彼の中へ入り、また何の抵抗もなく彼を受け入れた。
だが、繋がりはしたものの、ボウはぎゅっと目を閉じたままでいた。実際の目ではなく、魂の目だ。だから、繋がっていても、辺りは真っ暗だった。
(そのまま目を閉じたままで大丈夫だよ)
グドンの優しい声が聞こえた。
彼は今、わたしの中にある治療師としての経験に接触しようとしている。それがわかった彼女は、震えながらも冷静になり、普段の自分を取り戻そうとした。
彼の中へ深く入り込まない限り、ジュウイツは現れない。ここはまだ、わたしと彼の領域の境目。だから、安全なはず。それに、グドンがきっとわたしを守ってくれる。
ようやく薄っすらと目を開くと、そこに小さな扉が幾つも見えた。
一瞬、廃墟にあった扉を想起したが、それよりもずっと小さく、一枚開きの扉ではなく、観音開きになっていて、どちらにも取っ手がついていた。何か、こどもが遊ぶおままごとの衣装箪笥のようだ。
いっきに緊張がほぐれ、彼女はくすりと笑ってしまった。
誰に指示されるでもなく、一番近くにあった扉を手前に開くと、沢山の文字や数字が中から一気に溢れ出た。
これは、妖族病原体一七三三号の感染による内分泌腺の劣化に関する治療法だ、とボウはすぐにわかった。ドミアールにより強制的に感染させられた病のひとつだ。情報には、詳細な治療法とその際使うべき薬剤や処方量が含まれていた。この治療法だけでも情報量は少なくなかったが、彼女はそれを記憶する必要はなかった。グドンと情報を共有することで、次の瞬間には、知識がもう自分の中の一部分となっていた。
これは情報ではなくグドンの記憶だと、ボウは気づいた。彼が先天的な能力で獲得した知識をいったん記憶し、それを彼女と共有したのだと。
次の扉を開けると、人族と妖族の遺伝子不整合による小児低身長症の治療法が溢れ出した。そして、次の扉は…。
ボウは夢中になって次々に扉を開け続けた。一つ開けるたびに、治療師としてひとつ成長できている実感があった。
もうジュウイツのことは気にならなかったし、グドンの存在さえ忘れていた。
そして、どれほどの時間がたったろうか?
(今日はこれくらいにしておこうか?)
突然、グドンの声が心に響いて、魂の結合が解かれた。
自分だけ興奮して作業にのめりこんでしまったことに恥ずかしさを感じ、平常の状態に戻ったボウは顔をほんのり赤らめた。
楽しかった! と本心を言ってよいものかどうか迷った。
グドンは大変な苦悩の中、自分を手助けしてくれたのだ。それをまるで遊園地に来たこどもみたいにはしゃいでしまうなんて…。
だが、グドンは、自身の苦悩や不安などおくびにも出さず、
「きみたちのいう魂の結合とか魂を繋げるという意味が、より深く理解できた気がするよ」
と感心したように言った。
「え?」
「おいらはボウに謝らなくてはいけないかもしれない」
「どういうこと?」
思いもしなかったことを言われ、彼女は戸惑うよりも不安になった。先ほどの行為に何か不都合な点でもあったのだろうか?
そんな彼女の不安を感じとったのか、グドンが笑顔で手を振った。
「心配するようなことじゃないよ。ただ、ボウとおいらは公平じゃないと気づいたから」
「公平じゃない?」
「そう。さっきのきみは、ジュウイツのことが不安で入口で躊躇っていたでしょ? もっと深く繋がるべきかどうか迷っていた。でも、おいらには、そういうことは起こりえないんだ」
未だ意味がのみ込めないでいるボウに、グドンは、
「ボウがおいらをより深く知ろうと思えば、奥へ奥へと入り込むしかない。そうでしょ?」
「それは当たり前だと思うけど…」
「おいらには当たり前じゃない。なぜなら、ボウと繋がった瞬間、おいらとボウはひとつに重なるから」
「え!?」
グドンの言葉の意味に気づいた彼女は、信じられぬ思いで瞠目した。
ひとつに重なる? それはグドンがわたし、わたしがグドンになるということ?
「だから、ごめんねを言うべきかもしれない。おいらははじめて繋がったときから、きみのすべてを知っていた。でも、ボウはそうじゃないんでしょ?」
それはつまり、自分は何一つグドンに隠し事ができないということだろうか?
それに気づいた彼女は、身もだえするほどの羞恥心を感じた。たとえ、本当に一糸まとわぬ姿でグドンの前に立ったとしても、これほどの恥ずかしさは感じなかったに違いない。なぜなら、それは外見上のことに過ぎないから。それに対してグドンが言うのは、彼女が幼いころからの記憶のひとつひとつ、感情の一片一片を共有してしまったということなのだ。
これから、どういう顔でグドンと接すればいいのか、考えるだけで、ボウは気が狂いそうになった。
彼女の動揺のあまりの激しさに、グドンも真実を告げたことを後悔し始めた。
これは黙っておくべきだったかもしれない。ついうっかり喋ってしまったのは、これから話す別のことと大いに関りがあったからだ。それでも、別の言い方があったかも…。
「おいらが心配したのはね…」
グドンは慌てて話をつづけた。
「おいらと完全にひとつになってしまうことで、きみがジュウイツまで共有してしまわないかということだった。絶対それは阻止するつもりでいたけど、やってみないとわからない部分もあった」
ボウに危険が及ぶ可能性があると言ったのは、情報量の多さ以外にも、ジュウイツの存在のよる危険性も含まれていたのだ、と彼女は気づいた。
「でも、すぐにそれは杞憂だとわかったよ。きみはおいらと重なったわけじゃないし、すべてが瞬時に繋がるわけでもない。おいらは、ボウにあげる情報を自由に制限することができた。治療法に関する記憶も小出しに共有した。魂が瞬時に重ならなかったのは、そうした良い点もあったんだ」
グドンの説明に納得して、ボウはやっと少し平常心を取り戻した。
そして、改めてグドンの能力の高さに驚嘆した。最初のころは、グドンが仙族と魂を結合できたことを幸運と考えていたが、実際には、彼女がグドンの能力の一部を共有できたことこそ幸運だったのだ。
残念ながら、仙族の能力など、グドンの能力と比較すれば足元にも及ばなかった。
完全に夜が更け、辺りが漆黒の闇に包まれると、二人は野営用の寝具を馬車から持ち出し、焚火の近くに張ったテントの中で横になった。
狭い寝具の中で、ボウは自分から積極的にグドンの肉体を求めた。
自分のすべてを知られてしまった今、もう恥ずべきことも、隠すべきものも何ひとつない気がした。
ボウはひとりの女性として貪欲に男性を求めた。
二人が疲れ切って眠りにつくまで…。




