180 真実
グドンはボウのところへ戻ると、彼女と並んで立ち、小犬が来るのを待った。彼女も、グドンの目的がセイイツを誘き寄せることだった、とようやく気づいた。
ここで待っているのはセイイツではないか、という彼女の答えが半分正解で、半分間違っていると言ったのは、その前にまず、町の最高幹部を利用する必要があったからだろう。その意味からすれば、グドンが待っていたのは最高幹部三人だった。
その後、小犬が現れるかどうかは一種の賭けだった。だから、グドンは天が落ちることをたとえに出したのだ。結果として、グドンは賭けに勝った。
二人の前に小犬が立ったときも、ボウは相手がセイイツだとは信じられずにいた。
この小犬が半妖の英雄セイイツ? この生き物が渉不城周辺に湖を創造し、長大な隧道を地下に穿った?
彼女は無意識のうちに何度も首を振った。
「まず訊くけど、あなたは喋ることはできるの? つまり、おいらたちと同じ言語で」
平時と変わらない口調でグドンが尋ねた。尋ねたのは、小犬が喋るのを一度も聞いたことがなかったからだ。
セイイツは何かの事情で言葉を喋れないのではないか? グドンはそう心配し始めていた。もちろん、心配したというのは、セイイツを憐れんだという意味ではなく、単純に意思の疎通に不便がないか心配した、という意味だ。
小犬はやはり言葉を喋らず、小さく「ワウ」と啼いた。
しかし、不思議なことに、そのワウがどう意味なのか、グドンばかりでなくボウにもはっきり伝わった。
(話すことはできないが、意思の疎通はできる)
小犬がそう言ったのが二人にもわかった。
ボウは驚きに目を丸くしたが、グドンはなぜか突然笑い始めた。
ボウは、小犬の意思が伝わったときよりも驚いて、隣りのグドンに目をやった。長年音信不通だった父との再会に、彼が動揺して平常心を失っているのではないか、と懸念を抱いたのだ。
彼女がグドンの手を取ると、彼はむしろボウを力づけるようにその手を握り返した。
「いや、以心伝心できるなら、何もわざわざワウと啼く必要はないと思って」
小犬は再びワウと言いかけて、思い直したように口を閉じる。
(父親が、おまえは少し変わったところのあるこどもだといっていたが、その通りだと今わかった)
その答えに、グドンはボウを振り向いた。
今の答えが彼女にも伝わったかどうか確認するためだ。時と場合によって、小犬が話す相手を限定していたりすると、かえってことが面倒になる。
ボウが頷くのを見て、グドンはほっとしたように視線を小犬に戻した。
「たぶん、おいらたちも喋る必要はないのかもしれないけど、それじゃ、おいらとボウの間で意思疎通できないから、普通に話すよ」
(わかった)
「おいらのことを聞いたということは、あれから、ゴウイツには会ったんだ」
(そうだ)
「あなたは、ゴウイツより、息子であるおいらのことを何も知らない、と認めるわけだね?」
今度は一拍間をおいて、
(そうだ)
と小犬が答えた。
「まず基本的なことを訊くけど、あなたはセイイツ? それとも彼の手下?」
(わたしに手下はいない)
「それはつまり、セイイツ本人だという意味?」
(そうだ)
ボウは思いやるようにグドンに目をやる。
しかし、グドン本人は至って平然としていた。
これは長年生き別れていた父子の再会ではない。実の息子でもない相手に特別な感情を抱いていないのは当然だ。それに、これからの話の中で、それより何倍も辛い事実が明らかになるには間違いなかった。
「じゃ、一番肝心なことを教えて。だいたい想像はついてるけど、おいらは誰? どうして、ドミアールが勘違いするほどジュウイツと似ているの?」
(本当にその答えが訊きたいのか? 世の中には、知らないほうが幸せということもある)
「冗談はやめてよ」
珍しく気色ばんだ様子でグドンは言い返した。
「自分が誰かわからないまま、何年もひどい目に遭ってきたのに、知らないほうが幸せなこともある?」
セイイツが小さく頷き、答えようとしたとき、ボウがグドンの腕をとり、
「まず座らない? 立ったままだと、感情的になりやすいわ」
彼女が心配したのは、感情的になることよりも、衝撃に耐えられずグドンが倒れることだった。その可能性は低くとも、万が一を考えたかった。
グドンにもそれがわかったのか、素直に従い、焚火の前に置かれた石の上に腰を下ろした。
ボウも彼と並んで座り、小犬も真似るようにお座りの姿勢をとった。
ボウが焚火に枯れ枝をくべるのを待ち、セイイツが話を再開する。
(おまえはジュウイツに殺された孤児の一人だった)
「殺された?」
とグドン。
(わたしですら、もう死んでいると思ったと表現したほうが正確かもしれない。わたしが見つけたとき、おまえの手足も首もすでに切り離されていた)
思わず息をのんだボウが、何とか悲鳴を堪えようと口元を掌で覆う。それでも、指を噛んだ状態でないと嗚咽が漏れてしまいそうだった。
「それで?」
とグドンが先を促す。
(わたしは息子ジュウイツを自らの手で葬った。それは、おまえが夢の中で見た通りだ)
夢の中で見た?
ボウは、セイイツの話を驚愕の思いで聞いていた。セイイツが息子のジュウイツを殺したのをグドンは知っていたというの? 夢というのは、恐らくセイイツが彼に見せた幻覚だろう。セイイツがわが子を殺害したという事実を幻覚でグドンに告げていた? そのことが、ボウには二重に信じられなかった。
(死んだあの子の元を離れようとしたとき、おまえが目を開き「助けて」と言ったのだ。首だけになったこどもが言葉を発した。この世の中に奇跡があるのをわたしは信じる。わたし自身を多くの者が奇跡と呼ぶからだ。だが、そのわたしから見ても、こんな奇跡はありえないという気がした。それは今でもそうだ)
「死んだ…いや、あなたが死んだと思ったおいらは、普通の半妖だった?」
当然の疑問をグドンはセイイツにぶつけた。
(わたしにはそう見えたが、妖族や人族であったとしても驚かない。あのときは、そんなことは気にもならなかった。ただ、この子を何とか救えないかとだけ考えた)
「その結果、おいらの命をジュウイツの体へ移し替えた?」
ボウが再びグドンの顔を凝視する。
彼女にはもう何が何だかわからなくなっていた。しかも、こんな荒唐無稽な話を、グドンとセイイツが当たり前のように話しているのも、理解できなかった。
(命というより、魂を憑依させた。おまえの元の体はどう見てももう使い物になりそうにはなかったからな。唯一、正常な形を保っていたのがジュウイツの体だったのだ)
憑依のことを頭に浮かべたゴウイツの考え方は間違っていなかった。ただ憑依したのはジュウイツではなく、グドンのほうだったのだ。
「その時点で、ジュウイツは本当に死んでいたの?」
(死んだ、と思った。だが、今となれば、それにも疑問が残る)
「おいらの頭の中に残る影だね? ボウはそれを悪魔のようだと表現した。まあ、何でもいいけど、あれはジュウイツの欠片でしょ?」
(そうだ、と思う)
「あなたはそれをいつ知ったの?」
(ドミアールが、おまえを渉不城から連れ出そうと画策し始めたときだ)
「町の半妖が何人か死んだとき?」
(そうだ)
「それでようやくおいらに関心を持った? 体内で何か悪いことが起こっている可能性があるから?」
(違う。関心ははじめから持っていた。憑依させたのはジュウイツの体だったからな。何が起こるかは、わたしを含めて誰にもわからなかった)
「それはつまり、欠片が残ったのは想定外だったけど、残らなくても、何か起こる可能性はあると心配していたという意味?」
(そうだ)
ここではじめて、グドンは少し考える目になった。口をへの字に曲げてしばらく黙ったあと、
「おいらはずっと不思議に思ってた。町の半妖たちは、おいらがあなたの息子だと信じていたはずだよね? あなたは英雄で、おいらはその息子。なのに、彼らのおいらに対する態度は非常に奇妙だった。おいらが覚醒するのをずっと恐れていて、それを阻止しようとしていた。あなたのことは崇拝してるのに、おいらのことは怖がるのは矛盾しない? おいらが能力を持てば、また町が反映できるかもしれないのに。でも、今、その理由がわかった気がするよ。きっと、あなたが、いや、あなたに頼まれたドミアールが、おいらは悪魔かも知れないと伝えていたからだ」
それまで黙って聞いていたボウが、あっと声を上げた。
殺したはずの息子が復活するのをセイイツは恐れていた? だから、そうさせないためにグドンを虐待させていたというの? とてもそんな話は信じられなかった。
「仮に何か起こっても、おいらは渉不城から出られない。被害を最小限に抑えられる。あなたとしては、最大限の防御線を張っていたわけだ」
(その通りだ)
「でも、それにしては、あなた自身は無関心過ぎた気がするけど。あなたは、どこかでおいらを見張っていたの?」
(いや、わたしにはほかにやるべきことがあった。非常に大事な使命だ。だが、それはおまえのこととは何の関係もない。ただおまえの傍を離れる間、無害な状態で渉不城に閉じ込めておく必要があった。それに、何か起こる可能性は極めて低いと考えていた。渉不城の半妖におまえを虐待するよう命じたわけでもない。わたしが想像した以上に、彼らが過剰に反応した)
グドンは大きく溜息をつく。
隣りで聞いていたボウも、はじめてセイイツに咎めるような厳しい視線を向けた。
「生き返らせてくれたことで、おいらはあなたに礼をいうべき?」
(それなら訊くが、おまえは、あのまま死んだほうがよかったか?)
「究極の選択だね。でも、おいらから言わせれば、もう少し早くあなたが息子を殺せばよかったのに、と思うけど」
ボウは正直、もう二人に会話を続けさせたくなかった。これ以上過去をほじくり返しても何も得るものはない。だが、会話をやめるかどうかは、彼女が決めることではなかった。




