179 本当に待っていた相手
「何だと?」
訊いた麒麟もどきは突然ゲラゲラ笑い出した。
それにつられたように、残る二人も笑い出す。
「聞いたか? こいつは我々三人を殺すつもりらしいぞ。ほんの数日前に気絶させられ、牢獄に放り込まれたのを忘れてしまったようだ」
麒麟もどきは尚も腹を抱えて笑いこけている。
「あなたにそんな力はないわね」
さすがに大蜘蛛女も、どうするか態度を決めたようだ。ゴリラがそれに追い打ちをかける。
「おまえさっき、まず、といったな。ということは、ほかにも続きがあるのかい?」
「そう。そのあと、この町の妖族を根絶やしにする。妖族なんて生きてる価値はないよ」
とたんに、三人は笑うのをやめた。顔色が変わり、麒麟もどきは唇の端が震えている。
「聞いたろう? 三人で協力すれば、この小僧一人殺すくらいわけない。ドミアールは逃げたし、こいつが死んでも文句をいう奴はいない。セイイツの息子でもないしな」
大蜘蛛女とゴリラも頷いた。
「おいらを殺すと決めたの?」
グドンが訊く。
「小僧、おまえが望んだことだ」
麒麟もどきが答える、
「おいらを殺すと決めたの?」
麒麟の返事が聞こえなかったように、グドンは大声で繰り返す。
「何だ、こいつ?」
ゴリラが睨みつけると、大蜘蛛女が、
「恐怖で、頭がいかれちまったんじゃないの?」
と嘲る。
「もういい。早く片付けてしまおう。町での仕事が山ほど残っている」
麒麟もどきはそう言ってグドンを振り返り、
「小僧。悪く思うな。出来るかぎり楽に…」
死なせてやる、と言いかけた麒麟もどきの声が途中で途切れた。すぐ傍に立っていた大蜘蛛女とゴリラは不思議に思ってそちらを振り向いたが、そのとき、空気が微かに揺れたように感じた。それにしても、麒麟もどきはなぜ話を途中でやめたのか?
麒麟に訊こうと口を開きかけた大蜘蛛女の顔が蒼白になった。頬のが引きつり、化け物を見たかのように瞠目している。
麒麟もどきの体には、もう首から上がなかった。どこへ行ってしまったのか、突如、首だけこの世から消えてしまっている。
頭部を失った老人の体はゆっくり地面へと落下していく。
大蜘蛛女とゴリラが呆然と見守る中、麒麟もどきの体は地面に激突し、トマトのようにぐしゃりと潰れて肉片が四方八方に飛び散った。
それと同時に、ドンという音が蜘蛛女の耳の中で響く。
蜘蛛女とゴリラは思わずグドンへ目をやった。
グドンは以前と同様、一歩も動いた様子がない。それでも、麒麟もどきを殺したのはグドン以外にいないとわかっていた。
この若者は瞬間移動して麒麟もどきを殺し、また瞬間移動して元の位置へ戻ったのだ。その動きがあまりに速すぎて、蜘蛛女たちには見えなかっただけだ。
でも、そんなことがありえるだろうか?
「言ってなかったけど、数か月前まで、おいらは何一つ能力を持っていなかった。今ある力はすべて、その間に身につけたものだよ。今も毎日能力が上がっている。一週間前と今のおいらは同じじゃない。牢獄で随分修練したしね」
二人は顔を見合わせ、大きく溜息をついた。
自分の愚かさが本当に嫌になる。勝つ見込みがまったくないのに、この青年が馬鹿面下げてここで彼らを待っていたはずがないではないか。それに、セイイツの息子ではないという話も嘘かもしれない。きっと、彼らの反応を確かめたかったのだ。
がっかりして、どちらも十歳ほど老けた気がした。
一つ間違えば、首がなくなったのは自分たちのどちらかでもおかしくなかった。生と死の狭間はまさに紙一重だ。
「何をすれば、わたしたちを見逃してくれるの?」
蜘蛛女は縋るような目をグドンへ向ける。まるで数十年前の弱いころの自分に逆戻りした思いだった。
「言ったでしょ。町の妖族を皆殺しにする」
「それを手伝えと?」
さすがに蜘蛛女の顔が歪む。
「いや、やるのはあなたたち二人。おいらは見てる。どう? 従う? 従わない?」
しばらくの間、二人はどちらも返事をしなかった。
周辺の空気がまた微かに揺れた。
グドンは微動だにしていない。
少なくとも二人にはそう見えた。
ところが、城壁の一部が突然大音響とともに崩れ落ちた。
目を瞠る二人にグドンが言う。
「次は、あなた方のどちらかだよ。だから、早く答えたほうがいい。従う? 従わない?」
「なぜ、こんな残酷なことをするの? 町の妖族に罪はないでしょ? 妖族の中にはあなたの知り合いもいるはず。確か情報部のチンスとは仲がいいと聞いたわ。彼女が死んでも何も感じないの? 良心は痛まない?」
グドンは思わず失笑した。
「良心? 罪がない? じゃあ訊くけど、おいらとおいらの友達がひどい目に遭ったのは、どんな罪があったから? 力任せに殺そうとしたとき、あなた方の良心は痛まなかったの? あなた方の命は命で、おいらたちのは命じゃないの?」
蜘蛛女は口を噤んだ。
その通りだ。力に頼って生きる以上、その力が相手に及ばなければ、潔く屈するほかはない。ここで正義漢ぶって良心を持ち出すのは無様なだけだ。
グドンの掌に風の力が凝縮され始める。
彼がそれを放てば自分たちの命がないのは、二人にもわかった。
「おれは従う!」
ゴリラが叫んだ。
思わず彼を振り向いたとき、蜘蛛女は己の腹部に何か冷ややかなものを感じた。
見ると、臍のあたり、いや、臍のあったあたりに十センチほどの穴が開いていた。そこを冷たい風が通り抜けている。
「判断が遅いよね。おいらはもう時間を無駄にしたくない」
グドンが蜘蛛女に向け冷徹に言い放った。
「あなたの妖丹を破壊したから、もう二度と妖力は使えない。これからは、あなたが馬鹿にしていた人族と同じように生きていくことだね」
彼女は何か言い返そうとしたが、力が出なかった。
体から徐々に妖力が消えていく。当然、宙に浮かんでいることはできず、少しずつ降下し始めていた。
「こんなの嫌よ。殺して! お願いよ、殺して!」
蜘蛛女は絶叫した。
だが、グドンは聞いていなかった。ゴリラに視線を向け、
「どこから始める? 一度に沢山殺せば、時間の節約になるけど」
「どこからでも同じだろう?」
ゴリラの顔も蒼白だった。怒りを堪えるように奥歯を噛み締めながら、吐き出すように言う。
「望むように全員殺してやる」
二人は破壊された城壁をそのまま越えようとした。
ゴリラと並んで飛翔しながら、グドンは周辺に気を配っていた。そして、前方に何か小さなものが現れると、にこりと笑い、空中で停止した。
それに気づいたゴリラも飛翔を停止し、グドンを振り向く。
ここからは、おまえがひとりで行けという意味かと思い、それを確認しようと口をひらきかけた。二人の前方に現れた物体にはまだ気づいていない。
「あなたは、もういなくなってもいいよ」
グドンは視線を前方の物体から逸らさず、ゴリラに告げた。
「もういっていい?」
「うん。おいらの目的はもう達成されたから」
そう言い残し、前方の物体にゆっくり近づいて行く。
そのときになって、ゴリラもはじめて視線の先に何かいることに気づいた。
それは小犬のように見えた。ただ普通の小犬と違うのは、それが自分たちと同様宙に浮かんでいることだ。
どうすべきか迷いつつ、ゴリラは距離を置いてグドンのあとをついていくことにした。
グドンの目的は、ゴリラたちをいたぶることではなく、小犬をここへ誘き寄せることだったとはっきりしたからだ。小犬はいったい何者なのか、ゴリラは今、強い好奇心にかられていた。
グドンは、小犬の前で停止した。
「出て来ないんじゃないかと少し心配したけど、やっぱり我慢できなくなったみたいだね」
温かみのまったくない声でグドンは言った。
「さすがに、あなたでも妖族を皆殺しにされるのは気になる?」
小犬は返事をしない。ただじっとグドンを睨んでいる。
この小犬はセイイツだろうか?
今はそう確信していたが、たとえそうでなくとも、グドンはもうかまわなかった。彼が渉不城へ移って以降、この小犬がすべてに大きな役割を担ってきたのは間違いない。
正直、グドンはこの小犬、いや、セイイツに対し、今は好意を持てなくなっていた。何度か彼に命を救われ、能力を高めるために援助を受けたにもかかわらずだ。
好きか嫌いかを問われれば、間違いなく嫌いと答えたはずだ。それどころか、どこかで嫌悪に近いものを感じていた。
「出来たら、ボウのいるところで話がしたい。彼女にも話を聞く権利があると思うから」
相手の返事を待たず、グドンは来たほうへ戻り始める。
途中、すれ違いざま、我慢しきれなくなったゴリラに、
「狙いはこの犬だったのか? 何者なんだ、この妖獣は?」
と訊かれ、
「わからないの? 以前はあなたのご主人様だったんでしょ?」
と、にべもなく答え行き過ぎた。
「ご主人様?」
「セイイツだよ」
グドンは振り向かずに答えた。
何を考えているのか、小犬はしばらく動かずじっとしていたが、グドンが放ったセイイツという名前を聞き、それに突き動かされたように、彼のあとを追い始める。
「セイイツ…さ、ま?」
愕然と瞠目するゴリラの横を小犬が通り過ぎていく。




