18 ボウ
グドンが次に意識を取り戻したのは、どこかの狭苦しい部屋の中だった。
知らぬ間に、小さな寝台の上に一人で寝かされていた。
一瞬、元の牢獄へ戻ったのかと錯覚したが、すぐにそうでないと気が付いた。部屋には窓がなかったからだ。それに、牢獄特有の湿ったかび臭い匂いもしない。
ゆっくり記憶が戻ってきた。
おいらは坑道で化け物に襲われ、どこかへ引きずられていったんだ…。
だとすると、ここはどこだろう? 化け物の住処か?
そう思って体を動かしたとたん、体中に激痛が走った。それでも、無理やり上半身を起こし自分の体を確認する。
引きずられていく間はずっと、化け物に八つ裂きにされ、食われる自分の姿ばかり想像していた。ここが化け物の住処なら、体の部位はまだ全部そろっているか、それを確認せずにはいられなかった。
体のあちこちを細かく見たが、欠けたところはなさそうだった。
ほっと安堵のため息が出た。
痛みはあるものの、それも堪えきれないほどのものではない。
怪我が意外に軽かったのか、それとも、怪我をしてからかなり時間が経っているのか?
化け物に襲われてから、いったい、どれくらいの時間が過ぎたんだろう?
「目が覚めたみたいね」
突然、背後で女性の声がした。
体に衝撃を与えぬようゆっくり振り向くと、十代後半と思える少女が近くに立って、何かの後片付けをしていた。
コップに半分ほど残った何かの液体、一目で塗り薬とわかる固形物の入ったケース、脱脂綿のようなもの…。脱脂綿についている赤いものは血だろうか?
少女の横顔はドキリとするほど清楚で美しかったが、残念なことに、彼女の体も半ば透けて見えていた。
ということは、おいらを襲った化け物の仲間か?
町一番といわれるホウカとは違い、もっと成熟した、大人の雰囲気のある少女だった。ゆったりした袖口の白い上着の下には丸く豊かな膨らみがあって、胸元を大きく突き上げている。
だが、少女そのものには不思議なほどに存在感がなかった。
この部屋にいるのは自分一人と錯覚し、声がするまで彼女に気付かなかったのもそのせいだ。少女の傍に立って鼻を近づけても、この部屋と同様まったく匂いがしないのではないかと思えた。
「人族? それとも妖族なの? わたしたちにはどちらも同じに見えるから」
少女は振り向かず視線を自分の手元に向けたまま訊いた。
「その中間かな」
グドンが答えると、
「そうなの?」
と、彼女は関心なさそうに言って頷く。なぜか、初めから答えを知っていて訊いたように聞こえた。
「人族や妖族の若い男性は、性欲が強くて抑えがきかないと聞いていたけど、本当みたいね」
彼女が言いたかったのはこのことのようだった。
「え? 性欲?」
グドンは自分の視線がまだ少女の胸に向けられたままなのに気付いて苦笑した。
慌てて視線を逸らし、
「おいらは、ここでどれくらい気を失っていたの?」
「今日で五日目かしら。四回太陽が沈んで、四回太陽が昇ったから」
室内に窓はないから今が何時なのか、昼なのか夜なのかまったくわからない。
天井には直径五十センチほどの丸い石がはめ込まれていて、ぼんやりとした明かりを放っている。どんな仕組みなのかわからないが、室内はそれだけで十分明るかった。
五日…。
町は今、どんな状況だろうか?
グドンはそれが気になった。まだ住民殺しは続いているのだろうか? 自分に対する捜索はもう終わってしまったか? 彼がいなくなって、もう何日も経ったことになる。さすがに、皆知らん顔ということはないだろうけど…。
「わたしの仲間が、あなたにひどい暴力を振るったことは謝るわ」
彼が黙ったのを誤解したのか、少女は初めてグドンに目を向けて言った。
正面から見る少女の顔は横顔同様美しかった。卵型で右の頬に普段でも靨が見える。目は大きいが鼻や口は主張しすぎておらずすっきりした印象。目立つ派手さはないが見る者に清楚で優しい感じを与える。豊かな髪が長く胸元まで伸びていた。
「でも、私の種族が皆あんなに暴力的だとは思わないで。ああいう勢力は一握りだし、彼らはもう処罰したから」
勢力? 処罰? どんな処罰か、グドンはあえて聞かないことにした。それほど重い処罰とは思えなかったし、一時は死ぬ覚悟までした彼としてみれば、聞けばむしろ腹が立つ気がした。それに、彼女が勢力といったのには何かわけがあるのだろう。それを詳しく聞いて面倒に巻き込まれるのも御免だった。
「あなたがおいらの治療をしてくれたの?」
「そう。ここには、あなたがたのいう治療師も薬師もいないから、わたしが代わりをするしかなかったの」
少女はむしろ済まなそうな声を出した。
「わかるよ」
グドンは笑顔を作った。
「たぶん、あなた方には病気そのものがないんでしょ? だから、治療も薬も必要ない」
幽霊につける薬など聞いたこともなかった。
「病はあるけど…」
少女はなぜか顔を曇らせた。
「でも、あなたに使った薬はぜんぶ、渉不城からもってきたものだから安心して。こっそり内緒でね。言うまでもないけど、わたしたちの姿は人族や妖族には見えないから。そう、あなたは別にして」
話している少女の姿が一瞬薄くなりまた元に戻った。グドンの反応を楽しむようににっこり微笑む。
「あなた方は何という種族?」
とグドン。
「人族や半妖のあなた方は亡霊とか化け物と呼んでるでしょ? 妖族の呼び方でいうなら霊族かしら」
霊族、霊族…。
グドンは頭の中でその名前を何度か諳んじてみたが、大量の情報が脳内に溢れ出すようなことはなかった。
おいらの能力には色んな制限があるらしい。それとも、まだ完全に覚醒していないだけだろうか…。
「おいらはグドン」
思わず手を差し出そうとして思いとどまった。向こうにも同じ習慣があるかわからない。
「ボウ(儚)よ」
「ボウ? それだけ? いや、短いから悪いわけじゃないけど」
「そう。あなた方の文字にすると一文字」
そういうとグドンに歩み寄って彼の腕をとり、掌に自分の指で文字を書いた。
「へえ、儚いか…。素敵な名前だね」
「ありがとう」
素直に喜んだ彼女がまた微笑んだ。
まさに、その透き通るような笑顔を眺めながら、グドンは、この子が自分の許嫁だったらどんなによかったろうと想像した。だが、すぐにそれを否定し首を振る。霊族のこの子とおいらがそんな関係になることはありえない。
「何?」
片付けに戻ったボウが訊いた。
「いや、何でもない。おいらはこれからどうなるの? あなたたちの捕虜か何かになるのかな? このまま帰してもらえるとは思わないけど。でも、身代金とかは出ないと思うよ」
「身代金なんて必要ないわ」
とボウがまた笑う。
「もちろん、今すぐに帰っても大丈夫」
「帰っても大丈夫?」
グドンは自分の耳を疑った。だったら、なぜここへ連れてきたんだろう?
「帰ってもいいけど…」
とボウは言いにくそうに続けた。
「出来るのならお願いを聞いてもらえると嬉しいわ」
グドンは戸惑った顔になった。お願い? 自分に霊族の役に立てるようなことがあるだろうか? 何やら嫌な予感がした。
また、勾玉の代わりになれとか言うんじゃないよね?
「わたしの種族は今、助けを必要としているの」
ボウは片付けの手を止めて再びグドンに向き直る。その視線は真剣だった。
「あなたを連れてきたとき、わたしの仲間が暴力をふるったのはよくなかったと思うわ。でも、あの人たちにも、そうする理由があったの。だから、あなたへの暴力を抑えられなかった」
ここへ連れてこられる際、男たちが、「自分たちの犯した間違いをまず教えてやる」と話していたのをグドンは思い出した。彼らなりの理由というのは、そのことだろうか?
「渉不城の住民があなた方に何か迷惑をかけたの? そのことで、町の住民と話がしたいからおいらに仲介者になれとか?」
ボウは首を振った。
「まるきり間違ってはいないけど、町の住民は関係ない。今さら彼らと話し合っても無駄だし」
そういった彼女の口調は冷ややかだった。グドンは益々戸惑いの目になった。
「だったら…」
「あなた、わたしたちのことが見えるわよね?」
訊かれたグドンは、何を今さらと思ったが、話の先を聞きたくて頷いた。
「ああ、見えるよ」
「さっきわたしの姿が薄くなった時も完全には消えなかった。そうでしょ?」
そう訊かれたグドンは、改めてあることに思い至ってあっとなった。
さっきも彼女は、
「わたしたちの姿は人族や妖族には見えない」
と言った。グドンはそれを、彼らが自由に姿を現したり消したり出来るという意味と捉えた。だが、実際には、彼らの姿が見えるのは特殊なことで、霊族の意思に関係なく、見えないのが普通なのではないか?
町の他の住民たちには、たとえどんな状況でも、霊族の存在が見えることなどありえないのだ。ところが、グドンは、ボウや坑道で会った彼女の仲間があまりにもはっきり見えたので、それが当たり前だと早合点してしまった…。
「そういう能力を持った人をわたしたちはもう一人だけ知ってる」
とボウが言った。
もう一人? いわれたグドンは、それが誰なのかわかった気がした。
きっとセイイツだ。
「あなた方はおいらの父親の知り合いなの?」
グドンは驚いて訊いた。
「あなたのお父さん? そう…。やっぱり、あの人とあなたは関係があったのね」
彼女は感慨深げに頷いて、
「もちろん、わたしは会ったことはないわ。でも、あなたのお父さんはわたしの部族の中ではとても有名な人よ」
まあ、セイイツは誰にとっても有名だろうけど…。そう思ったが、グドンはそれは口には出さず、
「でも、そのことと、あなた方を助けるという話は、どこで繋がってるの?」
「以前、お父さんが仰ったらしいのよ。将来何か困ったことが起こったら自分を訪ねてきなさいと」
グドンは嫌な予感が的中した気がした。
ボウたちは、グドンがセイイツとすぐ連絡を取れるか、彼自身にも父親と同じ特別な能力があると勘違いしているのだ。
やっと事情をのみ込んだグドンは、心底がっかりした。ボウに好感を抱いていたから、その分、彼女を失望させると思うと、より一層やり切れない気持ちになった。
おいらには彼女たちを助けてやる力などない。ボウの一族がたとえどんな問題を抱えているにせよ、とんだ誤解もいいところだ。
「あなた方はどんな助けを求めているの? それは町の住民と関係があること?」
それでも仕方なくグドンは訊いた。
ボウが頷く。
「話すより、まず見てもらったほうが早いと思う」




