17 二人のグドン
木箱の中に整然と並んだ落雷鳥の卵が運び出されるのを確認したあと、ホウカは憤然と奥の部屋へ通じる扉を睨みつけた。
グドンが牢獄を出てから、すでに十日以上が経とうとしていた。
その間、彼は一歩も自分の小屋から出ようとせず、父ムダイの世話になる話など、初めからなかったという顔をしていた。
グドンが、何事もなかった振りで以前の生活に戻ろうとしているのは明白だった。いつの間にか卵を選別する仕事も再開し、食事の支度もホウカに手出しをさせなくなっている。
それのどこが悪いのかといわれれば、ホウカは反論できない。だが、理屈に合わないとわかっていても、心の底から湧き上がってくる苛立ちを抑えきれなかった。
幼少のころから、ホウカはグドンが嫌いだった。
彼がショウボクに殴られ瀕死の重傷を負ったときは、内心いい気味だとほくそ笑んだほどだ。
もちろん、そんな思いは誰にも話さなかったし、父親のムダイをはじめ誰も知らない。正直、グドンを見ているとなぜこれほど腹が立つのか、彼女自身、不思議に思えるくらいだった。
父親が英雄というだけで特別扱いされているせいだろうか? 何の能力もなく愚かなうえ、背丈が低く痩せっぽちで惨めな体をしているからか? かつては路上生活をしていたという出身の低さが原因か? セイイツそっくりだという容姿も、決して彼女の好みではなかった。それどころか、どこか間が抜けている気がしたし、見ていると苛々した。
自分がグドンの許嫁に決まったといわれたとき、ホウカは幼いながらも心底ゾッとしてもう少しで吐きそうになった。
それでも、ムダイの前ではずっと本心を隠し続けてきた。彼女には、そうするしかなかったからだ。
ムダイは実の父親ではなく、血の繋がりもまったくない義理の父親だった。本当の父親は昔、暴漢に殺され、彼女自身も母親と一緒に命を落とす寸前だった。それを救ってくれたのがムダイだ。
のちに母親はムダイと再婚したが、愚かにも、心の中では元の夫をずっと思い続け、いつまでもムダイとの間に心の壁をつくっていた。結婚したのはあくまで娘ホウカの将来のためだといわんばかりに。
それでもムダイは、母親だけでなく、娘の自分まで大事にしてくれた。それは母親が病で亡くなったあとも続いている。そんな恩人ともいえる義理の父親が決めたことを拒否することなどできるだろうか?
代わりに、こんな立場に自分を追いこんだグドンを彼女は憎んだ。
「グドン! 出てきなさいよ。グドン!」
腹立ちまぎれに奥の部屋へ大声を出したがやはり返事はなかった。こんなことが、この十日間ずっと続いている。
もう我慢の限界だった。
ホウカはかまわず扉を開け中へ踏み込んだ。
寝台の上で、頭から布団を被った少年がこちらに背中を向け横たわっているのが見えた。
その姿にホウカは益々腹を立てた。
「あなた、いつまでそうして拗ねてるつもり? こどもじゃないでしょ? うちへ来るんじゃなかったの!」
グドンはそんなことは一度も口にしていないが、彼女は心の中でとうにそう決めていた。グドンはムダイの命令に従うべきだ、それがあなたの果たすべき義務なのよ、と。
「うるさいな。あっちへ行ってくれよ!」
ここ何度も繰り返されている同じ会話。小屋へ帰って以来、グドンはこれ以外の台詞をホウカに発したことがない。
被った布団のせいでくぐもった声は、どこか普段の彼とは違って聞こえた。
ホウカの心にふとある疑念がわいた。
グドンの声は以前からこんなだったろうか? まさか、誰かがグドンの振りをしているんじゃ…?
そんなことをする理由も、グドンのために片棒を担ぐ相手も思いつかなかったが、いったん生まれた疑念は、彼女の胸の中で際限なく膨らんでいく。
ここ数日の彼の振る舞いは明らかに何か妙だった。自分と絶対に顔を合わせようとしないし、口さえきこうとしない。グドンは元々、これほど口数が少ない少年ではなかったはずだ。
疑いがあるなら、それを確かめるまでだわ!
寝台に近づくと、彼女は相手に有無を言わせない勢いで布団を剥ぎとった。
だが、剥ぎとったのはよいが、
「きゃっ!」
と悲鳴を上げ他のは彼女のほうだった。
上半身を起こし、彼女を見上げているのはグドンに間違いなかった。問題は、グドンがほとんど何も着ておらず裸同然だったことだ。
「な、何よ、そんな恰好で!」
責める口調で取り繕おうとしたが、自分でも声が小さく震えているのが分かった。他人の寝室に勝手に入り込み、寝ている相手の布団を無理やり引き剥いだのは自分のほうなのだ。
それでも、恥ずかしさと同じくらいグドンに腹が立った。
きっとグドンはわざとこんな真似をしたんだ!
「きみが、許嫁の約束をここで実行したいのなら、おいらはまったく構わないけど?」
そういうとグドンは、彼女が思いもしなかった行動に出た。
立ち上がりざまにホウカの首根っこを掴むと、自分のほうへと引き寄せたのだ。
彼女は思わず振り払おうとしたが、相手の力が強すぎてビクともしない。
「放して! でないと大声をあげるわよ」
「あげればいい」
グドンは嘲笑すると、さらに体を寄せ顔を近づけてくる。
白く小さなホウカの耳朶に少年の熱い息がかかった。
ホウカは恐怖と羞恥心に顔を赤く染めた。視線があげられず、情けないことに少し涙ぐみそうになる。
何よ、こんな奴! ただのこどもじゃないの。
何とか動揺を堪えようと唇をかんだが、自分の喉の奥から小さく嗚咽が漏れるのがわかった。
それでも、グドンはいっさい手加減することなく、大胆に唇を寄せると、彼女の耳たぶを舌先で舐めた。
ホウカは信じられない思いで目を瞠った。
嘘よ。こいつ今、わたしの耳を舐めた?
それでも、固まったままの彼女の体は何の反抗もできない。
これから自分はどんな目に遭うのか?
想像に気が遠くなりかけたホウカの体を、グドンが力いっぱい突き放した。
ホウカは何歩かよろめき、壁に手をつくことでようやく転倒を免れた。
「いいか? おいらが大丈夫というまで、二度とここへは来るな。おまえの顔なんて見たくない。わかった?」
ホウカは自分でも気付かぬうちに頷いていた。
今のグドンは普段とはまったくの別人だった。何か別のものが憑りついたようで、抵抗すれば、本当に寝台に押し倒されそうだ。自分の意志とは関係なく自然と体が震えてしまう。
グドンの視線を振り切るように彼女は部屋を飛び出した。
やっとの思いで後ろ手に扉を閉めると、そこに背中を預けたまましばらく身動きができない。
舐められた耳を何かで拭うことさえ思いつかなかった。
何度か大きく深呼吸し、やっと胸の動悸が少し治まると、今度は、瞼から涙が吹き出すように溢れ出た。
あんな奴に泣きべそを見せるなんて…。
今からでも寝室に戻って、自分から裸になってやろうかと思った。あなたにそんな勇気があるの、と。だが、そんなことは無理だとわかっていた。今のグドンなら本当に何でもやりかねない。
ホウカはじっと目を閉じ、とにかく冷静になろうと努めた。
グドンの態度はいつもとまるで違っていた。だから自分は、本来とるべき対応ができなかったのだ。では、いつもとの違いはいったいどこだったろう? なぜ、グドンはそうした普段とは違う姿を自分に見せたのか?
きっと何か理由があるはずだった。
たぶん何か計画があるんだわ…。ホウカは心の中で呟いた。だから、わたしを小屋に近づけたくなくて、あんなことをしたのよ。計画? でも、どんな?
ホウカはほんの少し自分を取り戻した。
見てて御覧なさい。計画が何であるにしろ、今度はあなたに泣きべそをかかせて見せるから…。




