177 ケンシたちの悲哀
倉庫へ繋がる扉は今回も開くことができた。
これはおいらに限られたことなのではないか? グドンがそう考えた通り、ほかの者があけても倉庫や鍾乳洞へ繋がることはなかったはずだ。もしかすると、これにはセイイツが関わっているのかもしれない、そうグドンは推測したが、そのこと自体はどうでもよかった。とにかく、今はジョフウコに会い、器精との約束を果たせればよい。
彼は木箱の蓋を開けると、まず上着から袋を取り出し、少女の精霊と繋がったことを確認してから、ジョフウコの脳へ侵入した。
前回同様、ジョフウコは胡坐を組んで瞑想していた。
何者かが侵入したことに気づいてふと目を開け、相手がグドンとわかると、意外そうに眉を顰めた。
「まだわたしに何か用があるのか?」
迷惑そうな物言いに、グドンは苦笑し、
「おいらも、もう二度とあなたに会うことはないと思ったけど、ある人に頼まれて仕方なくね」
「ある人に頼まれた? 誰だ?」
ずっとここに囚われの身である自分に、誰が、何の用があるというのか?
ジョフウコが疑いの目を向けると、グドンの背後から少女が現れた。
「おまえ以外にも、ここへ入り込める奴がいたのか?」
心底驚いた様子で、ジョフウコは少女の全身を観察する。もちろん、少女に見覚えはなかった。
こいつは誰で、何の魂胆があってここへやってきたのか?
ジョフウコがそんな視線をグドンへ向ける。
「わからないの? この子は、あなたが作った別天袋の精霊でしょ?」
苦笑交じりにグドンが言う。
「器精!」
グドンの言葉が信じられぬ様子で、ジョフウコは目を瞠った。
「あなたがジョフウコ?」
少女が目をパチクリさせながら自分の創造主を眺めたあと、挨拶するように小さく頭を下げた。
これには、グドンも驚いた。てっきり二人はもう知り合いだと思い込んでいたからだ。初対面だとは思いもしなかった。
赤ん坊のころに生き別れた父娘といった雰囲気の二人に、グドンはどう対処してよいかわからず、とにかく邪魔者は消えようと、出来る限り彼らの視線から遠ざかった。
二人はしばらく何やら話し込んでいたが、少しすると、少女一人だけがグドンへ近づいてきた。
「もういいわ。あんたの言ったことが嘘でないとわかったし、お礼とお別れもちゃんと言えたから」
それだけ告げると、少女はふっとグドンの前から姿を消した。
器精が自分で彼との繋がりを切ったのだ、とグドンにはわかった。
あとにはグドンとジョフウコだけが残された。
再び近づこうとするグドンに、ジョフウコはもう行けというように手を振ってみせた。お互いにもう用はないはずだ、おまえとの縁はもう切れたとでも言いたげだ。
グドンは苦笑し、即座に脳から退出した。
退出し、もう一度袋の世界へ進入する。
泣いているかと心配していたが、少女は意外にけろりとしていた。
「大丈夫?」
と心配するグドンに彼女は、
「大丈夫に決まってるでしょ。まだ何か用があるの?」
と素っ気ない。
頷いたグドンは、
「これから、長い付き合いになるかもしれない。だから、互いの名前を知らないと何かと不便だと思って。きみの名前は?」
名を訊かれ、少女は退屈そうに顔を顰めた。
「ベッテン(別天)よ。当たり前のことを訊かないで」
あまりに普通なので、グドンは拍子抜けしてしまった。
もしかして、ゴウイツの別天袋の精霊もベッテンというのだろうか? もしそうなら誰が誰かわからず混同してしまわないだろうか? まさか、ベッテン一、ベッテン二というのではあるまい。
グドンは袋から出ると、もう一度扉を抜けて廃墟側へと戻った。
彼にはもう一か所行きたい場所があった。
再度扉を開けると、今度は隧道へ出た。さらにもう一度扉を開閉しドミアールの牢獄へ出ると、中へ入って通路を通り、石段を上がって三階のドミアールの部屋へ入る。
そこで、その壁に貼られた肖像画を何枚か拝借した。これらの絵は、彼女にとって貴重品のはずだ。それを置いていったのは、慌てていて持っていく余裕がなかったためだろう。だが、いつかまた取りに戻る可能性があった。そのとき、なくなった物があると気づけば怒り狂うかもしれない。そう思ったものの、グドンの心には、同情も罪悪感も湧かなかった。
それどころか、壁一面に女の子の絵を貼っていた変態老人と同様、ドミアールに対してはひどく薄気味の悪さ感じていた。胸糞悪いとってもよい。なぜなら、ここに貼られた肖像画は、一枚残らず自分を描いたものに違いなかったからだ。決してジュウイツではない。
仮にそうなら、誰か…ドミアール自身か彼女の手下が、ずっと陰から彼を観察し、これを描いていたことになる。そう思うとぞっとした。
死んだ息子の影をグドンの中に見ながら、彼女は何を企んでいたのだろう? そのことが渉不城から始まった一連の出来事と密接に繋がっている気がした。
束の間、老人にしたのと同様、ここの肖像画にも火をつけ燃やしてしまおうかと考えた。だが、やめにした。もっと別のやり方で仕返しすべきと思ったからだ。
グドンは部屋を出ると、再び牢獄内の扉を通ってボウの待つ廃墟へと移動した。
そこで、思わぬ者たちが、ボウと一緒にグドンを待っていた。
天妖都の半妖ケンシとその仲間たちだ。タクエンカやセイア、ツイホウセンなど、隧道内で知り合ったほとんどの半妖の顔がそこにあった。
ボウは再びホウカの仮面を被っている。
「乗せてもらえる馬車を探して街道へ出たとき、偶然、ケンシさんたちと出会ったの」
ボウが弾けるような笑顔を見せて言った。
「皆も渉不城へ向かう途中なのよ。信じられる? これでまた、道中にぎやかに過ごせるわ」
彼らとの再会や、再びともに行動できることが、彼女は何よりも嬉しいようだ。
ケンシたちもグドンに親しみの籠った笑顔を見せた。
だが、グドンはただ一人浮かない顔つきになった。
それを感じとったのか、ボウをはじめ全員がとたんに笑顔を消す。自分たちは招かれざる客だ、とケンシたちは感じたようだ。考えてみれば、確かに、若い男女二人の甘い世界を邪魔するのは無粋であるだけでなく、愚かな行為という気もした。
セイアが皆を代表する形で、
「あなた方二人の邪魔はしないわ。馬車は三台あるから、一台はあなたとホウカが自由に使って。必要なとき以外、わたしたちは勝手に近づかないと約束する」
彼女の言葉に、ほかの者たちも頷く。
「いや、あなた方は誤解してるよ。おいらは皆を邪魔だと思ってるわけじゃない」
「じゃ、どうして?」
とセイア。
「ケンシさんたちは、どうして、渉不城へ行こうと考えたの?」
グドンが訊くと、ボウも改めてケンシに視線を向ける。
彼らとの思わぬ再会に興奮していた彼女だったが、彼らが渉不城へ移住する理由を深くは考えてみなかった。半妖たちが渉不城を目指すのはごく当然のことと早合点したこともある。だが、よく考えれば、ケンシたち全員が長年暮らした天妖都を捨て、遥かに田舎である渉不城へ移住するというのは、あまり自然なこととはいえなかった。
「すべてを一からやり直そうと考えたからだ」
と、ケンシが答えた。
「きみをはじめ、渉不城の者たちからすれば、何をいまさらと思うかもしれない。そうした非難は甘んじて受け入れよう。自分たちが犯した間違いは素直に認める。その上で、もう一度仲間に加えてほしいと頼みたいんだ」
彼らの熱意は充分に伝わったが、グドンは表情を変えず小さく首を振った。
「おいらが訊きたいのはそういうことではなくて、天妖都と渉不城には、どんな違いがあると思っているのかということ」
「どういう違い…?」
言葉の意味を測りかね、ケンシが言葉に詰まると、
「あなた方は、渉不城の半妖が皆、おいらみたいだと勘違いしてない?」
それを聞いて、ボウがはっと息をのんだ。
「グドンほどではないにしても、皆、今のわたしたちよりはずっとましなはずよ」
タクエンカが本音を吐露した。
その返事に、グドンばかりかボウまでもが強く首を振った。
ケンシたちは困惑して眉間に皴を寄せる。グドンはともかく、なぜ、ホウカまでもが首を振るのか?
「町の人は誰一人、グドンのような力を持っていないわ。グドンは特別なの」
とボウが説明すると、ケンシたちは益々困惑した表情になった。
「グドンが特別? 誰も力を持っていない? どういうこと?」
とタクエンカ。
「渉不城で、おいらはセイイツの息子だと思われていたんだ」
グドンが言うと、全員が驚きで目を瞠った。
「セイイツの息子?!」
「嘘でしょ?」
とセイア。
ほとんど者は目を白黒させ、口をぱくぱくさせたまま言葉もない。
グドンは、自分が渉不城へやってきた経緯や、その後の軟禁生活、町を逃げ出す直前に能力が覚醒したことなどすべてを隠さず話した。
「だから、おいらが今持っている力は彼らから学んだものじゃないし、あなた方が渉不城へ行っても求めるようなものは手に入らない。しかも、今は事情があって、渉不城は混乱している。おいらはその問題を解決するために、今から渉不城へ戻ろうとしてるんだ」
誰もが言葉を失い、グドンの話を信じる信じない以前に、話の内容がなかなか脳全体に浸透していかない様子だった。
「申し訳ないけど、あなた方が渉不城へ行っても無駄だし、とりわけ今は危険だからやめたほうがいいと思う」
彼らの興奮と渇望に水を差すのはわかっていたが、それでもグドンは厳しい現実を指摘しないわけにはいかなかった。
ケンシたちは、何よりも、グドンがセイイツの息子かもしれないということに驚愕していた。だが、彼がセイイツの息子と考えれば、驚異的な能力の高さも頷ける気がした。
そう理解したとたん、彼らの将来に対する夢想が一瞬にして消し飛んだ。自分をセイイツの息子(実際にはそうではないにせよ)と一緒にしてどうするんだ?
ケンシたちは打ちひしがれた思いで深くこうべを垂れた。
世の中にそんな甘い話は転がっていない。渉不城で出直せば、グドンのような力がすぐ手に入ると思うなんてどうかしていた。彼らは皆、穴があったら入りたい心境だった。
衝撃は衝撃、落胆は落胆として、いつまでもグドンとボウの前に間抜け面を晒すわけにもいかない。
「わたしたちはいったん、天妖都へ戻ることにしよう」
ケンシはやっと言葉を絞り出した。
「以降のことは、それから皆で相談すればいい」
グドンも辛い思いで頷いた。申し訳ないが、今の彼らにとってそれが最善の選択である気がした。
「馬車は一台残していくから、きみたちで使ってくれ。天妖都へ帰るなら、三台も必要ない」
皆の同意を促すようにケンシがほかの者に目を向けると、タクエンカたちもそろって頷く。グドンもありがたくその厚意に甘えることにした。
セイアがボウに近づきその腕をとった。
「渉不城がそんなに危険なら、ホウカも天妖都に残ったほうがよくない? 町でのことが全て片付いたら、グドンに迎えに来てもらえばいいし」
ボウは複雑な表情で、グドンと顔を見かわした。
「あなた方には、もう一つ謝らなくてはならないことがあると思うわ」
とボウが申し訳なさそうな声を出した。
「謝る?」
ボウが仮面をとると、彼らの目の前から、彼女の姿がパッと消えた。
「あ!」「仙族か!」「彼女は仙族だったの?!」
誰もが心からの驚きを隠せない。
ボウが再度仮面を被って姿を現したが、今度はホウカの姿ではなく、ボウ本来の姿だった。
「これが本当のわたしの姿なの。これまでは、ホウカさんの振りをしていただけ。本当にごめんなさい」
騙していたことを詫びるように、ボウが釈明した。
ケンシたちの反応は、まさに驚天動地、突然床が抜けて底なしの穴に落ちた心境だった。
この二人は、自分たちとはまったく別の世界の生き物なのだ。
誰の顔にも、そんな思いが色濃く表れていた。
「あなた、本当の名前は何と言うの?」
セイアがやっとの思いで言った。
「ボウよ」
「ボウ…。たとえホウカじゃなくても、もしよかったら、これからも友達でいてくれる?」
ボウもやっと笑顔になり、セイアの手に自らの掌を重ねた。
「皆とは今もお友達よ。それにこれらもずっと」
ケンシたちは二人に別れを告げ、天妖都へ戻っていった。
その背中は何とも痛ましく、寂寥感に包まれていたが、今は他人に同情している場合ではない、とグドンは己を戒めた。
これから何が起こるのか凡その見当はついたが、最後の結果がどうなるかは、グドンにも断言できなかった。ひょっとすると、今度は本当に命を落とすことになるかもしれない。だが、逃げるわけにもいかなかった。逃げたところで、ドミアールは必ず彼を追いかけてくる。彼女には自分を追い回す理由があるからだ。つまり、彼の中のジュウイツだ。
彼女の望みはきっとジュウイツの復活だ。そのため、ドミアールはどこまでも自分をつけ回すだろうし、そうなれば、また周囲の者を巻き込むことになる。
グドンはそれを何としても阻止しなくてはならなかった。




