176 器精の願い
グドンは袋の中へ入ると、その場に胡坐をかいて目を閉じ、袋の精霊との対話を開始した。
袋の中はこのときまだ百平方メートルほどの大きさしかなく、所々にジョフウコが入れたと思われる物が散見されるほか、がらんとしてほとんど何もない状態だった。
妖器から感じられる器精の力も弱く、袋の中の生気もやっと彼が生命を保っていられるほどしかない。
だが、彼はそんなことにはいっさいかまわず、器精が形になって現れるのを待った。
やがて、淡い煙のようなものがグドンの周囲で揺らめき始めた。
それは少しずつ色を濃くし、形をなして、最後に少女の姿になった。
グドンがゆっくり目を開くと、少女は値踏みする目で彼を眺め、
「何だ、まだこどもじゃないの」
と馬鹿にするように鼻を鳴らした。
グドンは思わず笑ってしまった。見る限り、目の前の少女のほうが彼よりずっと幼く思えたからだ。
「何が可笑しいの? 笑わないで!」
低い声で恫喝すると、
「ここはあたいの世界なのよ。一瞬で空気をなくすことも、あんたの生気を吸い取ることもできる。この中に少しだけ生気があるのがわかるでしょ? その生気がどこから来たと思うの?」
袋の中の生気は、彼女が殺した生き物から吸い取ったものだと言いたいのだろう。少女は薄い胸を精一杯張って見せたが、グドンには滑稽に見えただけだった。
「おいらは、きみと友達になりたいんだ。この袋を使わせてもらうつもりでいるけど、何かを強制する気はない。でも、よかったら、一緒にこの世界をもっと大きくできないかなと思って」
グドンは真面目に言ったが、少女は侮蔑の表情で嘲笑った。
「おいらですって? ふふ、田舎者丸出しじゃないの。あたいは…、いえ、あたしは、じゃなくて、わたしは…。もうどうでもいいけど、あんたと友達になる気はないわ。あたいにはもう大事なご主人様がいるの。あたいを産んでくれた妖器師よ。ここにはそのご主人様しか受け入れない」
彼女のはきっぱりと言いきった。
「それは、ジョフウコのこと?」
「え? ジョフウコを知ってるの?」
少女の顔からはじめて皮肉めいた表情が消えた。
「知ってるよ。彼からこの袋を譲り受けたんだ。だから…」
「嘘よ!」
と少女が叫んだ。
「どうして、あたいをあんたみたいなこどもに譲らなくちゃいけないの!」
彼女は悲痛な声でグドンを罵った。まるで実の両親に女郎屋へ売りとばされたこどものようだ。
「きみは、ジョフウコが好きなんだね?」
ジョフウコと交わした会話を思い出しながら、グドンは言った。
ものの考え方に違いはあったものの、グドンは彼にいっさい嫌悪感を抱かなかった。もし弱者の命を軽視するところがなかったら、ジョフウコとは友人になれていたかもしれない。実際、グドンがこの袋を使う気になったのも、自分の中に、彼を拒絶する気持ちがないと気づいたからだ。忌み嫌う犯罪者の作ったものであれば、手で触れることさえ拒否したはずだ。
「あんた、ジョフウコに何かしたのね?」
少女は決めつけるように言った。
「違うよ。でも、彼は二度ときみを必要とする日は来ないと思う」
グドンは、ジョフウコが今、倉庫の木箱で眠っていることや、そうなった事情を少女に詳しく説明した。
妖器の研究のため、ジョフウコが何人もの人族や妖族を殺したくだりになると、少女が大きく息を吸い込むがわかった。この袋の中の生気には、ジョフウコの研究のために犠牲となった者の生気も含まれているのだろう、とグドンは想像した。
少女はまさにそうして生み出されたのだ。
「さっきも言ったけど、きみに何かを強制する気はないんだ。嫌というなら、それも仕方ない。おいらはこの袋を生き物の入れられる納戸袋として使わせてもらうよ。でも、その生き物にきみが危害を加えたら、そのときは絶対に許さないけど」
少女は生気のない顔でふんとそっぽを向く。
「あんたに、そんな力があるの?」
とたんに、グドンの体が炎に包まれた。炎はあっという間に、狭い袋の中全体に広がる。呆然と見つめる少女の前で、グドンは炎を消すと、今度は、袋の端から端まで瞬間移動して見せた。
袋の中はほとんど何もない状態だったから、破壊された物はなかったが、移動する際の風圧で、少女の体が激しく揺れ動き、体の一部が煙となって消え去った。
「きみが誰かを傷つければ、この袋は器精のいない、ただの納戸袋になる」
少女の前へ戻るとグドンは言った。
「これは脅しじゃないよ。おいらは誰かを傷つけるのは嫌いだけど、誰かを平気で傷つける奴はもっと嫌いだ」
グドンは少女との会話を終了し、外の世界へ戻ろうとした。それを少女の声が慌てて呼び止めた。
「この袋をあんたに使わせてあげてもいいわ。完全に自由に。あんたが望む方法で。でも、一つだけ条件があるの」
グドンは立ち止まり少女を振り向いた。
「条件?」
「最後に、ジョフウコに合わせてほしい。あの人に会ってお礼を言いたいのよ。あたいを作ってくれてありがとうって…」
グドンは少し迷ってから答えた。
「いいけど、さっきも言ったように、彼は今、別の場所にいる。そこにもう一度入れるかはどうかわからない。入れたら、会わせてあげられるけど、そうでなければ、難しい。だから、約束は出来ないよ」
「それでいいわ」
グドンは頷くと、
「今から、木箱を一つこの中へ収納するけど、中に女性が入ってる。おいらにとっては、とても大事な仲間なんだ。絶対に傷つけないと約束してくれる?」
少女は頬に靨を浮かべて苦笑し、
「あたいを何だと思ってるの? 悪魔?」
と言ってから、ジョフウコのことを思い出したのか、また暗い顔に戻った。
グドンが、コウギシの木箱を頭に思い浮かべると、次の瞬間にはパッと彼の隣りに木箱が現れた。自分の魂が妖器の精霊である少女と繋がったのだと彼にはわかった。
グドンは袋の世界から外へ出た。
だが、出た瞬間、何かに強く抱きしめられ身動き出来なくなった。敵に襲われたのかと思わず体に力が入ったが、すぐにそうではないとわかった。
ボウの匂いがしたからだ。
見ると、彼女の頬が涙で濡れていた。
「ごめんなさい。こどもっぽい態度をとって」
自分の顔をグドンの胸に沈め、彼の体に回した腕に力を込める。
グドンはそんな彼女を見下ろし、
「おいらこそ、ごめんよ。前もって、きみにちゃんと説明するべきだった。次からは二人で一緒に考えて、一緒に行動しよう」
彼の胸の中でボウが頷く。
しばらくして、二人はようやく互いの体を離した。どちらも名残惜しかったが、いつまでもここで抱き合っているわけにもいかなかった。
「ボウは、ドミアールのところで治療師の修行を積んだと言ったよね?」
突然、グドンが何の脈絡もなく言ったので、ボウは戸惑った顔になった。
「修行というより、痛めつけられただけだけど」
今思い出しても、ドミアールから受けた仕打ちには憤りが込み上げた。ドミアールの行為が決して彼女のためではなく、グドンとの将来のための躾けでもないことは、身に染みてわかっていた。まさに痛いほどに。
「その力は今でも残ってる?」
訊かれたボウは何とも言えない表情になり、
「そこなの」
と大きく嘆息する。
「わたしはドミアールから与えられた課題をひとつひとつこなした。結果として凄い数の病名を言い当てて、病の原因を指摘したけど、それがわたし自身の力によるものだとはとても思えなかった。きっと、これはドミアールがわたしに何かをして、その力が回答させてるんだと感じたの。だから、彼女の力が消えれば、身に着けたものも自然になくなると信じていた。でも、わたしの中には今も、身につけた治療師の知識が確実に残ってる。それは、ドミアールのした何かがまだわたしの中に残っているのか、本当に治療師の力がわたしについたのかわからないけど」
聞き終わったグドンは何度か頷き、
「おいら、きみに会ってもらいたい女性がいるんだ。その女性の治療ができるかどうか、診てもらいたい」
それを聞いて、ボウはピンときた。
「コウギシさんのことでしょ?」
今度はグドンが驚いた。
「よくわかったね」
ボウははにかんだように笑顔を見せる。
「さっき、箱の中を覗いたの。でも、たぶん駄目だと思うわ。わたしに彼女を治療する力はない。まず彼女は病気じゃなくて、たぶん怪我をしたんだと思うし、たとえ病気だとしても、わたしにわかるのはその病名と、なぜそうなったか病の原因だけ。治療法はまだ何も学んでいないの。いわば、頭でっかちの役立たずなのよ」
グドンはその言い方に笑い、彼女を励ますように軽く肩を叩いた。
それでもものは試しと、コウギシの入った木箱を袋から取り出し、ボウに診察してもらったが、結果はやっぱり無駄だった。
グドンは、木箱をもう一度袋へ収納し、改めてボウと向き合った。
「渉不城へ戻る前に、もう一度、倉庫へ行きたい」
グドンは袋の器精との約束をボウに話した。
「きみも一緒に来る? 嫌なら、ここで待っていてもいいけど」
ドミアールが逃げた今、とりあえず、彼女を一人ここに残しても危険はなさそうだった。
ボウは小さく首を振った。
「わたしはやめておく。それより、渉不城へはどうやって帰るつもり? 隧道を通ってはいけないし、わたしを抱えて町まで飛んでいく?」
それは冗談ではなく、真剣に考える問題のようだった。
彼女を抱えて瞬間移動するのは無理だ。であれば、普通に空を飛ぶしかないが、いくら早く飛んでも、渉不城まではかなりの距離がある。
その間、ボウに負担をかけることになるわけだし、できれば、それは避けたかった。
「グドンが倉庫へ行っている間に、わたしはどこかで馬車を調達してくるわ。渉不城へはそれに乗っていきましょ。どうかしら?」
彼女自身、グドンに抱えられたまま移動するのは遠慮したかった。
グドンは迷わず賛同した。
「でも、一人で大丈夫? 馬車を雇う交渉はできる? 女の子ひとりとわかると、悪いことを考える奴がいるかもしれないよ」
「大丈夫。何かあれば、仮面をとれば、逃げることはできるし。仙族はこういうときには便利なの」
頷いたグドンは、所持していた金をすべて彼女に渡した。
「じゃ、先に用のすんだ者が、ここでもう一人を待つことにしよう」
グドンがいうと、ボウも頷く。
「今度こそ、絶対にいなくならないで」
「お互いにね」
二人は笑い合い、その場で二手に分かれた。




