175 別天袋
グドンはボウを連れ地下の牢獄へ戻った。
この別荘ではもう、これ以上新しいものは見つからない気がしたからだ。
扉を通って天妖都の廃墟へ戻ると、いったん閉めた扉をグドンはもう一度開けた。そこに倉庫が現れたとき、彼の顔に満面の笑みが広がった。
「ここにはもう二度と来られないんじゃないかと心配したけど、おいらにはまだ、この扉を開く力があったみたいだ」
その様子を不思議そうに眺めていたボウが、
「お友達はここにいるの? この木箱の中に?」
と訊くと、グドンは悪戯小僧のようににたりと笑い、
「正直に言うと友達じゃない。でも、ちょっとした知り合いになったんだ」
探す木箱をあっさり見つけ、蓋を開けようとしているグドンの姿に、ボウは何やら嫌な予感がした。
「わたしは、ここにいないと駄目?」
思わず尻込みしたが、グドンは聞いていなかった。蓋を開け、平然と中を覗き込む。ボウはいったん両掌で目を覆ったが、好奇心には勝てず、指の隙間からこっそり箱の中を窺った。そこに中年の男性が横たわっていた。どこといって変わったところのない妖族に見える。恐ろしい怪物ではないし、もちろん、腐乱し始めた遺体でもない。
彼女はほっと溜息をついて、目を覆っていた手を下ろした。
「この人があなたのいうお友達なの?」
安心して二三歩木箱へ近づいたが、グドンがやっていることに気づいて、また足を止める。
グドンは男の足から靴を脱がせていた。そして、脱がせた靴から中敷きのようなものを取り出し、当たり前のように自分の着衣の中へ仕舞う。
やっていることはまさに墓泥棒だった。
「グドン、そんなことしたら罰が当たるわ! だいたい、お友達の話はどこへいったの?」
慌てて彼の腕を掴んでとめようとするボウに、グドンは口をあけて笑った。
「この人はまだ死んでないよ。死者じゃないから罰も当たらない。たとえ本当に死んでいても罰が当たるかどうかは疑問だけど」
「そういう問題じゃないでしょ? 今のグドンは凄い能力の持ち主なのに、こんなコソ泥のような真似をしなくては駄目なの?」
「コソ泥じゃない。この妖族が…、ジョフウコというけど、彼がこれをおいらにくれると言ったんだ。黙って盗るわけじゃないよ」
「信じないわ」
ボウは、息子の改心を心待ちする母親の目でグドンを睨んだ。
「きみも何か欲しいものがあれば盗ればいいよ。そっちは完全に泥棒だけど」
グドンはかまわず、ジョフウコの木箱の蓋を戻すと、別の木箱を探し始めた。
「ほかにもまだ盗る気なの?」
ボウはもう黙っていられなかった。
グドンの前に立ちはだかると、通せんぼするように両腕を広げる。
「もし、もうひとつ何か盗ったら、わたしとの関係もそれでもうお終いよ。二度とわたしにも触れさせない」
グドンは優しく彼女の体を押しのけた。
「無理だよ。おいらは啓示の下りたきみの伴侶だから。絶対に離れられない。きみはおいらのこどもを産むしかないんだ」
言われたボウは首筋まで真っ赤になった。
グドンが、こんな恥ずかしいことを平気で口にするとは思いもしなかった。
「恥知らず!」
彼女が地団駄踏んでいるのもかまわず、グドンはコウギシの木箱を見つけると、よいこらしょとそれを肩に担いだ。今の彼にはそれくらいわけのないことだった。
「おいらの用はすんだから、もう出ていくけど、きみはここに残る? いっておくけど、ここには小っちゃな女の子が大好きな老人がいるよ。ボウは凄く可愛いし、ぎりぎりまだ大丈夫かもしれない。もし会ったら、よろしくいっといて」
そう言うと、彼女の返事を待たずに扉を開け外へ出た。
反撃の余地もなく取り残されたボウは、閉まったばかりの扉を前に呆然としていた。悔しいことに、「ボウは凄く可愛い」といったグドンの言葉だけが、頭の中で木霊している。
束の間あって我に返った彼女は、慌てて背後を振り返り、どの木箱がグドンのいう老人のものだろうと探す目になり、そんな自分に気づいてがっかりした。
あんなの嘘に決まってる!
そう思ったが、どうしようもなく鳥肌が立ってくる。平静を装って扉を開けようとしたが、その手が細かく震えていた。
彼女はもう一度背後を振り返り、異常がないことを確認してから、逃げるように倉庫から飛び出した。
地上へ出て廃墟の中で待っていたグドンを、蒼い顔のボウが追いかけてきた。
木箱は彼の傍らに置かれている。
「小さな動物を見つけるのを手伝ってくれる?」
文句を言おうとした彼女の機先を制するように、グドンがお願い事を口にした。
「いなかったら、虫でもいい。とにかく生き物でないと駄目」
出鼻をくじかれ、返す言葉の見つからない彼女にはかまわず、グドンはそそくさとその場を離れ、自分でも廃墟の中を探し始める。
その姿があまりに自然だったので、腹を立てていた彼女は肩透かし食った格好になった。
虫って、何?
一瞬探そうか迷ったが、これ以上グドンの言うなりになるのが癪で、転がっていた瓦礫に腰を下ろした。このまま何もしないで彼が戻ってくるのを待つことにした。
ふと見ると、グドンが運んできた木箱が置かれている。中身が何なのか、先ほどは覗いて確かめる余裕もなく、グドンが担いで出て行ってしまった。倉庫から持ち出してきた以上、それほど危険な相手とは考えにくい。思わず好奇心にかられ、腰を上げて傍へ近寄ると、そっと蓋を開いてみた。
中で横たわっていたのは女性だった。
渉不城の住民に対し、ボウはそれほど詳しいわけではない。接点もないし、特段興味もなかったからだ。木箱の女性も彼女がはじめて見る顔だった。だが、その女性がコウギシという名で、渉不城の住民だとわかった。
そうだ、と彼女はすぐに気づいた。グドンの魂と繋がったとき、記憶の中にいた半妖だ.。グドンの味方で、彼が思い入れを持つ数少ない住民の一人。
でも、この女性がなぜ倉庫の木箱の中にいるんだろう?
ついつい、コウギシの顔に見入っていると、うさぎのような小動物の耳を手で掴んでぶら下げながら、グドンが戻ってきた。
腔妖術にかかっているようで、うさぎの目が白濁している。
「その子をどうするの? まさか食べるつもりじゃないんでしょ?」
そんなことはありえないと思いつつ、凄んで見せるボウへ、グドンは苦笑し、
「違うよ。でも、万が一のことがあるといけないから、心配なら目を閉じていたほうがいいかもしれない」
「万が一? それ、どういうこと?」
グドンは、空いたもう一方の手で上着から何かを取り出す。先ほど倉庫の中で中年男性の靴の中から盗んだ中敷きのようだ。ただ実際には、中敷きではなかったらしく、よく見ると入れ口のようなものがついており袋状になっている。
その開いた口の中へ、グドンはいきなりうさぎを放り込んだ。
「あ!」
ボウは小さく叫んだが、もう手遅れだった。
うさぎは、袋の中に放り込まれる直前、意識を回復したのか体を少しくねらせた。
グドンは、袋の口をすぐに閉じると、そのまま何か変化が起きるのをじっと待つ。袋を自分の目線の高さまで持ち上げ、まるで実験結果を待つ研究者のようだ。
しばらくして視線が偶然ボウの目と合うと、歯を見せにこりと笑う。
「それは、何をしてるの? 手に持っているのは納戸袋? そんなことをしたら、うさぎが死んでしまわない?」
そんなはずはないと思いながら、彼女は一応グドンに確認した。
「かもね。だから、それを確かめようと思って」
平然というグドンに、彼女の顔色が変わった。一瞬周りの空気が凍ったように思えた。
「大丈夫。十中八九問題はないはずだから」
グドンは思わず言い訳したが、それがまったく聞こえなかったように、ボウは彼へ歩み寄るとウサギの入った袋をひったくった。
「え?」
目でグドンを睨んだまま、ボウは袋の口を開けた。
もし、ウサギに何かあったらあなたの一生はもう終わりよ。そんな目つきだ。
それでも、中からうさぎが飛び出すと、ほっと大きな溜息をつき、袋を彼へ突き返す。
「グドン、あなたにはがっかりしたわ」
捨て台詞のように言い、グドンからどんどん離れていく。
待って、と言おうとしたが、やめにした。今は何をいっても無駄なようだ。
何してる? 早く追い駆けて行ってやれよ。傍に誰か友人でもいたら、必ずそう忠告するはずの場面だったが、残念なことに今は誰もいなかった。
グドンは、調子に乗り過ぎたことを後悔し、溜息をついて頭をかいた。
ジョフウコの袋がゴウイツの別天袋と同様に生き物も入れられることを、グドンは元より確信していた。ジョフウコの袋の中に、同じ生気を感じたからだ。だが、何事にも万が一がある。それを確かめたかったのだ。
それでも、生き物を実験台に使うべきではなった、と彼は心から反省した。少なくとも、ボウの前ではやめておくべきだった。
大丈夫。彼女は戻ってくる。
自分をそう慰め、ボウのことはいったん棚上げにして、グドンは本来やりたかった作業に戻ることにした。
それは、コウギシを木箱ごと袋の中へ収納することだ。
袋の口へ近づければ、木箱は自然と袋の中に納まる。だが、それには、収納の度に、袋か木箱のどちらかをすぐ傍まで運ばなくてはならない。
それは別の物を仕舞う場合も同様で、大した手間かといえば、大した手間ではないが、面倒でないかといえば、十分に面倒だった。
実のところ、納戸袋や別天袋の存在をグドンははじめから知識としては知っていた。しかし、知識として知っているのと実際に見るのとでは大きな違いがある。壮大な自然公園を知識として学ぶのと、実際その場に立って自らの目で見るのとでは、大きな違いがあるのと同じだ。当然、受ける感動も別物だろう。だから、ゴウイツのところではじめて別天袋を目にしたときは驚いたし、感銘も受けた。
とはいっても、では、知識だけでは何の意味もないかといえばそうともいえない。ジョフウコの袋についていえば、グドンがその正しい使用法について知識を持っていたことで、結果的にそれが大きな意味を持つことになった。
具体的にそれが何かというと、器精の存在だ。
こうした超高級妖器には、器精と呼ばれるいわば妖器の精霊が宿っており、使用者は、精霊と自分の魂を繋げることで、直接妖器に触れなくともすべての作業を完成させることが出来るようになる。つまり、頭の中で何かを木箱を収納したいと思えば、それだけで自動的に収納が行われるのだ。袋の中から何かを取り出す場合も同様だった。
さらに、高級な妖器は使い込むことによって、妖器そのものを成長させることもできる。ゴウイツの別天袋などはそのよい例で、成長する従い、ただの収納袋ではなく新しい世界を形作るようになった。
問題は、妖器が高級になればなるほど、魂と精霊を繋げるのが難しくなることだ。器精は自我を持っていて、弱い者、嫌いな者に対しては同化されるのを拒絶する。グドンには、ジョフウコの袋を手なづける自信があったが、はじめてだから、やってみないとわからない部分もあった。だが、それは同時に、新たな探検に出るような高揚感を伴った。
グドンはまず、自ら袋の中へ入り込んだ。躊躇いはいっさいなかった。まさに富貴は険中に求むの心境といってよい。
しかし、グドンは、その様子を離れたところからボウが見ていたことには気づいていなかった。
グドンが袋に飛び込んだとたん、彼女は心臓が飛び出すほど驚嘆した。そして、彼をそうした奇行に追い込んだのは自分だと誤解した。うさぎを危険に晒したことで自分が蔑視したため、グドンは小動物に危害を加える気がなかったことを自ら証明しようと、こうした極端な行為に及んだに違いない、と。
グドンの元へ駆け寄ったボウは、後悔と自責の念で顔が蒼白だったが、グドンはそんなことは知る由もなかった。




