173 再会
ゴウイツは正しかった。鍾乳洞と廃墟を繋ぐ扉は鍵がかかっていなかった。
扉を抜け、廃墟下の扉の前へ戻ったグドンは、背後で閉めた扉がカチリと音をたてたのを聞いた。鍾乳洞へ向かう扉に改めて鍵がかけられたのだ。
振り返り、試しに再び扉を開閉したが、鍾乳洞へは二度と繋がらなかった。
その代わり、扉は別の場所へ繋がっていた。
石造りの牢獄だ!
そのことがわかった瞬間、ボウも解放されているかもしれないと言った、ゴウイツの言葉をグドンは思い出した。
迷うことなく、彼は扉から牢獄へと入った。
幸いなことに、その扉はグドンが向かう目的地と隣接していた。扉のすぐ横がボウの幽閉されていた牢獄で、隧道や鍾乳洞のように、彼女を探し求めて歩き回る必要はない。実際ボウは扉のすぐ脇の床の上にたった一人で倒れていた。
気を失っているものの、彼女が死んでいないことがグドンにもすぐにわかった。胸がゆっくり上下しているし、顔色も思ったほど悪くない。それでも、慌てて駆け寄ると、抱き上げ、顔を耳元へ近づけて彼女の名前を何度か呼んだ。
懐かしいボウの匂いが鼻を擽り、グドンは我慢できずにボウを抱きしめると、その頬に唇をつけた。
ボウがうっと呻いて、苦しそうに眉間に皴を寄せる。
「グドン? グドンなの…?」
やっと薄っすら目を開けたボウが掠れた声を出す。
グドンは彼女の声を聞いたことで、これが夢ではないと確信できた。その思いはボウも同じだったようだ。何とか上体を起こすと、
「これは夢なの? まさか二人共もう死んでしまって、あの世へ送られてしまったとか?」
と、ぼんやりした目を向ける。
グドンはやっと小さな笑みを浮かべ、
「ごめんね」
と謝ると、ボウの頬にもう一度軽くキスをした。
「結局、おいらはきみを助けられなかった。ボウだけを死なせることになって本当に残念だよ。自分だけ生き残るなんて最低だ。最後に、おいらは閻魔様にお願いして、きみにお別れを言いに来たんだ」
グドンの言葉に、ボウは口を窄め彼を睨むようにしたあと、掌で彼の胸を押し返し、
「死んだのは、あなたのほうよ」
と言い返した。
「ほら、顔が真っ青だし。それに、あなたにキスされても何も感じない。まるで、幽霊に口づけされたみたいだわ」
グドンはわざとらしく目を丸くしてみせた。
「仙族のきみが幽霊なんてよく言えるね。元々幽霊みたいなものなのに」
そういうと、もう一度、彼女に頬を寄せる。
彼女はクスクス笑いながら、
「ほら、何も感じない。それに、その幽霊を好きになったのは誰?」
今度はボウがグドンを抱きしめ口づけした。
二人はゲラゲラ笑いながら、硬い床の上を転げまわった。今の彼らはそれでも痛みを感じなかった。やっと恋焦がれていた相手と再会できたのだ。その幸福感で胸が一杯だった。
しばらくふざけ合ったあと、ようやく互いを解放し、
「ここにいたお婆さんは?」
と、上半身を起こしたグドンが真顔に戻って訊いた。
訊かれたボウは何ともいえない表情になる。どこからどう彼に説明すればよいのか、正直、胸の中は戸惑いばかりだった。グドンに、お婆さんはあなたの母親かもしれないと話すべきだろうか? その母親が自分にどんなひどい扱いをしたのかも?
彼女が言葉に詰まったのをまだ完全に回復できていないからだと誤解したグドンは、
「大丈夫。慌てて答える必要はないよ。それより、体はもう何ともないの? 転がったりして痛くなかった?」
と思いやる。
ボウは首を横に振り、
「今は嘘のように何ともないの」
さらに、彼女が何か説明しようとするのを、グドンは手を挙げて遮り、
「とりあえず、ここを離れよう。牢獄はゆっくり話をするのにふさわしい場所じゃない」
と立ち上がる。それから、手を差し伸べボウが立つのを手助けした。
立ち上がったボウは、着衣の汚れをはたき落とすと、ようやく恥じらいの戻った顔で乱れた髪を整えた。
「どこへ行くの?」
言われてグドンも困惑する。どこへ行くべきか考えていなかった。それに、二人が行くのに相応しい場所があるとも思えない。天妖都には今、二人が安全に話せる場所などどこにもなかった。それどころか誰が敵で誰が味方かもわからない状況だ。とりあえず情報局へは戻れない。前回の経験からすると、町の宿も安全とはいえなかった。
では、このまま天妖都を離れるか? それも選択肢ではあるものの、その前に、今回の出来事をボウと一緒に詳しく考えてみる必要がある気がした。二人の経験をすり合わせて分析すれば、次はどうすべきか、自ずと明らかになるかもしれない。
一番いいのは、ほかには誰もやって来ない場所を選ぶことだ。その条件に合う場所として考えられるのは、やはり扉の向こう側だろう。しかし、鍾乳洞への扉は鍵がかかってしまっているし、倉庫へは、たとえ行けたとしても、ボウと二人で行くのは気が引ける。まるで墓場で密会するようなものだ。といって、隧道は誰でも入ってこられる状態だ。
そう考えてみると、意外にも、今いる牢獄は、二人がゆっくり話をするのに一番適した場所である気もした。
「あのお婆さんはもう戻ってこないよね?」
グドンは改めて確認した。仮に戻ってきた場合、今のドンに、老女を撃退する能力はない気がする。
「戻ってこないと思うわ。何かから逃げるように出ていったから」
グドンは頷きながら、
「ここはいったい、誰が、何のために使っていた部屋だろう?」
と改めて周囲を見回す。
通路との間に嵌まっていた鉄格子は、妖獣の出現以降、跡形もなく消え失せていた。
それに気づいたボウも眉を顰める。元々実体がなかったのか、それとも妖獣が何らかの方法で消したのか…。いずれにせよ、今は自由に出入りできた。
「この部屋から出たことはある?」
グドンの問いに、ボウは首を振る。
「ないわ」
わたしは、ここでずっと激痛に耐えながら倒れていたの。時には公園へ行ったりしてお茶を飲んでたわけじゃないのよ。
続けてそう言いそうになったが、自分がグドンに甘えようとしていることに気づき、ボウは慌てて言葉をのみ込んだ。
「この部屋の外がどうなっているか、見に行かない?」
彼の腕をとり、自ら牢獄の外へとグドンを誘う。
二人が廊下へ出ると、通路の先に上階へ繋がる石段が見えた。
迷わずそれを上がっていく。
牢獄のあった部屋は建物の地下にあったようだ。階段は長く、何度か折れ曲がってようやく次の階へ出た。どうやら、ここが地上一階のようで、小さな窓から外の様子がうかがえた。
見えた景色に、二人は思わず顔を見合わせる。
そこは風光明媚といってもよい湖の畔だった。二人がいるのは、その湖畔に建てられた別荘のような建物らしい。周囲にほかに建物はなく、湖の反対側は森に囲まれている。
二人はしばらくの間、冬の陽光に照らされた外の景色を眺めていたが、気を取り直して、さらに上階へと向かった。
建物は別荘といっても、かなりの規模があるように思えた。地上三階まであり、全部で十以上の部屋がある。しかし、長年使われてこなかったのか、大半の部屋は埃が積もり、壁紙がはがれて、床板にも所々穴が開いていた。
「一度使われなくなった建物を、誰かがあとから修理したのかもしれない」
グドンがポツリと呟くと、ボウも賛同するように頷いた。
二人は最上階の三階から、見て回ることにした。
牢獄が一室しかない地下とは違い、上階は何室もあって広々としていた。だが、大半の部屋は荒廃してしまっている。その中で、一室だけ綺麗に修復され、つい先ほどまで誰かが生活していた匂いの残る部屋があった。
その部屋に入ったとたん、二人は瞠目し、しばしの間、その場から動けなくなった。
部屋が豪華だったとか、特殊だったりしたわけではない。むしろ、室内は質素で、生活に必要な最低限のもの以外何もなく、がらんとしていた。
二人が仰天したのは、壁に貼られた何枚もの肖像画だ。
大小様々で、最大のものは等身大と思える大きさのものまである。描かれている対象はどれも同一だが、描かれた年代が違うらしく、十歳前後のものもあれば、すでに青年といえる年頃に成長したものもあった。
二人が瞠目したのは、その肖像画のモデルがどれもグドンとそっくりだったことだ。いや、そっくりなどというレベルではない。肖像の対象がグドンそのものなのは間違いなかった。
しばらくして、一時の衝撃から解放された二人は、ようやく室内へ入ると、その肖像画を一枚一枚見て回った。
これらがいつ、どこで、誰によって描かれたかわからない。しかし、誰かがずっとグドンを観察していたのは疑う余地がなかった。そんな情景を想像し、グドンは思わず背筋が寒くなった。
この部屋の住民は、どんな思いでこうした肖像画を室内に貼り巡らせたのか?
考え込んだままのグドンの腕に、ボウは優しく手を添えて、
「わたし、グドンに話さなくてはいけないことがあると思う」
と言った。
振り向いたグドンは、そこにボウの苦悩を見た気がして不思議に思った。なぜ、ボウがおいらの肖像画に心の負担を感じなくてはいけないのか?
「これはきっと、あの老女の部屋だよね?」
と、グドンはボウに尋ねるでもなく言った。
「わからないけど、たぶん、そうだと思う」
そう答えた彼女は、とりあえず座りましょうとグドンを促した。衝撃を受けたとき、グドンがどんな反応を示すかわからなかった。
部屋の片隅に置かれた寝台へ誘うと、グドンは、何ら抵抗することなく手を引かれるままについてきて、そこに腰を下ろした。
だが、腰を下ろし、その視線の先にあったものを見たグドンは、先ほどよりもさらに強い衝撃を受け、内心あっと声をあげ刮目した。
それは小さな位牌に見えた。
黒い漆の塗られた本体に文字が刻まれている。その中の二文字に、グドンの目は吸い寄せられ、そのまま動かせなくなった。
“ジュウイツ(柔一)”
その二文字はそう読めた。




