169 ゴウイツの悪魔
「おいらの命?」
「そうだ」
「それは、この鍾乳洞に何かの危険が潜んでいるということ?」
そうであれば、願ったり叶ったりだ、とグドンは思った。老女が彼をここに送り込んだ理由がわかる可能性があるからだ。
「それは、どんな…」
グドンの問いに、老人はなぜか大きく溜息をつき、それから、ふと思いついたように、
「おまえはさっき空を飛んできたな。であれば、溶岩の滝までそれほど時間はかからないだろう? それなら、ひとっ飛びして、溶岩を一抱え運んできてくれ」
と言った。
「溶岩を一抱え?」
意味が分からず眉根を顰める。
「小さな欠片が幾つかあれば十分だ。風呂のお湯が冷えてきたからな。温め直さないと、かぜをひいてしまう」
そう言うと老人は鼻をすすって見せた。
湯船の中を確かめると、冷えて黒く変色し始めた溶岩らしき塊が、いくつか底に転がっている。その塊の中心がまだほんのり赤らんで見えた。
何か言いかけたグドンは、老人のいう意味がやっと理解できて体をぎくりと震わせた。
「お爺さんは、溶岩を手で掴めるの?」
「掴めるだろう?」
老人は当たり前のように言う。
「それより、その爺さんというのは…。いや、爺さんでもいいか。実際、死にかけの爺だ。おまえは溶岩も掴めんのか?」
生まれて以来、こんな役立たずは見たことがないといった顔だった。仮にこれをボウや渉不城の仲間が聞いたらどう思うか、グドンは是非とも訊いてみたかった。
溶岩は手で掴むものなんだ!
ゴウイツは諦めたように手を振った。
「もういい。そろそろ風呂から上がろうと思っていたし…」
いうが早いか、ゴウイツはすっくと立ちあがり、岩を組んで作った湯船を跨いで外へ出た。
見たくないものを見てしまいそうで、思わず顔を背けようとしたグドンだが、気づくと老人はすでに服を着ていた。どうやったのか、まさに目にも止まらぬ速さだった。
瞬間移動するより凄い能力だ!
感動した彼は、まさに英雄を見る目でゴウイツを見た。出来ることなら、土下座してでもゴウイツに弟子入りしたかった。
まず、素手で溶岩を掴む方法を学ぶ。次は濡れた体を拭くことなく風呂から上がり、瞬時に服を着る方法だ。どちらも他者を傷つける心配がなく、実用性にも富んでいる。これこそ、自分が心から望んでいた能力だという気がした。
そうそう。さらに、老人の大声にも耐えられる能力!
たとえボウの救出に役に立たなくとも、ゴウイツの傍を離れるのが惜しくなってきた。
「いや、いかんいかん。おまえがおかしな茶々を入れるから、また話が本題からそれてしまったではないか」
まるでグドンに責任があるように老人が非難した。グドンは不服だったが、ここは老人の顔を立てることにした。仮にも祖父と孫の関係にあるわけだし、場合によっては、師匠と弟子の関係になるかもしれない。
「何の話だったか…?」
思い出そうとする目になった老人に、グドンは、
「鍾乳洞に潜んでいる危険の話だよ」
と助け船を出した。
「そうだった。おまえがここにいるのは、危険なんだ」
「具体的にどんな危険があるの?」
ゴウイツは困った表情でグドンを見た。言わなくともおまえには想像できるはずだ、とでも言いたげだ。
「え?」
グドンには、本当にわけがわからなかった。
老人はさらに逡巡したのち、言い難そうに口を開いた。
「わしのことを何も聞かされていないのか? セイイツから直接でなくとも、噂を耳にするといった形で…」
グドンはやっと老人のいう意味がわかった気がした。老人がいう事情とは、グドンが渉不城で軟禁状態にあったこととも関係している。彼の家系、とりわけ曾祖父からセイイツまでの三代が稀代の殺戮者と称されていたことだ。セイイツの父親に関していえば、不治の病を患い、常軌を逸して大ぜいを殺害したのち、自分も自害して果てたと聞いている。
あれ? 不治の病にしては随分長生きしてないか? 常軌を逸しているようにも見えないし、いくら何でも、自害して果てたというのは無理がある。
グドンが何を考えているかわかったのか、ゴウイツはいかにもばつが悪そうだった。
それでも、グドンが笑顔でその場をとりなそうとすると、老人は自ら釈明を始めた。
「まず、不治の病で常軌を逸したというのは嘘だ。常軌を逸したのは事実かもしれんが、ただ嫉妬に狂っただけだ」
「嫉妬に狂った?」
「妻に好きな男が出来たんだ。挙句に二人で逃げようとしよった。それで、わしは相手の男を捕まえてたたき斬った。絶望した妻は、男のあとを追って自殺したよ。事実はそういうことだ」
もし、ドミアールがこの話を聞いたら、何と言うだろうか? なぜ、死んだはずのゴウイツの妻が生きているのか? ゴウイツの場合と同様、ただの作り話だったといいうことか? しかし、妻の場合は、噂ではなく、ゴウイツ自身が自殺したと言っている。であれば、ドミアールは偽者なのか?
だが、このときグドンはもちろん、老女がゴウイツの妻と名乗っていることを知らない。
ゴウイツは話を続けた。
「しかし、英雄がそれでは格好がつかんだろう? だから、皆して、そんな話をでっちあげたんだ。英雄の失踪に相応しい話をな」
グドンは何と言ってよいのかわからなかった。
しかし、歴史書の中身は大方がこんなものかもしれないという気がした。歴史書は元々その時代の覇者が残すことが多い。当然、自らの武勇伝は誇張して描き、知られてまずい部分は削除するだろう。覇者本人にその気はなくとも、周りが忖度することもある。ゴウイツの場合は、恐らく後者だろうとグドンは推察した。
「じゃ、大ぜいを殺害したというのも…」
「大ぜい殺したさ。だが、それは妻とは何の関係もない。国同士が攻め攻められ、当然多くの血が流される。稀代の人殺しというのは、強ち間違ってはいないかもしれん」
それにしても…。
グドンが不思議なのは、老人がなぜここに監禁されているかだ。
それも、監禁したのはどうもセイイツらしい。
噂の通り、その後も老人が無辜の民を大量殺戮したというならともかく、大量殺戮はなかったと言っている。それが嘘とも思えない。今さらグドンに嘘を言ったところで何の意味もないからだ。
配偶者の浮気相手を殺したとして、これほどの懲罰を息子であるセイイツが与えることがあり得るだろうか? 何といっても、ゴウイツは一国の主だった。一般の民衆とは違う。普通なら、浮気相手を殺したことくらい、噂にすらならないのではないか?
どうにも、話の脈絡が掴めなかった。
さらに肝心なのは、この老人と一緒にいるとグドンの命が危ないという話だ。
これはいったい、どういうことだろうか?
そうした疑問を、グドンはゴウイツに対し単刀直入にぶつけた。
ゴウイツは再び大きく溜息をついた。
「セイイツはわしを守ろうとしているんだ」
「守る?」
グドンは改めて周囲を見回した。
確かに住居環境としてはそれほど悪くはない。だが、何といっても、監禁状態だ。周辺には話し相手すらいない。手枷足枷こそしていないが、牢獄に繋がれているのとどれほどの違いがあるだろうか?
「自殺に成功はしなかったが、自殺しようとしたのは本当の話だ。今でも時折発作が起きて自殺の衝動にかられることがある。セイイツはそれを阻止しようとしている。だが、四六時中監視するのは無理だ。仮に、監視していたところで、わしが自害するのをどうやってとめる? セイイツの能力はわしを超えているが、といって、何でもできるわけではない。ましてや、相手を傷つけては意味がないのだから、至難の業だ」
「じゃ、どうやって…」
グドンは本心から興味を感じて訊いた。
「悪魔の心さ」
「悪魔の心?」




