162 生きている
グドンは夢を見ていた。
少年がいる。その周囲には無数の死体が転がっていた。
そのどれ一つとして五体満足といえるものはなかった。手、足、首、必ずどれかが捥ぎ取られている。もちろん、手、足、首、すべてがバラバラに引きちぎられているものも多かった。
遺体はすべてこどものもののようだ。どれも汚れてはいるが大人にしてはか細く、小さい。
少年はグドンに似ていた。恐らく十歳くらいだろうか。その体が今、細かくがたがたと震えていた。周りの凄惨さに恐れをなしたからではない。遺体を傷つけたのは彼自身だ。そうではなく、自分の目の前に立つ、一人の男の厳しい視線に耐えられなくなったからだ。
少年は相手にふふと笑って見せた。幼気ないこどもの振りを装って。そうすることで、許してもらえたことが何度かあった。
おれはあなたの息子でしょ? 可愛い息子でしょ? こんなつまらないことで家族がいがみ合うなんて馬鹿げてるよ。それに、次からはもっといい子になってみせるから。
だが、今回は、相手に許す気はないようだった。
一言も何も発せず、汚らわしいものを眺めるように自分を見ている。
「父さん、おれをどうするつもり? 殴るの? ひょっとして殺すつもり?」
突然、開き直ったように、少年は口元を歪めて男の目を見返した。
「でも、そんなことをしたら、母さんがどれほど悲しむかな? こんな何の価値もない奴らのために、父さんが息子を手にかけたと知ったら、きっと耐えられないと思うよ。死ぬほど傷ついて、自殺しちゃうかもしれない。それでもいいの?」
男は黙って何度か首を振る。
「おまえはわたしの息子ではない。ただの畜生だ」
それを聞いた少年は鼻で笑って見せる。
「じゃ、誰の子? 母さんが一人で産んだの? それとも別の男との間にできた子?」
悲しみに満ちた目で溜息をつくと、男は優しく撫でるように少年の頭に手を置いた。
「大丈夫だ。痛みはない。苦しみも続かない。ここで、おまえに無残な殺し方をされた子たちからは不公平だと罵られるかもしれん。だが、それもわたしは喜んで受け入れよう」
「もう決めたんだね?」
少年の体の震えはいつの間にか止まっていた。今は微塵の恐れも見せず強い声で男に念を押す。
「おれを殺すと決めたんだ。だったら、やれよ、畜生のおやじ。あんたには子殺しがお似合いだ」
少年の頭に置いた手に、男は少しだけ力を込めた。
少年の口が無意識に少しだけ開く。薄く開いた唇の間から、何か白い煙のようなものがゆっくりと流れ出た。
少年の瞳が少しずつ輝きを失っていく。まるで腔妖術を受けたときのようで、白濁し、その目には恐らくもう何も見えていない。
ゆっくりと、ゆっくりと、少年の体が背後へ倒れていく。
ほかの多くの死体に混じって床に横たわり、やがて、そこで動かなくなった。
少年の躯を見下ろした男の目から、はじめて光るものがこぼれ出た。
それは彼の頬を伝わり、顎の先から床へと滴り落ちる。
「静かに眠るといい。わが子よ」
男は少年の躯に背を向け、一歩二歩と遠ざかる。
少年の躯は、ほかのこどもたちと同様、ここに放置するつもりだった。ここに放置し、やがてそれが腐乱して土に還るに任せる。少年には墓に入る資格はない。男はそう心に決めていた。
だが、そのとき、彼はふと何かを感じて背後を振り返った。
そして、そこで見たものに、驚愕の目を見開いた。
奇跡だ! 生まれてはじめて目にした本物の奇跡…。
男は、その場に呆然と佇んだまま動けなくなった。
グドンは目を覚ました。
そのときまず知ったのは、自分がまだ生きているという事実だった。
そうした感慨が、大蜘蛛たちとの戦闘に敗れたあとも生き残ったことから生まれたのか、はたまた、夢の中で男に殺されながら今も生きていることからきているのか、彼自身判別がつかなかった。
とにかく、おいらはまだ生きている。
大事なのはそのことだった。その上で、一番最初に脳裏に浮かんだのはボウのことだ。今、彼女はどうしているだろう? まだ生きていてくれるだろうか? いずれにせよ、一刻も早く、彼女の元へ駆けつける必要があった。
だが、ここはいったいどこだろう? 薄暗い、湿った室内、体の下は冷たい石畳…。
まず思い浮かんだのは、ボウが囚われているはずの牢獄だ。仮に自分もそこに監禁されているのだとすれば、彼女はすぐ傍にいることになる。
彼の推測はまず一つの点において当たっていた。グドンの視線の先に見える小さな窓には、鉄格子が嵌まっていた。つまり、ここも牢獄ということだろう。
石造りの部屋にはやはり鉄製と思われる扉が一枚ついている。それ以外はほとんど何もない。簡易の寝床も椅子一脚さえ置かれていなかった。
だが、ボウがいた石造りの牢獄とはどこか違う気もした。
とりあえず体を起こそうと、グゴンは体に力をこめた。そのとたんに頭に激痛が走った。
戦闘の最後、ゴリラに槌で頭部を殴打されたのを思い出す。
思わず手を持っていったが、意外にも、頭皮に異常はなさそうだった。割れてもいないし、瘤一つできていない。
石頭…。何となくそんな言葉が頭に浮かんで、思わず笑うと、また激痛が走った。
外見は何ともないのに、内部はかなりのダメージを受けているということか? それは明るい兆候とは思えなかったが、グドンは気にせず、体を起こして胡坐を組んだ。
奴らはなぜおいらを殺さなかったんだろう?
そのことが何とも不思議に思えた。自分は彼らの仲間を傷つけ殺した。憎しみは強かったはずだ。それなのに殺さなかったということは、まだおいらに何か利用価値があるということだろうか?
利用価値? 肝心なのは、それが何なのかまったく見当がつかないことだった。天妖都へ来て以来、陰の人物が見せている謎の行動の理由が、グドンにはいっこうにつかめない。
まあ、それはともかくとして、今は、この牢獄から逃げ出すことが大切だった。だが、それも容易には叶いそうにない。奴らも馬鹿ではないから、簡単に脱獄できるような状態で放置してはいないだろう。
案の定、牢獄の壁を通り抜けようとしたが駄目だった。
隧道への扉をすり抜けたときのように体を透明にしたが、無様にはね返されただけだ。何度も試したがまるで歯が立たなかった。
瞬間移動も出来なかった。この牢獄そのものがそうした作りになっているのか、何かの妖術がかけられているのかわからない。とにかく、壁の向こう側をいっさい透視できず、何も見えないから移動もできなかった。
それならと、窓から逃げようとしたがそれも駄目だった。窓からは外の景色が見えるが、まるで空間を歪められない。ひょっとして、この外景は偽物なのだろうか?
逃げられないとしたら、どうすればいいのか? グドンは正直途方に暮れた。
あとは、ただじっと相手の出方を待つしかない。
このまま何もせず自分を放置することはないはずだった。捕えた以上、いずれ誰かが姿を見せるに違いない。そのとき、逃げ出すチャンスがあるかもしれないし、少なくとも、相手が何を求めているかわかる可能性はある。
そう心に決め、気分を落ち着かせると、急に何やら腹が減ってきた。
「ねえ、誰かいないの? おいら、腹が減ったよ!」
大声で叫んだが、返事はなかった。
これからどれくらいの時間、ここに閉じ込められることになるんだろうか? そう思うとさすがに気持ちも萎える。やれることといえば、これまでのことを頭の中で整理することくらいだが、整理しても何かよい結論が出るとは思えなかった。
それでも仕方なく彼は思考を巡らせた。まず一番は、自分がまだ生きている理由だ。
おいらはセイイツに殺された。畜生と罵られたうえで殺された。なのに、今もここにこうして生きている。これをどう考えるべきか?
考える? そんなこと考えるだけ無駄だという気もした。それでも無理に想像するなら、おいらは悪魔の化身だから、セイイツの力でも殺せなかった、というのはどうだろう? まったく馬鹿々々しいにもほどがある。
絶望的な思いに、溜息をつくと、グドンは仰向けにごろりと横になり目を閉じた。
今は、下手の考え休むに似たりかもしれない、と思った。充分眠って、少しでも心や体の傷を軽くする。それが今一番求められることであり、自分に出来る唯一の価値ある行動なのかもと。
そう決心した彼は、ゆっくり深呼吸を繰り返し、その呼吸音を聞くことだけに意識を集中した。
眠りに落ちる直前、やはりボウの顔が脳裏に浮かんだ。
万が一、ボウに何かあったら、おいらは復讐せずに済ますことができるだろうか?
復讐だけに明け暮れる一生…。
グドンは、自分の中にも暗い影が息をひそめているのを痛感し嘆息した。
わたしはまだ生きているの?
目を開け、石畳の床の上で上半身を起こしたボウは、それが信じられず何度か小さく首を振った。
夢を見ているんじゃないかと疑ったが、夢ではなかった。
腹部の痛みは、奇跡的に収まっていた。今は体のどこにもまったく異常が感じられない。
立ち上がれるだろうか?
そう思って、片手を床についたとき、頭上で女の声がした。
「やっと目を覚ましたのね? いくら何でも時間をかけすぎよ」
声の主がドミアールなのはわかっていた。
だが、今は彼女の顔を見たくない。顔を背けようとすると、冷たい手が伸びで、ボウの顎を捉え、無理やり上へ向けさせた。
ドミアールは怒っているというより、何かに待ちくたびれてウンザリした表情をしていた。
「次はもう少し早く解決して頂戴ね。一件に何日もかけていたんじゃ、いつまでたっても終わりゃしないじゃないの」
何が終わらないのかは、言われなくてもわかる気がした。治療師としての修行だ。
ボウは後退って逃げようとしたが、はじめから無駄な悪あがきなのはわかっていた。ドミアールは、当たり前のように指先で彼女の額に軽く触れた。
「う!」
今度も下腹に鈍い痛みが走る。
ボウは憎しみの籠った目で相手を睨んだが、まったく効果はなさそうだった。
「前回のお勉強で、お腹が痛くても、原因が腹部にあるとは限らないとわかったでしょ? これは貴重な教訓よね? 今回の痛みの原因は目にあるかもしれない。いいえ、鼻かもね。でも、痛みがあるというのは有効な手がかりよ。あなたへの贈り物といってもいい。今度は二十四時間以内に解決してね。でないと、退屈しちゃうし、腹も立つ」
「あなた、わたしに何をしたの?」
ボウはやっとそう言い返した。
「何をした?」
心底理解に苦しむように、ドミアールは小首を傾げて見せる。
「あなたは、わたしに何かしたのよ。でなければ、わたしに病が何かわかるはずがない。前回、病が何か見つけたのはわたしじゃない。もちろん、病が勝手に告白したわけもない。あなたが、わたしに何かしたんだわ。その力のせいよ。そうでしょ?」
驚いたように体をのけ反らせ、目を丸めて見せたドミアールははじめて笑顔になった。
「あの子が気に入るだけあって、まんざら馬鹿でもないようね。でも、だからって、制限時間を甘くしたりはしないわよ。さあ、始めて。わたしは何の病でしょう?」
それだけいうと、ドミアールは彼女に背を向けた。
二人の間に、再び、白い幕が下ろされる。
ボウは思わず臍を噛んだ。いいように遊ばれているのが悔しかったからではない。元々考えていた計画を実行に移すことに失敗したからだ。
ドミアールには仙族が見えない。そのことを利用してここから逃げ出す計画をしていた。これまで実行しなかったのは、罹った病を治せるのがドミアールしかいなかったからだ。逃げたところで、不治の病に罹ったままでは何の意味もない。
前回の病名を告げたのが誰にしろ、腐った内臓を治療したのは明らかにボウではない。治療能力は、相変わらずいっさいないのだ。そうであるなら、病を抱えたまま逃げるのはむしろ滑稽だった。
逃げるなら、病が癒えた瞬間に決行するしかない、それが唯一のチャンスだと計画していた。それなのに、生きていることが信じられず、ぼんやりして、ドミアールに再び術をかける隙を与えてしまった。
次こそ、絶対に次こそ、あの女から逃げて見せる。
自分の姿が消えてオロオロするドミアールの姿を想像すると、ボウは今から楽しみで仕方なかった。
腹を立てることも、無駄な抵抗もやめて、ボウは再び石畳の上で横になった。
さあ、誰なのか、何なのか知らないけど、わたしが罹った病が何か教えて頂戴。それまではどんな痛みにも耐えて見せる!
ボウは決心すると、ドミアールがいるはずの白い幕の向こうを睨みつけた。




