161 敗戦
そのころ、チンスはようやく地上へ出て上空を見上げた。
視線の先に現れた四人の最高幹部を見て、開けた大口を思わず掌で覆う。
チンス自身、彼らの姿を目にすることはほとんどなかった。ましてや四人がそろっているのを見るのは正真正銘これがはじめてだ。
彼女はグドンを心配すると同時に、もの凄く興奮している自分に気づいた。
これほど盛大な見世物は見たことがなかった。入場料が必要なら幾ら払ってもよいくらいだ。いや、主催者として、見物客から入城料を徴収できないか、彼女は本気で考えた。
これほど妖族の血が騒ぐのはいつ以来だろうか?
賭けをするなら倍率はどのくらいが妥当? 十対一で最高幹部が有利、いや、百対一でないと賭けが成立しないかもしれない。
ノミ屋がいないか周りを探したが、誰もいなかった。
そのとき、グドンが動いた。
視界からパッと消えたと思うと、次は女の最高幹部のすぐ横にいた。これにはさすがに女幹部もヒッと悲鳴を上げる。だが、驚くべきはそこではなかった。
グドンが元いた場所と女性幹部の間には今や、何も存在していなかった。
いや、存在はしているが、それは先ほどまでいた妖獣ではなく、バラバラになったその残骸だった。グドンが移動した跡には、生き物はもう存在していない。
グドンは瞬間移動を使った。だが、今回は体を縮小させることなく、逆に巨大化させた。巨大化した状態で女幹部の横へと瞬間移動したのだ。その結果がこれだ。
グドンはほとんど体力を消耗することなく、瞬時に、妖獣を粉砕して見せた。
女性幹部が、先ほどの無様な失態を取り繕い平静な表情に戻ったとき、グドンが再び瞬間移動して、周辺に残っていた妖獣を始末した。
上空にはもう一体の生きた妖獣も残っていない。
空を見上げたチンスは体の震えが止まらなくなっていた。
これがグドンの本当の能力なの? 蟻巣島の崩壊にグドンが関係していると報告を受けたときも、どの程度の関与なのか、正直半信半疑だった。それが今、彼の関与の内容をはっきり思い知らされた。
グドン、あなたはいったい何者?
「この町に残って自分を強くしたくないの?」
と彼に説教を垂れた自分を思い出し、冷や汗が出た。まさに穴があったら入りたい心境だ。
「これで、どう? おらにはあなたに質問する資格がある?」
グドンの言葉に、四人の最高幹部は互いの顔を見合わせた。
「今回の一件には、たぶん、誤解があると思う」
組んでいた腕組みをいつの間にか解いた老人幹部が、柔和な表情をグドンに向けた。
「誤解?」
グドンは失笑を禁じ得ない様子で老人を見つめた。
「もう一度訊くよ。ボウはどこにいるの?」
老人が苦り切った表情で黙り込む。
少なくともこの人たちには、ボウが今どこにいて、ご主人様が誰なのか話す権限がなんいんだ。
グドンはそう理解した。とはいえ、追及の手を緩める気はない。ここにいる四人だけが、ボウを探し出す唯一の手掛かりなのだ。
「次はあなただ」
グドンは女幹部を指さすと瞬間移動した。
女性幹部の周辺で空気が微かに揺れた気がした。彼女はグドンが動く寸前に、その行動を察知して逃げようとした。
全速で飛行し始めた彼女の脇を、何かがその何倍もの速度で通り過ぎる。
「ギャッ!」
束の間あって、立ち止まった彼女は、自分の右腕がなくなっているのに気づいて悲鳴を上げた。
「わ、わたしの右腕が…!」
痛みに耐えながら、グドンに向かって散々罵り声をあげる。その怒りはさらに黙ったままの仲間三人へも向かった。
「いつまで、そこに突っ立って眺めているつもり?! この小僧は頭がいかれているのよ。それがわからないの!」
やっと、老人の一人が目で合図すると、残りの二人もそれぞれ別々の方向からグドンを取り囲むように突進した。
一人は槌、一人は剣、もう一人は小刀の妖器を手にしている。
「出来るかぎり殺すな!」
一番若手の一人が叫んだが、誰も返事をしなかった。
彼らに続いて、女性幹部も残った左手に網状の得物を握りグドンに向かっていく。
最初にグドンの体へ到達したのは小刀の飛び道具だった。飛来した三本の小刀が彼の腹部に刺さった、と思った瞬間、グドンの姿が朧げになり、次の瞬間、もう十メートル以上離れたところへ移動していた。
小刀が刺さったと見えたのは、彼の残像だった。動きがあまりに速いため目が錯覚を起こしたのだ。
次いで,下方からグドンの脇腹へと剣が振り払われる。
彼が体を丸め、それを寸でのところで避けると、そこへもう一人の槌が振り下ろされた。最後に女の網が蜘蛛の巣のようにグドンへ向かって広がる。
グドンの手から沸き起こった風が槌の行く手を阻み、両者が衝突した刹那、火花が散ってガンと大音響が響いた。グドンの動きに撹乱された蜘蛛の巣は狙いを外れて、仲間の一人に絡まる。
グドンは再び瞬間移動した。
狙いは小刀を使う老人だ。だが、老人の体を粉砕したと思った瞬間、グドンは何かにはね返され、後方へ弾き飛ばされた。
老人の姿がセンザンコウに変化する。その全身が固い鎧に覆われていた。瞬間移動は、センザンコウの固い表皮に行く手を阻まれたのだ。
小さく唇を噛むグドンへ、再び剣が振り下ろされる。
我を取り戻したグドンは、剣を避けるとともに、間髪おかず本体を透明化し、同時にセンザンコウの脳内へ侵入した。
もう手加減している余裕は彼にもなかった。
脳内にいた老人の分身に向け腔妖術をかける。
老人の目が驚愕に見開かれた。
「脳に入られた!」
センザンコウが叫んだが、それと同時に、すでに目が白濁し始めている。
残りの三人の顔がそろって青くなった。
「脳へ入られただと?!」
それでもかまわず老人が大上段から振るった剣がグドンを捉えようとしたとき、目の白濁したセンザンコウがその前に躍り出た。
「何をする!」
思わず剣を止めようとしたが手遅れだった。
剣は、無防備なセンザンコウの頭部にぶすりと突き刺さったまま、そこで停止した。
「ぐああ…」
剣の切っ先はグドンの瞬間移動より鋭利だったようだ。センザンコウの口元から真っ赤な血が糸を引いて流れ落ちていく。
剣を握った老人の手の力が思わず緩むと、支えを失ったセンザンコウは、剣を頭に刺したまま真っ逆さまに地上へと落下し始めた。
「この糞ガキ! 殺してやる!」
剣をなくした老人が麒麟もどきへと姿を変えた。興奮のあまり人族の姿を維持することが出来なくなったようだ。
次いで女幹部も大蜘蛛へ、若者はゴリラに変化する。
グドンは再度姿を現すと同時に全身を炎と燃え上がらせた。そのままゴリラへ向け、再度瞬間移動しようとする。そのとき、ゴリラは持った槌で自らの胸を殴打した。
ゴーン。
太鼓というより、鐘をついたような音がして、周りの空気がぶるぶる震えた。その震えはやがて周囲の空間全体へと広がり、その影響で、瞬間移動しようとしていたグドンは空間を歪めることに失敗した。
空間が歪まない…!
「どうだ、小僧。移動できるなら空間移動してみろ!」
ゴリラが笑うと、グドンの動揺を見てとった大蜘蛛が、すかさず蜘蛛の巣を投擲する。
グドンは慌てて風の刃でそれをはね返した。
薄い風刃は蜘蛛の巣を弾き飛ばしたあと光を受けて輝きながら、空中でカーブを描き、ゴリラ目掛けて飛んでいく。
ガキン!
ゴリラは槌でそれを払ったが、風刃の勢いに押されもう少しで槌を持って行かれそうになった。握った手が傷ついたらしく思わず顔を顰める。
「何て力だ。ただの小僧じゃないぞ、こいつは!」
グドンが次の風刃を送ろうとしたとき、それを見た大蜘蛛が口から何かを発射する。
細い細い針のようなものだ。
一本と思えた針は空中で十本以上に別れ、それがばらばらにグドン目掛けて飛んでいく。
グドンの体の周辺で凄まじい竜巻が起き、迫った毒針を撥ね飛ばしたが、風を逃れたその内の一本がグドンの左腕を微かに掠めた。
「当たったわ!」
大蜘蛛が歓喜に大声を上げる。
「わたしの蜘蛛針にやられて十分持ちこたえた奴はいない」
とたんに、グドンの半身に微かな痺れが広がり始めた。
毒針か…!
グドンがどう対処するか考える間もなく、ゴリラが再び槌を持ちグドンに迫る。今度は槌を自らの掌へ打ち付けると、グドンの脳内に痛みが走った。
グワーン! 脳内で響き続ける音に思わず集中力が途切れそうになる。
おいらは負けるわけにはいかない。負ければ自分だけでなく、ボウも死ぬことになる。
グドンを包んだ炎がさらに大きく燃え上がり、近づくゴリラを焼き尽くそうとした。ゴリラは慌てて後方へ下がったが、すぐ傍にいた麒麟もどきに燃え移り、麒麟はそれを消そうと周りを飛び回り、挙句は地上へ下りて地面を転げまわった。
続いて、ゴリラと大蜘蛛が同時に左右からグドンに迫る。
ゴリラは首にかけていた数珠のようなものを宙に投げる。すると数珠玉はバラバラになったあと、空中で何度か旋回し、その後、勢いをつけてグドン目掛け飛んでいく。
グドンが風刃で必死にそれを払い落としたが、劣勢に立たされているのは隠しようがない。
今が好機と見た大蜘蛛が再度蜘蛛の巣を投げた。
グドンは逃げようとしたが、蜘蛛の巣はぎりぎりでグドンの足に絡まった。
グドンは炎を蜘蛛の巣目掛けて放つ。だが、いくら続けても肝心の蜘蛛の巣は燃え上がらない。それどころか、グドンを捕えたあと、小さく縮んで彼の両足を締め付けようとする。
そこへ、ゴリラの槌がまた振り下ろされた。
グドンはそれを幾重にも重ねた風の層で受け止めようとしたが、今度は受け止めきれなかった。
風で勢いが弱まった槌は、それでも、確実にグドンの体を捉えた。
ゴン!
強い衝撃がグドンの全身を貫く。
蜘蛛の巣諸共、何メートルも飛ばされたグドンは、ようやく空中で停止したものの、体をくの字に折り曲げ、口から何度も血を吐いた。
仲間の頭に刺さっていた剣を引き抜いた麒麟もどきは、束の間、死んだ仲間の躯に悲哀の視線を向けたあと、地面をけって空中へ戻り、そのままの勢いで、グドンの眉間をめがけて剣を突き出す。
「仲間の仇だ。この剣を受けてみろ!」
グドンは一瞬、この世の動きが停止したように感じた。
おいらは死ぬんだ…。
ごめんよ、ボウ。これが今のおいらの精一杯だ。
死後の世界があるとして、半妖と仙族は同じ場所へ行くことができるだろうか? 同じであればいい、とグドンは切に願った。それなら、たとえ死んでも後悔はない。
剣の切っ先がグドンの眉間を捉えた、と誰もが思ったとき、何か強い力が剣身を弾き飛ばした。
麒麟もどきは剣ごと数メートルも吹き飛ばされ、何度か回転してやっと体勢を立て直した。
「誰だ、邪魔した野郎は!」
大声で叫んだ麒麟もどきの脳内で、女の声が木霊した。
「その子を殺していいと、誰が許可したの?」
はっと顔を強張らせた麒麟もどきが、突如襲った激痛に頭を抱えドドドと何歩も後退する。
今ここにボウがいて女の声を聞いたとしたら。それがドミアールの声だとわかったろう。
大蜘蛛とゴリラも顔色を変えた。麒麟もどきが懲罰を受けた、とわかったからだ。全身に冷や水を浴びせられた思いの二人は、とたんに冷静さを取り戻すと、人族の姿に戻り、互いに顔を見合わせる。
ゴリラが無言で頷き、戦闘能力を失ったグドンに近づいた。大きな胸を上下させ、相手に対する憎しみを制御すると、その頭に槌を振り下ろす。それは、全力の十分の一にも及ばないほど手加減されたものだったが、今のグドンにはそれで十分だった。
ガンッ!
脳天に衝撃を受けたグドンは、何もわけがわからなくなり、闇の世界にのみ込まれていった。




