152 ドミアール
凡その予想はついていたものの、相手が実際にグドンの祖母だとわかり、ボウはやはり強い衝撃を受けた。
グドンの祖母が生きている? それも、牢獄の中に幽閉されて? どちらも信じがたかったし、これが偶然起こったとも思えなかった。
老婆は続ける。
「セイイツは、わたしと主人の間に生まれた子。残念ながら、孫が生まれたときには、もうここに幽閉されていたから、グドンには一度も会ったことはないけれど。どう? 少しは似てる?」
ボウは本心から大きく頷いた。
「そっくりです。お会いした瞬間、思わず声が出そうになったくらい」
老婆は嬉しそうにほほと微笑む。
「でも、お母様が、どうして、こんなところに…」
疑問の第一はそこだった。
セイイツはとんでもない力を持った怪物ではなかったのか? そのセイイツの母親を、いったい誰が牢獄に繋いだりできるのだろう? 仮にもし、セイイツがまだ生きているとすれば猶更だ。
だが、老婆はそれには答えず、
「お母様という言い方は変よね」
と失笑した。
「礼儀正しいのも度を越えると嫌味になるわ。呼ぶのなら、お婆様でしょうけど、それが嫌なら、ドミアールと呼んで。それがわたしの名前」
ドミアール。奇妙な名前だ…。失礼なのはわかっていたが、それがボウの第一印象だった。そういえば、ドミアールは何族なんだろうか? 半妖ではない気がする。
「奇妙な名前だと思う? それはわたしが魔族だから」
ボウの心中を察したのか、ドミアールはそう言い、彼女の反応を窺うようにした。
魔族!
言われたボウは、相手の期待通り強い衝撃を受けた。ということは、グドンには魔族の血が混じっているということか? もしそうなら、グドンは半妖であると同時に半魔だ。そして、もし自分とグドンの間にこどもが生まれたら、その子は半仙ということになる。
ボウが思わず顔を赤らめるのを見て、ドミアールは驚いたように、体を少しのけ反らせた。
これはいったいどんな反応なの? なぜ、顔を赤らめるの? 随分変わった子…。
「でも、心配しないで」
仕方なく、ドミアールは予め用意した言葉を口にした。
「母親が何族でも、主人の家系にはほとんど影響を与えない。きっと血が濃すぎるのね。セイイツにも魔族の特徴はまったく受け継がれていないわ」
魔族の特徴にまったく関心のないボウは、黙って頷くしかなかった。
「次は、なぜここに幽閉されているのかよね」
ドミアールはさらに続ける。
「それはわたしが主人を裏切ったから」
「裏切った?」
それは種族間の諍いといった類の話だろうか? ドミアールが半妖を裏切り、何かの情報を魔族へ流した…?
だが、ドミアールは、彼女がまったく思いもしなかったことを口にした。
「別の男性を好きになったのよ」
「え?」
ボウは二の句が継げなかった。別の男性を好きになった? それは浮気をしたということ? だから、ここに幽閉されている? 彼女にはとても信じられなかった。
「別に不思議でもないでしょ? 主人に飽きて、別の人を好きになった。だから、その人と逃げようとした。まあ、ここに閉じ込められていることを見れば、結果がどうだったかはわかるでしょうけど」
と苦笑する。
「それは、いつの話ですか?」
思わずボウは口走ってから、失礼だったと思い直し、すぐ「ごめんなさい」と頭を下げた。
「謝ることはないわ。もう百年以上前の話ね」
百年…。その間、ドミアールはずっとここに幽閉されてきたわけか?
心中、ボウは一人獄中で暮らす自分の姿を想像し溜息をついた。だがそのいっぽうで、百年という年数は微妙な時間という気もした。人族なら一生だろうが、半妖としてはそれほど長い時間でもない。仙族にとってはいわずもがなだった。
魔族はどれくらい生きるのだろうか? もし、妖族と同等なら、ドミアールは思ったほど年老いていないのかもしれない。
そのことに気づいたボウは、相手の話がどこまで真実で、どこからが作り話か警戒する必要があると自戒した。
「確か、グドンのお爺様は随分以前にお亡くなりになった、とお聞きしましたけど」
ボウの言葉に、ドミアールが瞳を大きくする。
「グドンはそんなことまであなたに話したの?」
ボウは頷いたが、正確には、彼から聞いたわけではなかった。グドンの魂と繋がったとき、多くの情報を共有した。そのせいで知っているだけだ。しかし、そうした事情を今、この女性に話す気はなかった。
「そうね」
と老婆は胸を大きく上下させた。
「あの人がおかしくなったのも、わたしのことがきっかけだったかもしれない。当時は、破滅していく主人を見てザマアミロと嘲笑ってやったけれど、あの人が死んだ今は、少しだけ後悔もあるわ」
老婆は過去を思い出す目になったが、ボウが訊きたいのはそのことではなかった。
「お爺様が亡くなったのなら、なぜ、誰も助けに来ないんですか?」
仕方なく、ボウは自分からそう切り出した。
「助けにくる?」
これほど滑稽な話は聞いたことがないといった口調で言うと、ドミアールは声なく笑った。だが、その笑顔は、慟哭するより悲しみに満ちているように見えた。
「誰が助けにくるの?」
「たとえば、お父様とか?」
「お父様って、セイイツ? 今もわたしをここに閉じ込めているのは、ほかでもない、あの子よ!」
老婆は怒りを吐き出すように怒鳴った。
「え? そんなこと…。でも、どうしてですか?」
「どうして? それは、訊く相手が違うでしょ!」
しばらく黙って、ドミアールはやっと少し怒りを鎮め、
「亡くなった主人に同情しているのかもね。悪いのはすべてわたし。そういうことよ。でも、別の男性を好きになったとして、それが何なの? たとえば、あなた、仙族の長い長い一生の中で、本当にグドン一人だけを愛せると誓える? 絶対にほかの人を好きにならない?」
ボウは迷うことなく頷いた。自分は仙族だ。啓示を受けた伴侶と別れることはありえない。でも…、と彼女は自分の胸の奥底を覗き込んだ。伴侶として別れることはなくとも、精神的に別の男性を好きになる可能性は本当にないだろうか?
そう考えている自分に気づいて、ボウははっとした。そして、どうしようもなく悲しくなった。グドンに裏切られるより情けない気がした。己の裏切りを僅かなりとも肯定する想像をするなんて…。
「あなたはまだこどもなのね」
そう言うと、ドミアールはこの話題を打ち切った。
「あなたをなぜここに寄越したかですけど…。それも、わたしが答える問いではないけれど、想像するなら。理由は二つあるかもね」
「二つ?」
ボウはがぜん興味を抱いた。
「一つは、あなたとグドンを引き離すため。セイイツは、グドンの成長にはあなたが邪魔だと思ったのかもしれない」
言われたボウは胸に鋭い痛みを感じた。グドンの成長にわたしの存在が邪魔になる…。
そんな彼女の思いにはかまわず、ドミアールは続ける。
「引き離したいけれど、あなたに対するグドンの感情も理解している。危険な場所へ送ることもできないし、すぐ戻ってこられるようでも困る。ここなら、最適というわけね」
ボウは頷き、
「もう一つの理由は、何ですか?」
「わたしにあなたの躾けをさせること」
「躾け役?」
意味は分かったが、彼女は思わず訊き返した。何の躾け役か? それはもちろんグドンの嫁としての躾けに決まっている。つまり、自分はグドンの婚姻相手として認められたということだろうか?
彼女は戸惑いと同時に喜びも感じ、また頬を赤らめた。
それをドミアールが冷ややかな目で見下ろしている。理由もなく、何度も顔を赤らめるおかしな子、そんな目つきだ。
「今のあなたは、グドンのために何ができる?」
訊いたドミアールの言葉には、どこか棘のようなものがあった。
「何ができる?」
「グドンの足手纏いになる以外、どんな能力があって、どうやって彼を支えながら生きていくつもり?」
ボウの顔が白くなった。
偶然にも、ドミエールの言ったことは、ここ最近、自分が一番恐れていることと同じだったからだ。自分はグドンの足手纏いになるばかりで、何も出来ない…。
「別の訊き方をしてもいいわ」
とドミアールがいう。
「あなたは、どんな能力を身に着けたいの? これからの長い時間、グドンと対等に生きていくために」
老婆の厳しい目が、ボウの全身に注がれている。
俯いて、拳を白くなるまで握り締めたまま、ボウは何も答えることができなかった。




