150 四つ目
「グドンは、あなたを信じていたと思うわ」
彼女には、チンスにそう皮肉をいうのが精一杯だった。
チンスは言い訳はせず、黙って扉を開けて、向こう側をボウに見せた。
視線の先には、隧道とそこへ繋がる通路が見えた。
ボウの反応を待たず、チンスはいったん扉を閉め、再度開いて向こう側を見せた。
見えたのはやはり隧道へ繋がる通路だ。
少なくとも、このことに関して、チンスの話に嘘はなかったわけだ。
だが、そのことがかえって、ボウを困惑させた。
扉のことが本当なら、なぜ嘘までついて、自分だけここへ連れてくる必要があったんだろうか? こうした事態を正直に話せば、グドンもきっと興味を持ったろうし、協力する気になったかもしれない。
こんなことがなければ、二人で町を離れていたのは確かだが、何が何でも今日明日と決めていたわけではない。事情が分かれば、出発を先延ばしにする可能性は十分あった。それなのに、なぜ…?
背後では、大ぜいの情報局員が固唾をのんで二人の様子を窺っている。
延々と続く隧道や怪物の眠る倉庫、謎だらけの鍾乳洞、こうしたものの発見は、誰にとっても一大事件に違いなかった。
チンスは一歩後ろへ下がり、ボウのために場所をあけた。
不本意ながらも、ボウは前へ出て扉を開いた。
自分が開けたところで、隧道へ繋がる通路が見えるだけな気もした。グドンならともかく、自分に何か特別な力があるわけではない。
ところが、開けた彼女自身が驚愕で大きく息を吸い込んだ。扉の向こうに見えたのは、無数の木箱の並んだ倉庫だった。
チンスも含め、背後の局員たちからも驚愕の声が上がった。
しかも、倉庫の入り口近くの床には、ゴヒやミトたちが倒れているのが見える。一瞬もう死んでいるのかと誰もが思ったが、まず、ゴヒが、やがてそれに続いて、ミトや鷲鼻も顔を持ち上げ、ボウやチンスに視線を向けた。
夢ではないとわかったとたん、彼らは大声で助けを求めた。ミトはすでに泣き始めている。ゴヒは立ち上がろうとしたが、腰が抜けたのか満足に身動きできないでいた。
一番最初に我を取り戻したのは、やはり、チンスだった。
チンスは配下に指示すると、とりあえずゴヒたちを連れ出した。
「逃げられないようにしっかり監視するのよ。こいつらは罪人だから」
このときになってはじめて、なぜ、これほど大ぜいでここまでやって来たのか、ボウにも納得できた気がした。
万が一、グドンの残した手紙が真実で、ゴヒの仲間たちがここに隔離されているなら、彼らを捕獲する必要があったからだ。さらに、怪物の眠る無数の木箱を確認、運搬する必要もあるかもしれない。彼らはそのための人員だった。
半ば廃人となった三人を連れ出したあと、チンスは木箱に手を付けず、再度扉を閉じる選択をした。
彼女の指示を待つことなく、ボウが再び扉に手をかけた。
次はどこへ繋がるのか、ボウを含め誰もが期待を込めて見守る。
彼女の頭からも、グドンのことや、チンスに騙されたことは、一時的に消えていた。
ボウが恐る恐る扉を開け中を覗き込むと、鍾乳洞が見えた。
ここでも、扉近くにゴヒの仲間だった男女が倒れるようにへたり込んでいた。しかし、こちらはゴヒたちに比べればまだ心理的な余裕を残していた。扉が開かれたことに気づくと、全員が立ち上がり、我先にと鍾乳洞から抜け出そうと駆けだした。
「もう二度と扉は開かないと思った!」
一人がいうと、
「半妖の小僧を捕まえてくれ! あいつに…」
もう一人がいいかけ、ようやくボウがいることに気づいた様子で、
「こいつだ。こいつと仲間の小僧からこんなひどい目に遭わされた。捕まえて処刑してくれ!」
と、わななく手でボウを指さし叫ぶ。ボウは今ホウカの面を被っていた。
「黙らないと殴るわよ。わかる?」
とチンスは相手の胸ぐらを掴み、容赦なく床へ引き倒した。
呆然としている男女を、チンスの部下がすべて連れ去る。彼らはそれでも自分の立場がまったく理解できていない様子だった。
連行された者たちにはかまわず、チンスはもう一度扉を閉じた。
これで、最後に隧道へ繋がれば、一通り三か所すべてを確認したことになる。
ボウもそのつもりで扉を開いた。
今回はもう扉の向こうには誰もいないはずだった。ケンシたちが扉の前で待っている可能性はまずない。隧道は必ずどこか外へ出る道へ繋がっているから、ケンシたちはそこから隧道を出ている可能性が高かった。
ところが、開けたボウは、扉の向こう側に見えた光景に「あ!」と声を上げた。
そこには見たこともない世界が広がっていた。薄暗く、じめじめして薄気味悪いところは鍾乳洞と似ているが、明らかに鍾乳洞ではない別の場所だった。
チンスが問いかける眼差しを彼女に向ける。だが、ボウにもどう答えてよいのかわからなかった。彼女自身はじめて見る光景なのだ。
ここがどこなのか訊きたいのは、わたしのほうよ。
そう答えたかったが、それでも自分が扉を開けた手前もあり、好奇心も手伝って、扉の向こうがどこなのか確かめようと身を乗り出した。
少しずつ扉の開きを大きくし、意味がないとは知りながら、
「誰かいますか?」
と声をかけた。
奥から少し饐えた嫌な臭いがした。
鍾乳洞や隧道とは違って、比較的狭い空間のようだ。だから、匂いが籠って逃げていかないのだろう。
その空間は床、天井、壁、すべてが石を積んで造られていた。こうした部屋をどこかで見た記憶がある。ボウはそう感じた。いや、正確にいうなら、本物を見たわけではなく、絵本か何かの挿絵で見たことがあるような。これは確か…。
ボウが必死で記憶を手繰っているとき、
「誰?」
と中から女性の声がした。
それとほぼ同時に、背後にいたチンスが、
「中に誰かいるの?」
と声を出す。
訊いたのは声の女性に対してではなく、ボウに対してだ。
チンスに尋ねられたこともあり、ボウはもう一歩中へ踏み込んで、声の聞こえた扉の裏側方向を覗き込んだ。
そのときだ。彼女の手が扉から離れた一瞬を待ち構えていたように、開いていた扉がバタンと音をたてて閉まった。
扉が閉まり切る寸前、その隙間から、
「ボウ、戻って!」
と叫ぶチンスの声が聞こえた。
しかし、それも、扉が閉まると同時にまったく聞こえなくなった。音そのものが途中でぷつりと断ち切られた感じだった。
咄嗟に、ボウは何が起きたか理解した。わたしはこちら側に閉じ込められてしまった。扉はたぶんもう二度と開かない!
血の気の失せた顔で、それでも、ボウは扉を開けてみようとした。だが、予想したとおり、扉はぴくりとも動かない。
ボウは仮面をとり、扉をすり抜けようとした。以前、グドンと一緒だったときは、これでうまくいった。しかし、今回は駄目だった。彼女は扉にはね返され、勢いあまってその場に尻もちをついた。
「チンスさん!」
大声で怒鳴ったが、何も応答はない。
罠にかかった! なぜか、そんな気がした。
罠にかけたのはチンスや情報局の誰かか、全然別の者たちか? いずれにしても、なぜ、こんなことをするのだろう?
おかしな話だが、こうした緊急事態に追い込まれながら、ボウは、意外に冷静に状況を分析している自分に気づいた。
怖いけれど、恐慌には陥っていない。安堵すると、さらに色々なことが頭に浮かんだ。
わたしが扉に触れたとき、倉庫や鍾乳洞へ移動できたのは、きっと偶然じゃなかったんだ。同様に、この石造りの空間に閉じ込められたのも偶然じゃない。誰かが計画してわたしを陥れたのよ!
では、誰が、何のために、そんなことをしたのか?
相手の最終目標が自分だとは思えなかった。自分は平凡な仙族の娘で、いわば、毒にも薬にもならない存在だ。ならば、考えられることは一つしかない。グドンだ。相手の本当の目標はグドンに違いない。とすると、わたしはそのための餌だろうか?
「あなた、どうやってここへ入ってきたの?」
そこまで考えたとき、どこからか再び女の声がして、ボウは現実に引き戻された。
閉まった扉に気を取られていて、さっき聞こえた声の主のことを忘れていた。
慌てて声のしたほうへ顔を向けると、一番奥まった場所に白髪の老婆が座っていた。
椅子や敷物はいっさいなく、まさに石畳の床に直接尻を下ろしている。ざんばら髪で、顔の半分が隠れていた。着衣もここ何年も着替えていない様子で汚れている。
その老婆の向こう側には、鉄格子が嵌まっていた。
そうだ! やっとボウは思い出した。ここは絵本の挿絵で見た、遠いどこかの国の牢獄そっくりだ。
ボウはそれに気づくと同時に、自分が鉄格子の外にいるのではなく、内側にいるとわかって二度驚いた。
鉄格子の向こう側には薄暗い通路が見える。つまり、ボウは、よりにもよって、扉を通して牢獄の内側へ入り込んでしまったのだ。もちろん、牢獄の外、通路に出現していたとして、どれほどの違いもなかったろうが…。
よく見ると、老婆の体は手枷足枷で牢獄の一部に繋がれている。
「あなたは、誰? ここはどこですか?」
できるかぎり丁寧に、敬意を込めてボウは尋ねた。
敬意を込めたのは、老婆に危害を加えられないか心配だったからだ。何しろ、相手は牢獄に繋がれた罪人なのだから。
意外にも、彼女の問いに、相手はにこりと微笑んだ。
「あなた、セイイツが話していたグドンのお嫁さんでしょ?」
思いもしない老婆の言葉に、ボウは瞠目し、固まったまま言葉一つ発することができなかった。




