145 物見遊山
仮眠所へ帰ったグドンは、戸惑い顔のボウを連れ出した。
ただ、街へ出るに際して少し細工をした。
グドンは姿をリンタロウに変え、ソウエイと名乗ることにした、ボウは、姿をトクサワの秘書カブラキリョウに変え、ソウエイの亡き妻アオイと名乗ることにしたのだ。
もちろん、その前に、一旦城内を離れ、人族としての新たな身分証を造ることも忘れなかった。
こうした経験を、ボウはこどものようにはしゃいで楽しんだ。
グドンもそんな彼女を見るのが何より嬉しかった。自分たちの心がまだこどもであることを、グドンは改めて認識した。だが、考えてみれば、実際に二人はまだこどもといっていい年齢なのだ。
二人はまず、ボウの希望で妖器を扱う店を訪ねることにした。
妖器に関心のある人族のカップルなど滅多にいない。店主は当初、不思議そうに二人を眺めていたが、ボウが友人から手鏡と方位計の話を聞いたと告げると、大喜びで陳列棚の上に商品を並べ始めた。
もちろんボウはまず、方位計を手に取った。
口元はきつく結ばれていたが、上目遣いに彼を見る視線には、おねだりしたい思いがありありと表れていた。
グドンは一も二もなく、その方位計を購入した。
偽物だろうと、玩具だろうと構わなかった。ボウが満足するならそれでよかったし、事実上、これが彼女に対するはじめての贈り物だと思うと、彼自身嬉しくなった。
「本当は二十万といいたいところだが、人族が店を利用してくれることは滅多にないから、十五万でいいよ」
と、店主が商売上手な一面を見せた。
グドンは値段交渉をすることなく金を払い、勾玉をボウに渡すと、方位計は自分の納戸袋に仕舞った。
続いて、店主は手鏡を紹介しようとしたが、ボウがグドンの耳元で、
「危ない商品らしいのよ」
と囁いた。
へえ、とグドンは片眉をあげ、手鏡を直接手に取って確かめた。
商品の効能を店主が滔々と説明する。
「やってみてもいい?」
グドンが店主に尋ねると、ボウが慌てて制止し、耳元で囁く。
「駄目よ。戻ってこられないと困るでしょ?」
本気で彼氏の身を案ずる若い娘を微笑ましいと思ったのか、
「お嬢さん、大丈夫。短い距離であれば、万が一にも失敗することはありません」
と店主が安心させようとする。
「万が一には失敗するじゃなくて?」
と、ボウが言い返した。
とたんに、店主が奇妙な表情になった。
はて、どこかで交わしたような会話だが?
だが、グドンはそれにはかまわず、鏡に映った入口の扉を指で触れた。
次の瞬間、彼は入口の前に立っていた。
「あ、駄目って言ったのに!」
慌てて駆け寄り、グドンの手から手鏡をひったくると、陳列棚の前に戻り、商品を店主に突き返した。
手鏡を捥ぎ取られたグドンは、しばらくそのままの格好でボンヤリしていた。
面白いな。どんな仕組みかわからないけど、一瞬空間が折り畳まれるように歪んだ…。
反応のないグドンに、ボウは改めて店主を睨む。
体だけ現実に戻って、心が鏡の中に置き去りにされたのかも…。
「他に何か面白い妖器はないの?」
突然、グドンが口を開いたので、ボウはホッと安堵の吐息をついた。
「面白い?」
面食らった店主が問い返す。
「攻撃力を高めて相手を切り刻んだりする剣とか鞭じゃなくて、一見役に立たなそうだけど、特殊な力を持った妖器」
店主は小首を傾げ眉根を顰めて真剣に考えたあと、
「こんなのは、どうでしょう?」
と眼鏡のようなものを取り出した。
「仙族の姿が見える眼鏡です」
「え!」
グドンとボウは同時に声を上げた。
と同時に、二人一緒に眼鏡に手を伸ばす。
一瞬早く、店主の持った眼鏡をグドンが掴んだ。
「きみが掛けて、どうするつもりなの?」
グドンに言われ、ボウは苦笑交じりに伸ばしかけた手を戻す。
グドンは眼鏡をかけてボウのほうへ目を向けた。
信じられないことに、本来の姿でそこに立つボウの全身がはっきり見えた。
もちろん、カブラキリョウではなく、本物のボウの姿だ。
この眼鏡は仙族が見えるだけでなく、仮面をつけた相手の本性を見破る能力まで持っているらしい。これは、グドンとボウ、とりわけボウにとって脅威になる可能性があった。
二人の様子に、店主が失笑した。
「相手が仙族でないと効果がありませんよ。店の店員に仙族が一人いますから、試してみたければ呼びますが」
「いいえ、必要ないわ」
慌ててボウが拒絶する。
ここへ仙族を呼ばれてよいことなど、二人には何一つなかった。
「こうした眼鏡を買う人は沢山いるの?」
グドンが訊く。
なぜか店主はとたんに声を潜めた。
「大きな声ではいえませんが、これは禁制品なんです」
「禁制品?」
グドンの声も小さくなる。
「見えないものには、見えない理由があるんです。そうした神様がお決めになった法則を勝手に侵してはならない。とりわけ、仙族より等級の低い者には厳禁です」
「じゃ、どうして、おいらにこれを見せたの?」
意味がわからずグドンが尋ねると、突然、店主はあははと笑い始めた。
これには、グドンもボウも呆気にとられた。
「神の法則は法則、商売は商売です。仙族の姿が見えたとして、それが何ですか。正直いって何の役にも立たない…」
そこで店主は自分の失言に気づいたらしく、またふふと笑って誤魔化した。
「まあ、お客さんもお買いになる気はないでしょうから、本音をいいますが、実際、買う人は多くありません。持っていても役に立たないものを、大枚はたいて買って、挙句に仙族に睨まれたのでは、割に合いませんからね」
ボウは何やらホッとした様子で笑顔になった。だが、グドンが真面目な顔で、
「いくらですか?」
と訊く。ボウはもちろん、店主までが目を丸くした。
「売り物でしょ?」
「もちろんです。ですが、役立たずといっても、これは結構値が張るんです。妖器師が最低価格というのを指定していて…。本当に申し訳ありません」
「いくらなの?」
「三十万」
ポカンと口を開けたままのボウの横で、グドンは頷き、代金を支払った。
金はどうせ情報局でもらったもので、いわば泡銭だった。二度と情報局へ戻るつもりはなかったから、金輪際、大金が手に入ることはないかもしれないが、惜しいという気持ちはいっさいなかった。
店主は喜んだが、ボウはグドンを気遣う表情になった。
やはり、先ほどの手鏡が悪かったのだろうか?
心だけでなく、脳の一部までどこかへ置き去りにしてきてしまったの?
「大丈夫?」
ボウは彼の腕をとり真剣に彼の目を覗き込んだ。
「何が?」
グドンの問いかけに首を振った彼女は、彼をそのまま店内から連れ出そうとした。
「ありがとう。また来ます」
店主に礼を言って、グドンの腕を優しく引く。
このままでは、グドンが別の商品も買うと言い出しかねない気がした。お金も勿体ないが、それより気になるのはグドンの健康状態だった。
そんな彼女に、グドンは少し抗う仕草を見せた。
「もう一つだけ」
と、首を捻って店主に顔を向ける。
「こうした妖器を作る妖器師には、どこへ行けば会えるの?」
「妖器師? 申し訳ない。それは本当に言えません。話せば、妖器師が許してくれないですからね。それに、うちとしても、商売上の大事な秘密なんです」
頷いたグドンは、ボウと共に外へ出た。
「またのお越しを」
閉まりかけた扉の向こうから、店主の明るい声が聞こえた。
「こんなところへ連れてこなければよかったわ」
ボウは今にも泣きそうな顔だった。
「どうして? ここは情報局より数倍、いや、数十倍楽しかったよ。ボウのお陰だね」
彼女が何を心配しているのかはわからなかったが、元々そんな必要はなかったし、実際グドンは本心から喜んでいた。
「本当に?」
ボウも少し安心した顔になる。
「これを掛けると、何が見えるかわかる?」
ひと気のない公園へ行くと、グドンは木製の長椅子にかけ、隣に座ったボウに買ったばかりの眼鏡を手渡した。
「仙族でしょ? でも、グドンには元々わたしが見えるじゃないの。その上に眼鏡をかけて何になるの?」
その眼鏡の本当の力を、グドンはボウに話した。
ボウの開いた口が丸くなる。
「それじゃ、この眼鏡には仮面の能力を無効にする力もあるのね?」
「そう。これは大変な発見だよ。仮面をつけているほかの仙族の姿が見えるからじゃない。そんなものは見たくもないし。大事なのは、ボウが仮面をつけているとき、ほかの者からそれを見破られない方法を探そうとするなら、これが役に立つかもしれないってことだよ」
「え? 何だかよくわからないけど…」
「仮面の効果がなぜ無効になったか考えるんだ。要は、その逆をすればいい」
ボウは益々訳がわからなかったが、最後には笑顔になった。
自分にはちんぷんかんぷんでも、グドンがわかっていれば、それで十分だと気づいたからだ。
「ボウもかけてみる? おいらの裸が見えるかもしれないよ」
グドンはボウへ眼鏡を手渡した。
「そんなものを見て、何になるの?」
頬を赤らめながらも、ボウはかけるべきか否か迷いを見せている。
試してみたい好奇心はあったが、それ以上に見たくないものを見てしまう怖さもあった。もちろん、グドンの裸ではない。彼の魂の奥に隠れた恐ろしいものだ…。
「やっぱり、やめにする」
彼女は眼鏡をグドンに返した。
そうした彼女の思いには気づかず、グドンの心はさらに手中の眼鏡に引き込まれた。
天妖都に着く前から、グドンにはやりたいことがあった。
それは、相手の本来の姿を見破る力を高めることだ。
たとえば今、グドンがその気なら裸のボウを見ることはいとも簡単だった。それこそ、ボウがかつていったように見放題だ。しかし、実際にはそんなことはしていない。なぜなら、それが相手の尊厳を傷つけることに繋がると知っているからだ。
ボウの裸に限らない。チンスやボヤたち妖族が本来どんな姿をしているか見たければ、グドンはいつでもそうできる。だが、実際にはしない。それもボウの裸を見ないのと同じ理由からだ。
もちろん、普段、こうして自分に制限、制約を課していてもそれ自体は問題にならない。問題になるのは、悪意を持って近づいてくる相手の本性まで、見逃してしまう可能性があることだ。
当初、ボウはホウカの仮面をかぶり彼に近づいてきた。だが、グドンは迂闊にもそれに気づかなかった。相手の真の姿を見ようとしなかったからだ。あのとき、彼女に悪意はなかったが、もしあったとしたら、どうなっていただろうか? グドンは相手に、十分な攻撃の余裕を与えてしまったかもしれない。
悪意がないときは自分に制約をかけ、あるときには制約をかけない。両者を完全な形で使い分けることは、実は至難の業だった。
そうした能力を身に着けるのに、手の中の眼鏡が直接役立つかどうかはわからない。しかし、突破口になる可能性は十分にあった。
「次はどこへ行こうか?」
気分を変え、グドンはボウに訊いた。




