144 やることはやった
グドンは昨日同様、ボヤと二人で情報伝送室にいた。
違うのは今日の部屋が、情報伝送室十二号だったことだ。昨日の部屋は六号で、同様の部屋は全部で十三あると知った。
情報局に所属する構成員が複数いて毎日のように使用するのだから、当然といえば当然だったが、それでも、その数の多さにグドンは驚いた。
いっぽう、グドンは、ここでの経験について強い失望を感じていた。
一言でいえば、つまらないのだ。
関心を持ったことを強いてあげるなら、大量の知識、情報をどう受け入れ、どう取捨選択して整理するか、その方法を学べたことだ。
とはいえ、それも、彼にとってはどうでもいいことだった
大量の情報自体は想像以上に役立たずだった。天妖都の内部情報に関しては、ここに留まる気がない以上、彼に何の利益をもたらさないのはいうまでもない。外部情報は今後役に立つ可能性もあったが、少なくとも基礎情報の段階では、あまりにも概略の色合いが強すぎて、一般常識以上のものとはなりえなかった。元々、グドンは様々な知識を脳内の持っていたから、それと重複するものも多かった。
グドンが失望したもう一つの原因は、情報は所詮情報でしかないと気づいてしまったことだ。情報はそのもの自体に価値はなく、使わなくては意味がない。だが、グドンが天妖都にいるかぎり、情報を自由に使う権限すらなかった。ここで実際に情報を利用するのは、情報局とは別の者、つまり、その上に立つ執行官たちだ。情報局は、いわば彼らの指南役でしかない。ここにはこんな情報があります。それにはこんな過去と原因があります、と手助けすることはできるが、自分で何かを決め行動できるわけではない。
これ以上、情報局に留まることは、もう時間の無駄でしかなかった。
それにしても不思議なのは、グドンがここでの作業するよう画策した者は、どんな理由でこんな命令を出したのかだった。いったい、その誰かにとってどんな利益があったというのか? ただ単に、グドンの脳を痛めつけたかったとしか思えない。しかも、その目論見すらとても成功しているとはいい難かった。
今日のボヤは、グドンへ水準一の情報を伝送するつもりでいるらしかった。だが、グドンはそれをにべもなく拒絶した。当然、ボヤは当惑した表情になったが、グドンから別の提案をされ、とたんに顔色を蒼くした。
「水準一ではなく、水準五か少なくとも同等の情報を与えてくれること。それ以外なら、おいらはもう情報局に留まらない。すぐにこの部屋から出ていく」
かけ引きする気は毛頭なく、本心から、彼はそう実行するつもりでいた。
水準五の情報を知りたかったわけではない。水準五の情報を吸収すれば、陰の人物の目的が見えてくる気がしたのだ。少なくとも、水準五の情報伝達が終われば、情報局でグドンが出来ることはなくなる。そうなったとき、何か目立った変化が表れればよいが、なければ、その人物は何か次の行動を起こさざるを得なくなる。でなければ、グドンを天妖都へおびき入れた意味がなくなってしまうからだ。
もちろん、行動を起こさないなら起こさなないでかまわなかった。それなら、すぐにでも天妖都を離れるだけの話だ。どこの誰か知らないが、グドンを監視しこの町へ引き入れた者がいる。それがわかった今、いつまでも相手の思い通りに行動し、この町で馬鹿面を晒すのは滑稽であるともいえた。
実際、ケンシの一件が片付けばすぐにも天妖都を離れ、ボウと二人、誰にも監視されない土地を目指すつもりでいたし、その決心は彼の中でもう固まっていた。
正直いえば、ケンシのことすら、この町に留まる理由にはもうならなくなりつつある。ケンシとはそれほど深い繋がりがあるわけではなく、ただの知り合い程度の関係だ。出来れば力になりたいが、そのための我慢も限界が近づいていた。
ゴヒや鷲鼻のことなど問題にもならない。
ボヤも、グドンの提案が冗談ではないと悟ったのか、
「わたしの一存では決められないわ。少し時間をちょうだい。チンスさんの指示を仰いでくるから」
と言いおき部屋を出て言った。
彼女がグドンの身を案じてくれていることはわかっていたが、これまでの経験から、グドンにはここでの情報伝達が自分に害を及ぼさないとの確信があった。それどころか、脳内における情報の存在感があまりにも小さいので、がっかりしているくらいだった。情報局の全情報を十倍にした量でも、きっと自分には何の影響もないに違いない。
そこまで考え、彼はふと、こうした命令を出した者は自分の能力の限界を探ろうとしているではないか、と思い至った。どこまでやれば、彼の脳が悲鳴を上げるのか見極めたいのだ。
だが、見極めて、どうしようというのだろう? その目的は?
言うまでもなく、グドンを情報局の駒として使おうと考えているとは思えない。であれば、これは、何かの実験だろうか?
今のグドンにはそれが何の実験か想像すらつかなかった。
グドンが自分の思いにとらわれていると、入口の扉が開いて、ボヤがチンスを連れて戻ってきた。
「水準五の情報をおねだりしてると聞いたけど?」
チンスは前置きなく言った。
グドンが頷く。
「情報を手に入れて、どうするの? それがあなたの役に立つ?」
彼女の物言いに、グドンは思わず笑ってしまった。
どうせ、ここでの生活は、おいらにとって何一つ役に立たないよ。それを無理にやらせようとしているのは、あなたたちのほうだ。
彼のそんな思いを知らないチンスは眉を顰める。
「あなたの身の安全がかかっているのよ、わかる?」
笑うなんてもってのほか。死ぬか生きるかの問題なのよ、とそんな顔付きだった。
それをグドンは好意的に受け取った。彼女がどんな立ち位置にいるにせよ、少なくとも自分の命を第一に考えてくれている。それは間違いなかった。
「脳が部屋中に飛び散っても、それをチンスに掃除してくれとは頼まないよ」
「ここにも一人、大間抜けがいるみたいね」
チンスは腰に両手を当て、真剣にグドンを睨みつける。
グドンは大きく溜息をついた。
どういえば、チンスを説得できるだろうか?
相手に悪意がないだけに、翻意させるのはかなり面倒な気がした。
「二人とも、椅子に掛けてくれる?」
しばらく考えてグドンはようやく言った。
「今度は何のお遊び?」
チンスもボヤも動かない。
「情報局の局員なら、あなたたちも、きっと秘密が大好きでしょ? だから、おいらの秘密を話そうと思って。でも、立ったままだと、聞いた衝撃で倒れるかもしれない。二人に怪我をさせたくないから、座ってほしいんだ」
チンスは口角を歪め、ボヤは彼女の横顔を窺った。
「駄目なら、おいらは今すぐここを出ていくけど、いい?」
「そんな度胸があるの?」
と、チンス。
グドンはかまわず入口の扉へ向かおうとした。
だが、物音に気づいて振り向くと、チンスがすでに椅子に座っていた。
それに気づいたボヤが、慌てて自分も椅子に腰を下ろす。
「さっきの話が嘘だったら、いくらお気に入りでも許さないわよ。ここでずっと何かの下働きをさせてやる」
「いいよ、それでも」
頷いたグドンの目が一瞬かすかに変化した。
次の瞬間、気を失ったチンスとボヤが椅子からずるずると滑るように床へと転げ落ちた。
運悪く、二人とも頭を床に打ち付け、驚くほど大きな音がした。
二人は妖族だし大怪我はしないはず…。グドンはそう思うことにした。
チンスに自分の能力をわかってもらうためには、こうするしか手がなかった。能力をひけらかせば、藪蛇になる可能性もあったが、今は無駄にする時間のほうが惜しかった。
この演出の効果を上げるには、どうすればいいだろうか?
二人を天井から縄で逆さに吊り下げる?
二人の着衣を取り換えて、裸を記録に収めたと脅そうか?
いや、それよりももっと簡単なのは、二人が気を失っている間に自分で装置を操作して、必要な情報をすべて自分の脳内へ送ってしまうことだった。そうすれば二度手間にならずにすむ。
二人を気絶させる前に、操作の方法を訊かなかったのは大失敗だったと後悔したが、もう手遅れだった。もちろん、グドンの要求を聞き入れて、チンスがやり方を教えてくれたかどうかは、また別の問題だ。
とりあえず、何とかならないか自分で試してみることにした。
肝心なのは、情報を送る際、操作する者が操作盤の前にいなくとも、機器を自動で作動させることができるかという点だ。五分後に起動、と作動時間を選べれば一番いいが、そうした機能があるかわからない。
色々試してみたが、うまくいかなかった。
しばらく考え、床に倒れているチンスを振り返った。
今もスヤスヤ眠っている。目を覚ます気配はない。彼女を起こし装置の操縦法を教えてもらおうか? だが、やってみるまでもない気がした。絶対に駄目だというだろう。
それなら、再度、水準五の情報を要求してみるというのは、どうか?
「わたしたちを気絶させられた。だから、何? それが水準五の情報を受容できる証拠になるの?」
と言われてしまえばそれまでだ。
危険は冒せない気がした。グドンは改めて機器の周りを探った。装置の指南書がないか探そうと思ったのだ。こうした複雑な装置は、仕組みや操作方法を利用者がすべて把握するのは難しい。急な故障や不慣れな操作にも戸惑うことのないよう、指南書は必須のはずだった。
「あった!」
装置の陰に隠れるように、指南書が紐でぶら下げられていた。
グドンは必要な部分だけを斜め読みすると、操作法の概略を把握し、情報伝送時、操作盤の前が無人でも情報を送ることのできる方法も会得した。
指南書の説明そのままに操作して準備を終えると、グドンは棺に入って椅子に腰を下ろし、装置が作動するのを待った。
背後で扉が閉まり、情報の伝送が始まる。
脳内に飛び込んでくる情報は意外に大量で、作業が終了するまでに、予想以上の時間がかかった。
それでも、脳への負担という意味では、はじめて基礎情報を受け入れたときとそれほどの違いはなかった。ほんの少しの眩暈と疲れを感じたものの、意識を失うこともなかった。
彼は情報の吸収を終え、棺桶から退出した。
予想した通り何の充実感もないし、とりわけ何かの利益を得たという感触もない。場合によっては、ここで手に入れた情報をすべて削除することも選択肢の一つになるだろう、とグドンは溜息まじりに考えた。
命令者が何を望んでいたにせよ、やるべきことはすべて終了した。
グドンはその誰かにそう言いたかった。
やることはやったから、あなたの目的と、次においらが何をすべきか教えて。
グドンとしては、今後はもう相手の出方を見守るしかない。自分にこれ以上出来ることはなかった。
グドンは改めて床に倒れている二人へ目を向けた。
チンスとボヤをどうすればいいだろうか? どう言い訳したところで、面倒なことになるのは避けられない気がした。今、二人を覚醒させたところで互いに気まずい思いをするだけだ。申し訳ないと思いつつ、グドンは二人をそのまま放置して、いったん仮眠所へ戻ることにした。
陰の誰かの反応を待つ間、ボウを仮眠所から連れ出し、二人で物見遊山を楽しむのも悪くない気がした。天妖都を離れる前に、はじめての都会で旅を満喫するのだ。
どこか面白いところがないか、探しながらぶらつくだけでも楽しい気がした。そうした時間こそ、グドンとボウが最も望んでいたことだった。




