142 チンスの真意
半妖の居住地へ着いたグドンは、ずっと誰かに見張られている気がして、何度も後ろを振り返った。
チンスの部下だろうか? それとも、ゴヒの上司の手の者か?
いずれにせよ、コタンフに化けてきたのは正解だったと感じた。
ケンシの自宅に到着し、在宅かどうかを確認したが、残念なながら彼は隧道から戻っていなかった。まだ二日しかたっていないから当然ではあったが、このまま十日以内に彼らが戻らなかったらどうするか、本当に決めておく必要がある気がした。
ゴヒやミトたちを倉庫や鍾乳洞に置き去りにしたまま、廃墟の入口を破壊することは、事実上彼らに死刑を宣告するに等しい。自業自得とは思うものの、さすがに気が重いのも事実だ。それに、ボウはきっとそうした判断に賛成しないだろう。今のグドンには、彼女を悲しませることが何より嫌だった。
グドンは半妖の居住地を離れ、町なかにあった公衆便所を利用して再び自分の姿に戻ると、城壁前の広場へ向かった。
そこで、約束の時間まで座って時間を潰した。
しかし、時間を過ぎてもボウは現れず、その後もしばらく待ったものの、結局、待ち惚けを食うことになった。
正直がっかりしたが、彼女が危険な状態にいるとは思えなかったし、逆に来なかったのはこの町での生活を楽しんでいるからだ、と思うことにした。
グドンは諦めて立ち上がると真っすぐ仮眠所へ戻った。
ところが、仮眠所で彼を待っていたのは、意外にもボウ本人だった。
ホウカの仮面をかぶった彼女を見たとき、それがボウなのか、本物のホウカなのか一瞬わからなくなった。ボウがここにいるはずがないとの思いが強かったからだ。
彼女は、グドンが情報局にいることさえ知らないはずだ。ましてや、仮眠所の存在など、長年この町に住んでいる居住者でも知っている者はほとんどいないに違いない。
そんな彼の疑念は、彼女の背後からおかっぱ頭の女の子が現れたことですぐ消え去った。
チンスだった。
「わたしが連れてきたの。彼女にもここに住んでもらう。問題ないでしょ?」
グドンがボウへ視線を向けると、彼女は小さく首を横に振った。
わたしにも理由がわからないの。そういう意味だろう、とグドンは理解した。
「広場で長く待ったんじゃない?」
と、ボウは彼を気遣う様子を見せた。
「わたしが行かなくていいといったのよ。うろうろされるのは却って面倒だから」
と、これもチンスだ。
「ミム!」
グドンが何か質問する前に、チンスが奥へ向かって大声を出すと、ミムがいそいそと現れてボウの手をとった。
「わたしの部屋で待ちましょ。二人は何かお話があるみたいだから」
訳の分からないままボウは、売り飛ばされた牛のように奥へ引かれて言った。
二人の姿が消えると、チンスが無表情な顔をグドンへ向けた。
「あなた、渉不城から来たの?」
突然、彼女から何の前置きも脈絡もなくそう訊かれ、グドンは正直面食らった。
「渉不城から来た?」
とりあえず時間稼ぎをしたくて、彼は質問を復唱した。
だが、チンスはそれを許さなかった。
「あなた、そのことを誰かに話した? つまり、渉不城から来たことを」
渉不城の出身であることは、もう疑いのない事実という口ぶりで、チンスが畳みかける。束の間、グドンは返事に窮し、騙せないと悟ると大きく溜息をついて頭を掻いた。
「この町の誰かという意味なら、ケンシたちには話したけど…」
「他には? たとえば、この仮眠所の誰かに話してない?」
グドンは迷わず首を振る。
「だとしたら、喋ったのはやっぱり彼女ね」
苦々しい顔で呟くと、チンスはボウが消えた奥のほうへ目を向けた。
「どういうこと?」
ボウの失言で何か問題が起きたとは想像できたが、チンスがなぜここまで干渉してくるのか、グドンには事情がのみ込めなかった。
「大間抜けが、あなたのことを色々嗅ぎ回っているのよ」
「大間抜け? おいらのことを嗅ぎ回ってるって、どういうこと? そのことと、ボウにどんな関係があるの?」
「あなたの彼女に気がある大間抜けといえばわかるでしょ? 彼は、一部の半妖の失踪とあなたが関係していると睨んでいる。そのうえ、あなたが渉不城の出身だと知り、何か良からぬ理由で故郷を逃げ出してきたんじゃないかと疑っている。放っておけば、これからも色々嗅ぎまわるでしょうね」
やっとすべてを納得したグドンは大きく胸を上下させた。
「チンス、あなたは、半妖が失踪している一件をどこまで知ってるの?」
何か喋る前に、グドンは現状を把握したかった。
「ほぼ全部ね」
と、チンスはあっさり認めた。
「ゴヒたちがやろうとしていたことや、彼とケンシの妻ミトとの関係、あなたが彼らをどこかへ連れ去ったこと。まあ、それがどこかも大体想像はついてるけど…」
「それで、あなたの立ち位置としては?」
「あなたの側かということ? それなら、今のところはそうね。ゴヒの上司には、しばらく知らんふりしろと釘を刺した。廃墟の入口には見張りを立てている。これで満足?」
グドンは頷いた。
「でも、どうして、ボウをここに連れてくる必要があったの?」
「あの子は危ないと思わない? 渉不城のこともそうだし、放っておけば、面倒を仕出かす可能性が大だわ。だから、ここで監視することにした」
グドンは、彼女の言い方に抵抗を感じた。
「渉不城のことを話したのは、彼女のせいじゃないよ。元々、秘密でも何でもなかったし」
それは彼の本心だった、ボウを庇うためのきれいごとではない。実際、蟻巣島では渉不城の出身だと公言していたし、ケンシたちにもそのことを話した。天妖都にも長居する気はなかったから、話しても構わないと思っていた。最近考えを少し変えたのは、チンスや情報局と関わるようになったからだ。情報局なら、グドンとセイイツの関係を調べ出すのも造作ないかもしれないと気づいたのだ。
チンスはじっとグドンを睨んだあと、
「あの子にメロメロなわけね?」
と、珍しく皮肉を言った。
「彼女以上に大切なものはないよ」
グドンの真剣な眼差しに、チンスは驚き、口元を窄めた。
「ちょっと嫉妬するけど、まあいいわ。とにかく、ここに住ませても悪くはないでしょ? 二人には何かと便利でしょうし」
照れることなく、グドンは頷き、
「仙族の青年のことはどうするの?」
やっかいなのはそこだった。
「向こうの出方次第ね。脅したから手を引く可能性もあるし、大間抜けはどこまでも底なしかもしれない」
「一つ訊いていい?」
グドンははじめて申し訳なさそうな顔になった。
「もう幾つも訊いたと思うけど」
「へへ。あなたは、どうしてそこまでおいらの手助けをしてくれるの? 知り合って、それほど時間もたっていないと思うけど」
「あなた、わたしが好きでやってると思ってる? あなたがわたしのお気に入りだからと?」
「え?」
彼女の言葉の真意を測りかね、ぼんやり口を開いたままだったグドンは、彼女の冷たい視線に気づいてはっとなった。
好きでやってるんじゃない? ということは、誰かにやらされているということか?
それがわかった瞬間、何かで心臓を一突きされたような衝撃を感じた。
グドンが何を考えているかわかったらしく、チンスは笑顔になった。
「もちろん、上司の命令よ。なぜ、こんな命令が出ているのか、誰が出してる命令かわからないけど、わたしはそれに従うしかないの。あなたのことが気に入っているからじゃない。わかる?」
グドンの顔には、もう微塵の笑みも残っていなかった。どこかに隠れていた不安の種がむくむくと膨らんで胸いっぱいに広がった感じだ。
おいらは誰かに監視されている? その誰かに操られ、この町へやってきた? もちろん、情報局への入局もそいつが仕組んだことということか?
グドンの不安そうな表情を見て、チンスは少なからず留飲を下げた。わたしの目の前で彼女との関係を惚気たりするからよ。わたしも女なの? わかる?
「本当は命令だなんて話したら駄目なんだけど、それこそ、あなたは、わたしのお気に入りだから話したわけ。とにかく、色々用心することね」
彼女はグドンの返事を待たず背を向けた。
「じゃ、また明日、本部でね」
グドンは、得意満面で出ていくチンスの後ろ姿をちゃんと見送る余裕すら失っていた。




