141 目覚めてみると…
意識を取り戻したとき、グドンはどこかの柔らかな寝台の上に横たわっていた。
おいらは、情報伝送室での作業に精根尽き果て、あまりの眠気に椅子には座っていられなくなって、そのまま床で横になり眠ってしまったんだ。
当時の記憶が瞬時に蘇り、グドンは目をあけようとした。しかし、次の瞬間、誰かに体を触られ、あっと体を緊張させた。
誰か、恐らく女性が、すぐ横に座っておいらの頭を撫でいている。これはいったいどういう状況だろうか?
すぐに思い浮かんだのはボウのことだ。
倒れた自分を心配して、情報局へ駆け付け、ずっと見守ってくれていたのか?
だが、自分が情報局に来ていることをボウは知らないはずだし、チンスたち内部の者が伝えたとも思えなかった。それに、ボウにしてはどこか違和感がある。
恐る恐る目を開けると、病気の息子を看病する母親の目で、ボヤが隣りに座り、グドンの頭を撫でていた。
彼は思わず跳ね起きそうになった。
仮にこれが若い女性であったなら、慌てて着衣の胸元を掻き合わせ、まだパンツを穿いているかどうか確認したに違いない。まさに、酔っぱらって一夜明け、気づいたら見知らぬ男の寝台にいた、そんな状況だった。
え? これは、どういうこと?
何よりも奇妙なのは、ボヤの目が泣いたあとのように赤く腫れていたことだ。
このときになって、先ほどの違和感がどこにあったのか、グドンはようやく気が付いた。
まずボウにしては手が肉厚で大きすぎる。まるで象に撫でられているみたいだ。それに、ボウとは体臭が違う。どう違うかは…、いうまでもなかった。
「目を覚ましたのね。よかった…」
そう言われてグドンは、状況の一部を把握できた気がした。
彼女は恐らく、床に倒れたおいらを見て、脳を破壊してしまったと勘違いしたのだ。
任務作業中、新人に重傷を負わせたとなれば、彼女もお咎めなしでは済まないだろう。任務失敗への後悔と今後への不安から内心恐慌をきたした。ボヤは涙を流しつつ必死の思いで祈ったのだ。お願い死なないで。早く目を覚まして頂戴、と。
それにしても…。
自分が怪我をしたことでボヤがこれほどショックを受け涙を流してくれるとは、グドンは思いもしなかった。
何か温かなものが心の中に込み上げてくる。
それは大いなる誤解だったが、上半身を起こした彼は愛情を込めてボヤの腕を叩いた。
「心配してくれて、ありがとう」
「いいのよ。当然だわ。それより、具合はどう? まだ寝ていてもいいのよ」
「いや、もう全然大丈夫」
さすがに、眠っていただけとは言えなかった。グドンは額を擦って頭をはっきりさせ、
「今日の作業は? このあとも続けるの?」
と訊いた。
「とんでもない!」
ボヤは悪夢が蘇った様子で手を振った。
「今後どうするかは、チンスさんと相談して決めるわ。でも、とにかく今日はこれで終了。早くとも次は明日ね」
グドンは頷くと、寝台を下りた。
「どうするの? 仮眠所へ帰る? 必要なら送っていくけど」
ボヤの言葉に、グドンは少し考え首を横に振った。
「少し街を散歩するよ。頭の中を整理して、落ち着いてから仮眠所へ帰る」
グドンにはやるべきことがあった。
一つは、半妖の居住地へ行ってケンシたちの帰宅を再度確認する。もし帰宅していたら、彼の妻ミトの手紙を渡し、その後、ミトやゴヒ、さらに鍾乳洞へ閉じ込めた半妖をどうするか彼と相談して決める。
もちろん、このまま放置するのもありだった。彼らは、グドンやボウ、ケンシたちにひどいことをしようとした。とりわけケンシに対する計画は重罪で、厳罰に処されてしかるべきだ。倉庫や鍾乳洞に放置したうえで、秘密の入口を破壊してもよいという気がした。彼らのことがなくとも、鍾乳洞にせよ、ゴヒたちのいる倉庫にせよ、誰でも出入りできる状態にしておくのは非常に危険だから、壊してしまえば丁度都合が良い。
心配なのは誰かがゴヒたちを探しに行くことだが、今のところその心配はなさそうだ。
もう一つは広場へ行って、ボウが来ていないか確かめる。
来なければそれでいいし、来たら、二人で今後のことを相談したい。もちろん、互いの安全を確かめ合うだけでも良かった。
「これはチンスさんからあずかったの」
ボヤは、真新しい納戸袋を取り出し彼に手渡した。
受け取り中を確認すると、信じられないほどの妖金が入っていた。
「とりあえず、何をするのにもお金が必要でしょ? あなたは天妖都へ来たばかりだから、手持ちが少ないんじゃないかと思ったの。百万ほどしか入ってないから、足らなければ、わたしかチンスさんにいって。極端な大金でない限り用意できると思う」
これが組織の力というものだろうか? 百万程度の金は、とるに足らないはした金、必要経費としてどうにでもなる、といった感じだった。
グドンはありがたく頂戴することにした。これも局員としての報酬と思えばよい。
ボヤと別れたあと、グドンははひとまず城内から出ることにした。
廃墟の確認に行くためではない。そんなことをすれば、かえって墓穴を掘ることになりかねない。彼がやりたいことは別にあった。
グドンは城壁を出て町から離れると、一旦姿を消し、誰にも見られていないことを念入りに確認した。再び姿を現したときは、もうグドンではなくなっていた。渉不城の半妖コタンフだ。容姿も雰囲気もすべて瓜二つ。たとえ渉不城の誰かが見ても、偽物だと見分けがつかなかったに違いない。
コタンフに変身したグドンは、改めて検閲を受け、入城料を払って城壁内へ入った。
検閲の際は、新たな身分証を手にした。
「何か、能力はあるか?」
訊かれたグドンは、薬師の能力があると答えた。
「何か証明は?」
彼は蟻巣島でもらった薬師の証明書を渡した。
そこには一級薬師と記載がある。一級というのがどれほどの能力かグドンにはわからなかったが、証明を見た係官は目を丸くした。
しばらくして、係官から渡された身分証を見て、今度はグドンが目を丸くした。
コタンフ、半妖、等級六十、とある。
六十? これはグドンより二十も上、妖族の開始等級ではないか? 一級の薬師は、妖族と同等の価値があるということか? しかも、係官たちの態度は、一般の妖族に対してよりもずっと敬意に満ちていた。
「よろしければ、薬師協会までご案内しますが」
ここにも薬師協会があるんだ…。
グドンははじめてそのことを知ったが、相手の申し出は丁重に断った。今のところ、薬師協会に行く予定はなかったし、薬剤を改めて学ぶ気もなかった。
薬師の能力を告げたのは、それが等級にどれほど影響するか純粋に知りたかったからだ。他意はない。
城内に入ったグドンは、そのまま半妖の居住地へ向かった。
コタンフに化けたことで、たとえケンシの家を訪ねても、本来の姿を大ぜいの目に晒さないですむと思うと気が楽だった。
今は、情報局はもちろん、半妖や仙族の一部も彼に目を光らせている可能性がある。あちこち歩き回れば、さらに注目を浴びて、面倒に巻き込まれる恐れがあった。
元より、ケンシたちのことが片付いたら、グドンはすぐに町を出ていくつもりだ。この町に魅力はないし、長居する理由もない。チンスには申し訳ないが、組織の手足になることに興味はなかった。
とにかく今は、面倒を起こさず、誰にも注目されないでいたい。グドンはそのことに注力することにした。
地位も財産も仕事もいらない。必要なのは、ボウといられる土地を探すことだ。その土地が天妖都とは、とても思えなかった。




