139 妖器店
グドンが死んでいないことをチンスが一から説明しようとしているとき、ボウは、ジョウジョウやアダと一緒に、街なかへ買い物に繰り出していた。
若い女性にとって、買い物は最大の娯楽だ。たとえ、どの種族であろうとも、買う買わないにかかわらず、様々な商品を見て回るだけでも、この上もない幸せを齎す。ましてや、陳列台に並ぶ、ボウがこれまで見たこともない商品の数々は、輝く宝石と同じだった。
さらにボウを喜ばせたのは、ジョウジョウの弟キョウが、仕事を理由に同行しなかったことだ。彼が一緒であれば、たとえジョウジョウやアダに不快な思いをさせようと、彼女は出かけるのを拒んだだろう。彼の不在はまさに神様からの贈り物といってよかった。
ただ、外出したボウを驚かせたのは、アダとジョウジョウがどちらも仮面をつけていたことだ。
聞けば、仙族が街なかへ繰り出す際は、皆、こうするのだという。
周りから見えないことは、煩わしさから解放される反面、不便なところもあった。意外にも、天妖都の仙族たちは、それをボウと同じ方法で解決していたのだ。
もちろん、ボウもホウカの仮面をつけていくことにした。
三人は、長年の親友のごとく手をつないだり、腕を組んだりしながら街を歩いた。
渉不城の山の中しか知らないボウにとって、天妖都はまさに別天地で、見るもの聞くものすべてが新鮮だった。あまりにも楽しくて、グドンに申し訳ないと思ったほどだ。
自分だけ楽しんでいるお詫びではないが、グドンのために何か買って帰り贈り物にしようと、彼女は当初から決めていた。
だが、さしあたり問題となるのはお金だった。
ゴヒたちから奪ったお金の半分をグドンからあずかっていたものの、とても高い買い物が出来る金額ではなかった。
ボウは、出かけるに先立ち、天妖都の妖金の価値や物価について学んだ。
それによれば、彼女が今手にしている妖金は二十万と少しになるらしい。
二十万という数字の大きさにいったんは喜んだボウだったが、それは、一週間旅館に泊まり、毎日三度食事するのにカツカツの金額らしいとわかり落胆した。
実際にはアダの家に世話になっているから、そうした面での出費はないが、いざというときのために、ある程度は残しておく必要がある。そう考えると、買い物のため自由に使える金は、ほとんど残っていなかった。
それでも彼女は、街なかを歩きながら、グドンなら何を一番欲しがるだろうか、とそればかり考えていた。
妖器を専門に扱う店では、幾つかの商品がボウの目を引いた。
店主に、攻撃用と防御用のどちらを希望するかと訊かれ、迷うことなく防御用と答えた。グドンも誰かを傷つける武器を欲しがらないはずだし、ボウもそうであってほしいと願っていたからだ。
攻撃は最大の防御という言葉もあるし、守るいっぽうでは当然守勢に回ってしまう。それはわかっていたが、それでも、自らグドンのために攻撃用の武器を用意する気にはなれなかった。それに、グドンは武器などなくても自分を守れる。そんな確信がボウにはあった。
店主は陳列台の上に三つの商品を並べた。
左から順に、手鏡、液体の入った小瓶、方位計だ。
手鏡? これがどのように防御の役目を果たすのか?
興味津々で見つめるボウに、手鏡を自ら手に取った店主は笑顔で説明を始めた。
「この鏡は、自分を映すためのものじゃありません。どこか遠くの風景を映すんです」
「遠くの風景?」
「そう。ここは店内だから、遠くは映せない。代わりに店の奥へ通ずるあの扉のあたりを映してみましょうか」
そういって店主は鏡の角度を変え、彼らから十メートルほど離れた、店舗の一番奥の辺りをその表面に映した。
「そして、鏡の表面を指でなぞります」
店主が指で鏡に映った扉を指で触れると、目の前からパッと店主の姿が消えた。
気づくと、店主は扉の前に立っていた。
店主は再びカウンターの奥を鏡に映し、指で触れる。
あっという間に、店主の姿はカウンターの向こう側へ戻っていた。
ボウは思わず拍手しそうになった。
まるで高度な曲芸を見せられた印象だ。
店主から手渡された手鏡を、ボウは魅入られたように見つめる。
「戸外で使えば、効果は覿面です。遠くの山を映し、その画面に触れれば、次の瞬間、あなたは山の中にいる。誰かに襲われ、危険な目に遭ったときにも、これ一つあれば、絶対に逃げおおすことができる。どうです、魅力的でしょう?」
手鏡から目を離せないでいるボウだったが、これをグドンが使った姿を想像して小首を傾げた。敵と対峙したグドンが懐から手鏡を取り出す姿は何とも不釣り合いだった。それに、グドンは高速で空を飛べるし、逃げるだけならそれで十分のはず。
でも、わたしが使うのなら…。
鏡に映った自分の顔を見つめ考え込んでいるボウの手から、アダが鏡を取り上げて陳列台の上へ戻した。
「いらないわ」
「え?」
ボウが驚いてアダを振り向く。
「この手の妖器は、いつも効果が発揮されるわけじゃないの。ごく稀には、失敗して鏡の中から抜け出せないことがある」
「鏡から抜け出せない?」
ボウは恐れるように鏡から一二歩後ずさった。
この鏡の中には今も、抜け出せなくなった人たちがいるのだろうか?
「そんな確率は万分の一です。それほど危険なものなら、ほら、わたしが実地で試すはずがないでしょう?」
善人を装い、店主が満面の笑みを浮かべる。
万分の一もないではなくて、確率が、万分の一あるの?
「やっぱり、別のにします」
申し訳なさそうにボウが会釈した。
まったく悪びれた様子もなく、店主は小瓶を取り上げ、彼女の目の前にかざした。
「忘れ草の樹液五滴です」
「忘れ草」
「そう。この液体を一滴、誰かに飲ませれば、直前三日間の記憶が失われます」
「三日間の記憶? それが、どうして自分を守ることに繋がるの?」
ボウが訝る。
「ほら、誰かに知られたくないことを知られたとき、困った立場に追い込まれることがあるでしょう? 口封じに殺してしまう方法もありますが、そこまでしなくとも、これがあればすべて解消します」
たとえば、わたしが誰かに仙族だと知られたり、話すべきでないことをうっかり口を滑らせたときに使うのね?
それなら、確かに役に立つときがあるかもしれない。防御というのは大袈裟だが、持っておいて損はないかも…。
「代金は幾らなの?」
「これはもうただのようなもんです。一滴、十万妖金」
「じ、十万?」」
小瓶を取ろうと伸ばしかけた手を、ボウは慌ててひっこめた。
「この方位計のようなものは?」
己の狼狽を誤魔化すように、ボウは最後の商品へ視線を移した。
店主もすぐさま彼女の心中を読み取り、小瓶を元へ戻すと、代わりに方位計を手に取った。
「これは見ての通り、方位磁石です。ただ、単純に北側を示すわけじゃない」
と、方位計の付属品らしき小さな勾玉を指さした。
「この勾玉を持った者を、この方位計はどこまでも追跡できるんです」
「追跡?」
「そう。たとえば、お客様に小さなお子さんがいたとします。悪戯っ子は少し目を離すとすぐどこかへいなくなります。そんなときも、これがあれば大丈夫。お子さんに勾玉を持たせておけば、たちどころに居所が突き止められます」
三つの商品の中で、意外にも、この方位計が一番彼女の興味を引いた。
勾玉を自分が持ち、方位計をグドンが持っていれば、何があっても二人がはぐれることはない。もちろん、そんな事態が起こらなければそれに越したことはないが、世の中、何が起こるかわからない。だが、これさえあれば、たとえわたしが危険な目に遭っていても、必ずグドンが助けに来てくれる。
これでは、グドンのための贈り物ではなく、自分のためになってしまうと思ったが、ボウはもう、そんなことに構ってはいられなかった。
「しかも、この勾玉にはもう一つ秘密があるんです」
彼女の興味を引き付けたと感じ、店主は畳みかけるように商魂を露わにした。
「勾玉を持つ者が危険にあって助けを必要とする場合、これを握って救助を願うと、赤く変色するんです。すると、方位計が強く振動します」
「それは、どれくらいの距離なら効果があるの?」
自分の声が興奮で震えていないか、彼女は心配になった。
「ざっと三千キロ。普通で考えるなら、無制限といってよいでしょう」
買います! ボウは今にもそう叫び出しそうになった。
彼女の頭の中は、窮地に陥った悲劇のお姫様を助けに来る、グドンの雄々しい姿で一杯だった。だが、先ほどの樹液のこともあった。自分の資金はごくごく限られているのだ。買いますといっておいて、代金が払えないようでは格好がつかない。
「そ、それで、幾らなの?」
「方位計、勾玉が一組で二十万です」
二十万…。ボウは泣きたくなった。
ほぼ自分の全財産だ。先ほどの樹液一滴十万と比べれば、破格な値段かもしれない。だが、方位計を買えば、ほとんど何も残らなくなってしまう。そうなれば、アダの家を出て、旅館に泊まることもできなくなる。それは、とても賢明な行動とはいえなかった。
それに、この買い物をグドンがどう感じるかも気になった。愚かな買い物で散財してしまう小娘に、グドンは失望するかもしれない。この子にお金はあずけられない。まだ保護が必要なんだ。もちろん、伴侶としては失格だ、と。
黙ってしまった彼女をアダが心配そうに思いやった。
「代金は、わたしが肩代わりしましょうか? この商品の効能がどこまで本当かわからないけど、二十万なら、たとえ捨てても惜しくはないし」
やっと我を取り戻したボウは、顔を赤らめ首を振った。
「お金はあるの。でも、今回はやめにする。少し考えて、必要ならまた来るわ」
「そう?」
ボウは笑顔でアダに礼をいうと、店主にも礼をいい、逃げ出すように店を飛び出した。
何とも居たたまれない気持ちだった。
このまま店に留まれば、また別の商品に魅了され醜態を晒してしまいそうだ。
そんな彼女をアダとジョウジョウが慌てて追いかけてくる。
「大丈夫?」
店内では、冷ややかな目で、ボウと店主のやり取りを眺めていたジョウジョウも、本気で彼女を心配する。
「大丈夫よ」
と、何とか作り笑いを浮かべたが、気分は地の底だった。
「でも、買わなくて正解だったかもね」
とアダ。
「店主のいうことが本当なら、二十万じゃなく、二百万でも安いくらい」
「そうそう。それはわたしも思った」
ジョウジョウも同調する。
日頃、買い物に慣れている二人の感覚は、ボウよりずっと正確だった。
そのことがまた、彼女を落胆させた。
わたしは、本当にこどもで、何も知らないおのぼりさんだ…。
「次は何か食べに行きましょうか?」
ボウを励ますようにアダが言った。
「おいしいお菓子を出すお店が新しくできたの。店主が自分で作ってるらしいわよ。出身は魔族だというし、試してみない手はないわ」
ボウもジョウジョウもすぐに賛成した。
魔族? ここには魔族がいるのね…。しかも、魔族が作るお菓子なんて、どんな味がするんだろう?
ボウは先ほどの醜態も忘れ、期待で胸を膨らませ、今度は本物の笑顔になった。




