137 予定外
本当にあなたの棺桶になれば面白い。
ボヤはそう思っている自分に気づいて驚いた。これほどグドンに反感を持っている自分が不思議だった。彼がそれほど無礼な態度をとっているわけでもない。それなのに、なぜだろう?
グドンは喜び勇んで室の中に入り腰を下ろした。
そのままの格好で、ボヤがどのように情報の伝送を行うのか、その行動を見守っていると、ボヤがにやりと笑った。
「こちらを見て座るんじゃないのよ。壁に向かう格好で座るの」
「壁と向かい合う?」
グドンは椅子を回転させ、壁と向き合う。
壁は両側面同様、何かの金属で造られている。表面が鏡のように磨かれているが、彼の姿が映りこむようなことはない。黒く無機質で、どこにも仕掛けがあるようには見えなかった。
「半妖とそれ以外の種族の基礎情報をまず三分の一だけ伝送するわ」
ボヤが操作盤を指で叩く音が聞こえる。
「それなら、まず過負荷になることはないでしょうし、知識が脳内に移されたら、その情報を利用して分類、凝縮をどうやるのか実地で説明する」
「じゃ、情報が伝送される最中も、会話ができるわけだね?」
「それは、やってみればすぐにわかるわ。いい? 始めるわよ」
開始の合図に前後して、グドンの背後で扉が閉まる音がした。
これで完全に棺桶の中に閉じ込められた!
そのことに緊張を感じる間もなく、壁に文字が浮かび上がった。小さな文字で、余程壁面に目を使づけないと何と書かれているのか判別できない。思わず目を凝らそうとしたとき、突然、脳内に大量の情報が飛び込んできた。
いけないと思いつつ、反射的に目を閉じそうになる。だが無理だった。瞼はもちろん、体全体の自由が失われている。
彼が受け入れる受け入れないにかかわらず、さらに大量の情報が流れ込んでくる。
それは、数千メートルの高度から地上へと跳躍する感覚に似ていた。宙へ飛び出した瞬間、呼吸が止まり、自身を取り巻く風景がみるみる背後へ遠ざかっていく。これがいつまで続くのか、そう思うだけで胸の鼓動が高鳴った。
不思議なのは、脳内に注ぎ込まれたはずの情報がどこへ行ってしまったのか、その存在が感じられないことだった。
感じたときには、脳がボンと破裂するときではないか、と思うと不謹慎にも少し笑えた。
おいらの脳はどれほどの情報を収納できるのか?
ボヤは基礎情報の三分の一と言った。その情報だけで、脳内の半分以上が占拠されてしまったら、今後の作業は中止されることになる。
ほんの少しだけ、それが心配だった。
だが、そんな心配も束の間、次の刹那には情報の流入が止まっていた。
情報量がゆっくり減少してやがて途絶える、というのではなく、開いていた扉がパタンと閉じるように、突如終了した。
グドンは呆気にとられ、しばらく身動きできなかった。
これから、どうすればいいのか?
ボヤの指示を仰ごうとしたとき、周りの空間がゆっくりと揺らめくのを感じた。
これと同じものをどこかで見たことがある。
そう思ってグドンが記憶を辿っていると、目の前の視界がぼやけ、気づいたときには、自分の脳内にいた。
幻覚だ! 彼にはそれがすぐにわかった。蟻巣島で女王蟻に幻覚を見せられたときとまったく同じ感覚だった。
彼に幻覚を見せているのは、もちろん、ボヤだろう。
案の定、それまで気づかなかった黒い塊のようなものが、視界の先に小さく見えた。
あれが伝送された情報?
グドンが戸惑ったのは、その塊が余りにも小さかったからだ。見えている風景の全体が脳海だとすると、何億分の一にもならない。
これは何かの間違いか? それとも幻覚と現実は元々根本的に違うのか?
それにしても、区域の三分の一の基礎情報がこれほど僅かということがありえるのか? あれだけ色々脅すようなことを言ったのは、彼を揶揄うための冗談だったのだろうか?
グドンが見ている前で、黒い情報の塊がいきなり小さな粒となってばらばらに飛び散った。目を凝らさずとも、その小さな粒の一つ一つが情報であるとわかった。誰かが…きっと、ボヤが、その粒に何かの札を取り付けていく。それも一種類ではない。何種類もの札だ。
これは情報を分類するための札だ、とグドンにはすぐにわかった。
情報には、その他大ぜいの庶民、つまり一般の半妖や魔族等に関する個人情報はない。これはあくまで歴史の中に残された天妖都の各種族のエッセンスだ。そうした情報に、反体制、社会貢献、犯罪、派閥、個々の事件名等の札がつかられていく。名前や、祖先が誰かといった個人情報もあるが、それはいわゆる大物に限られた。
粒を単純に年代順に並べようとすると、年代別という一つの塊となる。体制への反抗でまとめると、その分類に属する項目だけが選ばれる。無関係な粒はそのままだ。
ここまで見てきて、グドンは首を捻った。
こうした分類は、何も脳内で行わなくとも、事前に機械的に行えば済むことではないか?
だいたい、この程度の情報を分類する必要があるのか?
札をつけ終わった情報は再び一つの塊になった。
そこに再び半体制というくくりで分類が行われる。
すると今度は、その項目に含まれない情報が塊からボロボロ零れ初めた。零れた情報はやがてどこかへ消えていく。残った塊はさきほどよりずっと小さくなった。
ここまで見て、グドンはやっとこれが一種のデモンストレーションであることを思い出した。
分類や篩分けは、今必要だからではなく、グドンにやり方を例示しているだけだ。これも一種の学習、講義だった。
実際、それが終わると、一旦零れて消え去ったはずの情報が、また復活して元の塊の中に戻った。
最後にはその塊が見る間に縮み始めた。まるで中の空気を吸引し抜いていくみたいに、塊は徐々に小さくなり、やがて豆粒大になった。
こうした能力は、基礎情報の段階ではなく、水準一以上の情報を吸収する際に必要となるものだろう。ボヤはそれを幻覚というやり方で今教えてくれたのだ。
グドンは、ボヤの幻覚を消し去り自分の力でやってみることにした。
ボヤの幻覚をはねのけると、一瞬の抵抗を感じたのち、幻覚が消え、自分で行動できるようになった。
それをグドンはボヤから許可が出たものと受け取った。
先ほどボヤから教えられたことを、グドンはすべて実地で試してみた。
まずは情報の分類だ。
情報の塊を粒に分解し、その一つ一つに札をつけていく。
それが終わると、次は不要な情報の排除。無用となった情報を塊からボロボロ削ぎ落していく作業は一種の快感を伴った。
最後に、塊を凝縮させた。
だが、力の上限が分からず、凝縮させ過ぎて、もう少しで塊すべてを消し飛ばしてしまうところだった。
すべてが終わると、塊を元へ戻した。基礎情報の塊には分類も取捨選択も凝縮も必要ない。必要なものだけそのまま脳内へ知識として吸収したあと、すべて消去した。
これで終わりだろうか?
グドンはひどく物足りなさを感じ、ボヤが残り三分の二を伝送してくれないか、と期待を持って待った。だが、なかなか変化は訪れない。
仕方なく、グドンはボヤの脳へ自分のそうした思いを直接送った。
局内部では、こうした意思疎通の方法は通常の行為だろう、と思えたからだ。
このとき、グドンは完全に幻覚から覚めていた。覚めた状態で、壁を睨んだままボヤの反応を待った。
しばらくすると、残りの情報が送られてきた。
グドンの要求を彼女が承認してくれたらしい。というより、三分の一の伝送で問題が起きない限り、こうすることが当初からの想定だったのかもしれない。
基礎情報三分の二の収納もすぐに終了した。
調子にのったグドンは、残りの三十二区域の基礎情報をすべて送ってくれるよう懇願した。
大きな期待もせず、半ば冗談で試してみただけだったが、驚いたことに、ほぼ間髪入れず大量の情報が脳内に伝送された。
三十二区域すべての基礎情報だ。さすがに今回は、情報の整理に、グドンも時間を要した。
だが、そうした時間や疲労と引き換えに、彼は大量の情報を得た。天妖都の半妖に関する情報などという彼にとってほぼ無価値な情報と違い、とりわけ周辺地域を含む外部に関する情報は、今後、彼が行動するうえで、大いに役に立ってくれる可能性があった。
情報の中には、渉不城や蟻巣島に関するものもあった。しかし、案の定というべきか、渉不城関係の情報は、情報と呼ぶのがおこがましいほど乏しい内容だった。含まれているのは、ムダイやコウギシたち指導者の名前や、主たる産業程度で、城内へ入るため湖を渡るには勾玉が必要なことさえ記載されていない。もちろん、グドンやホウカたちのことなど一切記載がなかった。
ただ、意外にも、渉不城に隠遁する仙族に関しては僅かながら記録があった。マキたち指導者の名あるし、毒の発生する沼地を通り城外へ出入りする仙族がいることも記載されている。だが、この基礎情報の中には、彼らを苦しめた病については何も触れられていなかった。
とはいえ、多少なりとも仙族の情報があったことに、グドンは少なからず衝撃を受けた。
こうした情報は、誰がどうやって集めたものだろうか?
仙族が自ら提供したとは思えなかった。町の半妖が仙族の内情に通じていたとも思えない。それなら、誰が、どうやって?
残念ながら、今のグドンにはそれを深く考えるだけの余力は残っていなかった。
さすがに疲労困憊し、強い睡魔に襲われた。
このまま眠ってしまったら、ボヤは怒るだろうか?
いや、しばらくこのまま放置されるのがおちだろう、と彼は思い直した。彼女は今回の一件を逐一報告するよう、チンスに求められているに違いない。きっと今はそのための作業でかかりきりになっているはずだ。
半妖やその他の種族に関するものだけでなく、三十二の区域すべての基礎情報をグドンへ伝送できたことは、彼らにとっても想定外であったに違いない。それならきっと、二人は今、これからの計画を改めて協議する必要に迫られているはずだ。そのためには、グドンがここで静かに眠っていてくれたほうが都合がいいと思っている可能性すらあった。
強い睡魔に襲われながら、グドンが最後に思い浮かべたのは、やはりボウのことだった。
彼女は今何をしてるだろうか? 天妖都の仙族にいじめられていないといいけど…。
長い睫毛の揺れるボウの横顔を思い浮かべながら、グドンは静かに眠りについた。




