131 嫌がらせ
ボウと別れたグドンは、もう一度ケンシの家へ向かった。
時間を考えると、ケンシたちが隧道から戻っている可能性はほとんどなかったが、それでも、念には念を入れるためだった。
もし戻っていたら、ミトの手紙を彼に渡し、ケンシたちの一件はこれでおわりにするつもりでいた。いなければ、明日もう一度訪ねる。内容が内容だけに置手紙というのはできるだけ避けたかったが、ボウとこの町を離れるまでに彼らが戻らなければ、それも仕方がない気がした。
予想どおりというべきか、ケンシはまだ戻っていなかった。
次にグドンは今夜泊まる宿を探した。
どこに泊まるという当てもなかったから、通りすがりに適当に目に付いた旅館へ飛び込んで宿泊が可能か尋ねることにした。
そこは人族が経営する宿だった。
入口から中へ入ると、ロビーはひと気がほとんどなくガランとしている。暇そうにしていた受付の中年男に泊まりたい旨を告げたが、男はあっさり「満室だ」と返事をして寄こした。
どう見ても満室とは思えなかったが、グドンは粘ることなく引き下がることにした。もしかすると、半妖や妖族は、人族の旅館に泊まれないのかもしれない。そんな予感がしたからだ。
実のところ、人族は半妖や妖族の宿には泊まれないが、人族の宿に半妖が宿泊するのを禁止する規定はなかった。しかし、多くの宿では、面倒が起こることを嫌がり、拒絶することも多い。そういった事情を知らないグドンも、何となく予測はついた。
「この辺りに、半妖の経営する宿はある?」
彼が訊くと、宿の受付は小さく笑みを浮かべた。自分の本意がグドンに伝わったとわかってほっとしたようだ。
男はその場から一番近い宿を紹介してくれた。最後には、その宿への道順を記した簡単な地図まで渡して寄こした。
グドンのような客は珍しくないのかもしれない。
グドンは礼をいってその旅館を出た。
紹介された宿はすぐに見つかった。当たり前かもしれないが、ケンシの家からはむしろ近い位置にあった。前回この宿の前を通ったときは、この町の地理に疎いグドンが気づかず、素通りしてしまったのだ。
「この宿は等級四十以上の者しか泊まれないが大丈夫かね?」
宿の主人は、そう言うと値踏みするようにグドンを見つめた。
グドンがうなずくと、相手は少し驚いた顔になった。
これにはグドンのほうが疑う目になった。まるで自分の等級を知っていたような素振りだったからだ。
「身分証を見せてもらえるか?」
尚も、主人は要求する。
グドンが渡した身分証を確認した主人は、明らかに困惑した顔になった。
「ちょっと待ってください。部屋があるか確認します」
慌てた様子で、近くにいた下働きらしい小僧に何か耳打ちする。小僧はすぐにどこかへ出て行ったあと、戻ってくると主人に首を振った。
主人はグドンに申し訳なさそうな顔を取り繕った。
「残念ながら、満室のようです」
グドンが入ってきたばかりの頃とは、言葉遣いまで変わっている。
グドンは何もいわず、軽く頷いてその宿を出た。
主人の態度は明らかに奇妙だった。グドンの等級を四十未満と誤解していて、それを口実に宿泊を断ろうとしたようだ。
だが、なぜ、そんなことをするのだろう? 考えられるのは、誰かにそう指示された場合だ。
肝心なのは彼の等級を四十未満と誤解していた点だ。そのことを知っているのは、城門の係官以外ならボウしかいない。チンスも彼の身分証見たが、今は四十だと知っている。だとすればボウが直接宿の主人に話すはずはないから、ボウから聞いた誰かが教えたのだ。
それが誰かは考えるまでもなかった。
グドンは溜息をつくと、仕方なく別の宿を探すことにした。
道を行きかう者に泊まれそうな宿を訊いて、次の旅館にたどり着いたときは、辺りがもう薄暗くなり始めていた。
だが、グドンはそこでも何か嫌な予感がした。
案の定というべきか、その旅館でも部屋がないと言われた。だが、旅館を出入りしている客はまばらで、とても満室という雰囲気ではない。
これで何か変だと思わなければ、どうかしていた。間違いなく、裏で誰かが嫌がらせをしているのだ。ゴヒの一派を別にすれば、この町で彼に反感を抱いていそうな者はひとりしかいない。遠くから陰険な表情で彼を睨んでいた、あの仙族の青年だ。
誰が犯人かわかりはしたものの、といって、今のグドンにできることはなかった。
とりあえず、何とかして今夜泊まるところを探さなくてはならない。
最悪野宿か、いったん廃墟へ戻ることも考えたが、どちらも気がすすまなかった。
考えあぐねた末、彼は極めて不本意な道を選ぶことにした。城門前の広場に戻ると、そこにいた者を適当に何人か選び、チンスはどこへ行けば会えるかと訊いたのだ。
訊いた全員が「チンスって誰だ?」と答えたが、グドンは満足すると、広場の隅に適当に場所を見つけ腰を下ろした。
腰を下ろす前に、屋台で何かの果汁と歩き食いのできる簡単な食べ物を買って口にした。
夕暮れが近づき、広場は次第に人の数が減り始めている。屋台も次々に店を閉めていた。
日暮れと同時に、城壁の門が閉鎖されるためらしい。
実際、城門を新たに入ってくる者の姿はほとんどない。逆に出ていく者の姿は皆無だ。これから町を出れば、夜、闇の中を移動することになる。それには昼間とは比べものにならないほどの危険が伴うからだろう。
そんな風景をぼんやり眺めていたグドンは、誰かがすぐ脇に立ったのに気づいて視線を向けた。
昼間会ったときと笑顔も服装もまるで変らぬチンスが立って、彼を見下ろしている。
「連絡をくれると思った」
チンスは心底嬉しそうだった。
「どうして、そこまでおいらを評価してくれるのか知らないけど、本音をいうと連絡したくなかったんだ。だけど、已むに已まれぬ事情というのがあって」
言い訳っぽく釈明するくグドンに、すべての事情を知り抜いた表情で、チンスが頷いた。
「理由は何でもいいわ。あなたも、組織の魅力がすぐにわかるはず。絶対に後悔はさせないから」
相手の誤解にグドンは苦笑し、
「はじめから後悔させるようで申し訳ないけど、条件があるんだ」
と申し訳なさそうな顔になる。
「条件?」
「うん。十日後、おいらはここを離れるつもりでいる。そのとき、出ていくのを邪魔しないでほしい。もちろん、友人のホウカも。それでよければ見習いでも何でもするよ」
「そんなの条件の内にも入らないわ」
とチンスが微笑む。
「契約成立?」
「成立よ」
チンスが差し出した小さな手をグドンは軽く握り返した。
「とりあえずは、今夜泊まるところが必要よね?」
グドンが求めているのは、まさにそこだった。
「局員の仮眠所のようなところがあるけど、そこでいい? 旅館のように快適とはいかないけど、泊まるだけなら十分だと思うわ」
「どこでも大丈夫。正直、野宿も考えたくらいだから」
チンスは頷いて、
「空を飛んでいく?」
訊かれたグドンは本心から驚いた顔になった。
「チンスも空を飛べるの?」
「飛べない」
二人は声をあげて笑った。
「わたしを抱えて飛んでくれるかという意味だったんだけど、それはちょっと不適切よね」
「チンスはおいらの上司だし」
「頭の良い人は好きよ。でも、それなら、歩いていくしかない」
歩き始めたチンスにグドンが従おうとすると、彼女はふと立ち止まり、
「あなた、さっき、小さな間違いを犯したけど、それがどこかわかる?」
と振り向いて訊いた。
「間違い?」
いきなりの質問に戸惑ったグドンは、束の間、眉を顰めて考えたあと、降参するように手を挙げた。
「わからない」
「あなたの出した条件よ。わたしは、十日後、あなたとホウカがこの町から出ていくことを認めたの」
「そうだけど…」
と言いかけて、グドンは思わず唸った。
チンスはきっとボウが半妖でないことを知っている。もしそうなら、名前もホウカではないと感づいているだろう。
「わかったでしょ? ホウカって、誰? ホウカという半妖が町を出ていくことをわたしは認めた。でも、お友達の仙族のことは条件に入っていない。わかる?」
グドンは苦々しい顔になって頷いた。
「素直に間違いを認めたのは偉いわ。あの子、本当は何というの?」
「ボウ」
「ボウ…。あなたの出した条件を書き換えてあげる。十日後、あなたとボウがこの町を出ていくのを、わたしと情報局は邪魔しない」
「ありがとう」
やっとの思いでグドンは答えた。
もし、チンスに悪意があったら、グドンの失策が原因で彼とボウはこの町を離れられなくなっていたかもしれない。
もちろん、口約束になど元々何の効力もないといえば、それまでだ。だが、そんなことをいえば、グドンの出した条件そのものが意味を失う。今回はチンスの親切に感謝するしかなかった。
グドンは、自分にはまだまだ学ぶべきことが沢山あることを改めて感じた。とりわけこうした都会では、幸運や偶然を期待するのは絶対に慎まなければならない、と。




