130 踏み絵
グドンが約束の場所へ行くと、ボウはもう先に来て待っていた。
グドンに気づいた彼女は、嬉しそうに手を振って駆け寄ってきる。意外だったのは、彼女が仮面をしておらず、ボウのままだったことだ。
一瞬、彼女に近づくべきか否か、グドンは迷った。
多くの者にはボウが見えていない。そこへグドンが近づいて話しかけるのは、奇妙だし危険でもある。
結局、気づかない振りを装い、城門のほうへ向かおうとした。彼女もついてくるだろうから、このまま別々に城壁の外へ出て、ひと気のないところで合流すればそれでよい。
それにしても、彼女が仮面をしていないのはなぜだろう? グドンは正直理解に苦しんだ。ボウがこれほど迂闊な態度をとるとは思いもしなかった。
ボウはボウで、自分を無視し城門へ向かうグドンの反応に慌てたようだ。
急いで追い駆けてくると、背後から彼の腕を掴んだ。
「大丈夫よ。空気に話しかけても、誰も気にしないから」
驚いたグドンが振り向くと、少し申し訳なさそうな顔でボウが立っていた。
誰も気にしない?
とてもそうは思えなかった。チンスのこともあるし、ここでは様々な監視の目が光っている。天妖都は渉不城のような田舎ではない。たとえすぐ町を出いるつもりでいても、油断は禁物だった。
どうしようかグドンがまだ迷っていると、ボウは何やら背後を気にしている。
彼女の視線の先には、城門を入った際に広場で見かけた三人の仙族が、遠巻きに立ってこちらの様子を窺っていた。
なるほど、そういうことか、とグドンは合点がいった。
ボウは三人に自分を紹介したいのだ。だが、三人は半妖を見下しており、グドンに仙族が見えることも信じていない。それで、彼の能力を証明するため、ボウが仮面なしで立っていたということだろう。
だが、そうした行動はボウらしくない気がした。二人の関係を誰かに証明する必要などない。疑う奴は放っておけばよい。もしかして、ずっと渉不城の山奥で育った彼女は、都会育ちの仙族たちから洗礼を受けているのだろうか?
いわば、仙族の仲間に入るための踏み絵を踏まされている?
とりわけ三人の仙族のうち、若い男は不思議なほど陰湿な目でグドンを睨んでいる。
ボウが低級な種族であるグドンと交際しているのが気に入らないのだろう。そうした思いを露骨に顔へ出している。もしかすると、ボウに気があるのかもしれなかった。
こうした手合いが、グドンは一番嫌いだった。
ボウが好きなら直接ボウにぶつかっていけばよい。グドンに不愉快な思いをさせ、自ら身を引くよう仕向けて何になるだろう。結局はボウにも軽蔑されるだけだ。相手の女性も愚か者なら一時的に功を奏することはあるかもしれないが、幸せにはつながらない。もちろん、万が一にもボウが彼に靡くことはないだろう。だが、仮にそうなっても、グドンはまるで構わないと思う。それがボウの選択なら仕方ない。当然、悲しい思いをするだろうが、それも永遠には続かない。この世には、絶対もないし永久もない。だから、ボウが好きなら彼女に告白しろ、おいらに構うな、と言いたかった。
珍しくグドンが不機嫌になったのを、ボウも敏感に感じとったようだ。
「皆が、わたしたちの歓迎会を開いてくれるというの。一緒に来て」
事情を説明する彼女の声が少し掠れている。
グドンは優しい笑顔に戻った。ボウに相談なく、すぐ町を離れるつもりでいた自分にも落ち度がある気がした。彼女はまだケンシとミトの一件が片付いたことを知らない。
知らないから、今夜もこの町に泊まるつもりでいたのだろう。それなら、仙族の世話になるか、金を出して旅館に泊まるしかない。彼女は仙族の誰かの家に泊まるよう誘われたに違いない。そんな彼女を一方的に非難するのは可哀そうだった。
「おいらは、ケンシのことが残っているから、そちらを先に片付ける」
今さら、彼女が見えない振りをしても意味がなかった。もう何人かがおかしな目でグドンを見ている。ボウもそれに気づいていた。
「それなら、わたしも…」
慌てて言ったが、グドンは首を振った。
「いや、おいら一人のほうがいい。もうケンシの奥さんと会う約束をしたんだ。それが終わったら、今夜は旅館に泊まる。ケンシのことはおいらに任せて、ボウは、ここの仙族と色々お喋りするといい。何かあったら、旅館に訪ねてきて。半妖が泊まれる宿はそんなにないはずだよ。見つからなかったら、明日、この時間、ここへ来る。どうしても会えなければ、十日間何とか頑張ること。それでいい?」
ボウは仕方なく頷いた。
グドンは、納戸袋から妖金を出し半分ずつに分けると、ボウに渡した。
彼の差し出す妖金が宙に消えるのを見て、それまでグドンを物珍しそうに観察していた通行人が、慌ててその場を離れようとする。グドンが誰と話していたかわかったのだ。
彼女を元気づけるように軽く腕を叩くと、グドンはボウに背を向けた。
ボウの心には、後ろ髪を引かれる思いだけが残った。
と同時に、明らかな失敗を犯した自分に腹が立った。人混みで自分の正体を晒すことがいかに愚かな行為であるか気づいたのだ。今回のことで目を付けられるのは自分ではない。グドンだ。
仙族の仲間は嘘をついた。
彼女を、いや、半妖であるグドンを笑いものにしたかったからに違いない。
仙族の仲間のところへ戻る気持ちはもう半ば失せていた。
元々、様々な情報をグドンと共有したくて仙族に近づいたのだ。もちろん、久々に会う同族と会話を楽しみたい気持ちもあったが、それは二の次で、ケンシたちの一件を解決するのに少しでも役に立ちたいとの思いが強かった。
それなのに、自分がやったことといったら…。
「彼氏、来ないの?」
仙族のところへ戻ると、一番年かさの娘が落胆の色を見せた。その表情も、少し前までなら本心と受け取ったろうが、今は別の魂胆が透けて見える。
娘はジョウジョウ(嫋々)といい、ボウより五歳ほど年上だ。ほかには、彼女の弟のキョウ(鞏)、もう一人の娘がアダ(空)だ。
「あいつ、やっぱりボウのことが見えてなかったじゃないか。おれたちの姿が見える半妖なんて聞いたことがないからな」
と、声高に軽侮の色を滲ませて言う。
「そう?」
ボウの答えは短く、顔には何の感情も窺えなかったが、訊いたキョウの表情が固まった。言葉以上に強く「黙れ」と言われた気がしたからだ。
ジョウジョウとアダも驚いた様子でボウを見つめる。
束の間の沈黙ののち、
「予約した茶寮に急ぎましょ。あそこは、少しでも遅れると、すぐ別の客へ席を回されてしまうの」
雰囲気を変えようと、ジョウジョウがとりなす口調で言った。
「そうよ。せっかく、ジョウジョウのお父さんが裏から手を回して下さったんだし、彼氏は、また別の機会に誘えばいいわ」
とアダも同調する。
ボウが頷くと、三人はやっとホッとした表情になった。
「焦っては駄目よ」
茶寮に向かう途中、ジョウジョウが弟の耳元で囁いた。
キョウは頷いたあと、全員に聞こえる声で、
「あ、そうだ。おれ、ちょっと用を思い出したから先へ行ってて。すぐ追いつくから」
と言いおくと、ほかの者の返事を待たず、どこかへ姿を消した。
ジョウジョウは弟を思いやる姉の顔で溜息をつく。
「本当にまだこどもなの。でも、根はいい子なのよ」
様子を窺うジョウジョウの視線をボウは無視した。ジョウジョウの視線が少しだけ厳しくなったが、それでもボウは返事をしなかった。




