129 チンス
少女は自らをチンス(狆素)と名乗った。
蟻巣島で知り合ったリンタロウの妹コンと同じか、もう少し上の年齢で、おかっぱ頭、大きなくりくりした目をしている。可愛い顔立ちだが、コンと違い、どこか大人びた雰囲気があった。
チンスは、何の前置きもなくグドンの目をじっと見て、
「あなた、空を飛んだわよね?」
と言った。
言われた瞬間、グドンは面倒なことになったと悟った。なぜか、この少女には誤魔化しがきかないと、そんな第六勘が働いたのだ。
「空を飛ぶのは、この町の法律違反になるの?」
グドンが答えると、チンスはにっこり笑い、
「飛んでないと嘘をつかなかったから、プラス十点」
と、取り出した紙に何か書きつけた。
グドンは信じられない表情で、
「今、何か記録したよね? 本当にプラス十点と書いたわけ?」
「そうよ」
チンスは当たり前のように頷く。
「この町は、何でも数字にするんだね。そうして、一人一人を評価するの? それがきみの仕事?」
冗談で言ったのだが、こども扱いされたと思った少女は、とたんに不愉快そうな顔になった。
急にませた表情で、
「坊ちゃん、お年はお幾つ?」
と言い返した。
「ちなみに、わたしは八十七歳だけど」
これには、本当にグドンも驚嘆した。
「坊ちゃん? きみは、もしかして妖族?」
種族によっては、外見上と実年齢が一致しない者もいるとグドンは知っていた。
一致しない理由は二つあり、一つは若年期に能力が異常に発達し、その影響で肉体的な成長が止まってしまった場合、もう一つは、一旦正常に年をとったものの、のちに若返る能力を身につけた場合。その場合、大半は実際に若返るわけではなく、外見上、誤魔化しているに過ぎない。そしてどちらの場合も、外見上は若くても、寿命を迎えれば同じように死ぬ。
だが、多くの種族は、たとえ仙族のように千年近く生きる者でも、年を取れば自然に外見が老けるのが常だ。若年層では外見上の変化が顕著で、ある一定の年齢に達すると、その変化が極めてゆっくりになるだけだ。
チンスが仮に八十七歳なら、外見と実年齢が一致しない能力者なのだろう。一致しない理由がどちらなのかは、彼女に訊くしかない。もちろん、実際はただの十五歳で、嘘をいっている可能性もあった。
「よかったら、あなたの身分証をみせて」
そう言ったチンスの口調は高圧的でなく、むしろ丁寧だった。
別に隠す必要もないので、グドンはすぐに自分の身分証を取り出し彼女へ差し出す。差し出す際、改めて身分証を見て、グドンはあることに気づいた。
この町の身分証には年齢の記載がないのだ。
この町では、年齢には大きな意味がないのかもしれない、とグドンは思った。種族により若い三百歳もいれば、ヨロヨロの七十歳もいるのだから、それを同じ物差しで測っても意味がない。能力も年齢とは無関係なはずだ。
「半妖、グドン、三十等級? どうして、あなたは三十しかないの? 空を飛べることを係官に言わなかったの? いえば、少なくとも四十はもらえたはずよ。知ってる? 半妖の最低が三十。つまり、あなたは能なしの最低ということ」
容赦のない言い方に、グドンは言い返す言葉もなかった。ただ、城門で会った初老の係官に少しでも好感を抱いたことを心から後悔した。
チンスは、納戸袋から小さな機器を取り出すと、グドンの許可を取ることなく、身分証をそこへ差し込んだ。
続けて何かを打ち込んでいく。
あっという間に記載が書き換えられ、新たな身分証が出てきた。
チンスはそれをグドンに向けて放って寄こす。受け取った身分証の記載は、等級が四十に変わっていた。
等級がボウと同じになったことで、グドンは何だか嬉しくなった。
八十七歳という彼女の年齢を、グドンは少し信じる気になった。チンスには、身分証を書き換えるだけの資格と能力があるのだ。
「わたしの身分証も見たい?」
グドンが喜んでいるのを、単純に等級が上がったせいだと勘違いしたらしく、チンスは、彼を少し揶揄うつもりで、自分の身分証を顔の横で振って見せた。
彼女の等級は七十九だ。四十の自分とどれほどの差があるか気づけば、がっかりするだろう。その顔が見たかった。
だが、グドンは興味なさそうに首を振った。
とたんに、チンスは仏頂面になる。グドンの反応にかまわず、自分の身分証を彼に向けて放った。
チンス、妖族、等級七十九…。
「妖族の最低は等級は幾つ? 六十? 七十?」
グドンが訊くと、チンスはまた満面の笑顔になった。
「六十よ。あなた、常識はないけど、馬鹿じゃないのね」
思わず苦笑を漏らしたグドンは、身分証を手渡しで彼女へ返した。チンスが本当に八十七歳なら、やはりそれなりの礼儀を示すべきだ。
もちろん、アサホやリョクギダン、ゴヒのように悪意を持って他人を利用しようとする相手なら話は別だ。
「おいらに声をかけたのは、なぜ?」
身分証を仕舞うチンスを見ながら、グドンは一番気になっていたことを訊いた。
「ただ身分証が見たかったわけじゃないでしょ?」
「人材の発掘と勧誘のためよ」
彼女は笑顔で意味不明なことを言った。
「人材の発掘? それはどういう意味? だいたい人材って何のこと?」
「さっき身分証を見せたでしょ? ちゃんと見なかったの?」
さも失望したと言いたげに、彼女は嘆いた。
身分証に何か書いてあったろうか? 思い出そうとしたが駄目だった。仕方ないので、グドンはまた首を振った。
「わたしは、情報局の人間なわけよ。その情報局のわたしが人材の発掘と勧誘をしてるといえば、わかるんじゃないの?」
つまり、おいらを情報局へ入局させようということか?
グドンは喜ぶでも驚くでもなく、首を傾げた。
「おいらはただの旅行者だよ? 身分証でそれはわかったでしょ? 滞在期間は最大で十日しかない。だから、ここで働く気はないよ」
「わたしが永住させてあげるといっても?」
グドンは関心なさげに首を振る。
チンスの顔が少しだけ険しくなった。
「あなた、半妖のミトと一緒だったでしょ? ケンシの奥さんよ。彼女はどこへ行ったの? あなた方は二人で町を離れて、あなたが一人で町へ戻ってきたわよね」
これは脅しだろうか? とグドンにも見当がついた。情報局へ入局しないのなら、面倒なことになるぞ、というわけだ。
町を離れたとき、ミトは意識を失っていた。それを抱きかかえてグドンが町を離れるのを、彼女本人か別の誰かが見ていたのだろう。チンスにその気があるなら、グドンを拘束するのは訳ないはずだった。
だが、グドンはなぜかチンスに悪意を感じなかった。はじめから拘束する気なら、身分証を確認する必要などない。
「それでも、勧誘を拒否するといったら?」
グドンは恐れることなく、チンスの顔を見た。
チンスは嘆息した。脅しは役に立たないとわかったらしい。それにしても、グドンのこの余裕は何だろうか? 拘束されない自信があるのか?
「惜しいと思うわ」
チンスがやっと答えた。
「惜しい?」
「あなた、情報局にどれほどの権限があるか知ってる? どれほど多くの情報が集まってきて、この町の運営にどれほど深くかかわっているか。情報局は巨大組織なのよ。その組織で働いてみたいと思わない?」
しばらく真剣に考えたあと、グドンは改めて彼女に顔を向け訊いた。
「あなたは、情報局でどういう立場にある人? 部下とかはいるの?」
「いるわ。十三人。彼らにも大ぜいの部下がいる。それもわたしの部下と考えるなら、かなりの数ね。百人は軽く超えてる」
チンスは平然と答えた。
「じゃ、おいらは十四番目の部下というわけ?」
「いいえ。当分の間、あなたは見習いよ。自分の能力を示すまで、局の正式な一員にはなれない。だから、百何番目より下」
グドンは頷き、
「それはいいけど、仮に正式な一員になれたとして、そこでおいらは何をするの? 望遠鏡で、誰かの家庭を覗き見するとか? どの夫婦の仲が良くてどれが悪いか、夜の営みは月に何回かとか?」
「そうしたこともあるかもね」
チンスはあっさり認めた。
「どんなことでも何より基礎が大切だから。基礎がね。下積み生活は、あなたの長い人生にとって無駄にはならないと思うわよ」
どこかで聞いた台詞だ、とグドンは思った。
思った瞬間、堪らず可笑しくなって、あははと笑ってしまった。すると、驚いたことに、チンスも一緒になって笑い始めた。
しかも大口を開けて笑っている。そこに皮肉や恫喝は感じられなかった。
彼女の口からのぞく小さな歯は、なぜか、どれもギザギザに尖っている。それがあまりにもチンスにピッタリで可愛く見えるので、グドンは見惚れてしまった。
八十七歳の可愛い少女…。
「やっぱりやめることにする。すぐこの町を離れるって、一緒に来た友達に約束したんだ」
グドンが答えると、チンスは仕方なさそうに頷いた。
「ホウカという女の子でしょ? きれいな子よね。あなたには少し似合わない気がするけど」
この子、いや、この女性は何でも知ってるんだ、とグドンは改めて警戒した。ボウが仮面をとるところも見られたろうか? たぶん見られたはずだ。だったら、彼女が仙族であることも知っているかもしれない。
「まあ、いいわ。やる気がないのを無理にでもとまでは言わない。でも、気が変わったら、いつでもわたしを訪ねてきて」
とチンスは続けた。
「町なかで誰でもいいから、チンスはどこへ行けば会えると訊けばいいの。その情報はすぐわたしに届くから」
「うん。とにかく、おいらを誘ってくれて、ありがとう」
チンスは彼に背を向けかけ、改めてもう一度彼を振り向いた。
「組織で働くつもりなら、その言葉遣いは治さないと駄目ね。おいら、とか田舎者丸出しだし…。言葉の最後は必ずです、ますよ。わかる?」
「おらは育ちがわりいから無理だべ」
呆れたように首を振ったあと、チンスは紙を取り出し何か書きつけた。
「言語能力は未発達…」
グドンが笑おうとした瞬間、チンスの姿が目の前からパッと消えた。
思わず彼は「あっ!」と声を漏らした。
それは、ボウたち仙族の能力とはまるで違う能力だった。グドンが目を凝らしても、もう何も見えない。いうなら、彼自身が姿を消す能力と似ていた。だが、そのグドンにも、彼女がどう姿を消しどこへ行ったのか皆目見当がつかなかった。
等級七十九…。それなら、等級八十や九十の者は、どれほどの能力を持っているのだろうか?
グドンははじめて、チンスのいう情報局の仕事に興味を覚えた。




