122 仮面の能力
グドンは扉を通って隧道へ出た。
扉には重しが置かれ、今は閉まらないようになっている。テントのある扉の内側と隧道以外の場所へ行き来する者はいないから、それで十分だった。
グドンが隧道へ出ると、先ほど夕食を食べた焚火の前に、ボウが一人ポツンと座っていた。今は焚火の火も消え、辺りにはどこか寒々しい空気が漂っている。
グドンの足音に気付いたボウが、振り向いて笑顔を見せた。
「あなたも来ると思ったわ」
焚火を囲むように置かれていた平石の一つに腰かけた彼女は、隣の石をポンポンと手でたたいて、彼にも座るよう促した。
「焚火の火の温もりがまだ少し残ってるの。温かいわよ」
グドンは彼女と並んで腰を下ろす。
「セイアとは話をした?」
彼の問いに、ボウは鼻筋に皴を寄せ苦笑した。
「あなたとのことを色々訊かれたわ。渉不城のことも」
元々ボウは、タクエンカのテントに世話になるつもりだった。しかし、彼女の腕を掴んで放さないセイアの懇願に根負けしてテントを移ったのだ。
多少なりとも本物のホウカと知り合いであるセイアと時間を過ごすことは、ボウにとって一定の危険を伴った。何かのはずみにボロが出る可能性もあったからだ。だが、結果として、それは杞憂に終わった。セイアはボウとグドンの男女関係に興味津々で、本物と偽物のズレになどまったく気が回らない様子だった。
「あなたのほうは?」
訊かれたグドンは、ケンシとの会話をすべて彼女に話して聞かせた。
父親に対するグドンの複雑な感情を知っているボウは、彼の心境を心配したが、グドンが意外に明るい表情なのを見て、安心したようだ。
「明日以降、どうするつもり?」
とボウが訊いた。
「妖族の町へ向かう?」
「そのつもりでいるけど、きみは?」
「そのことで少しお願いがあるの」
「お願い?」
ボウは少しいい淀んだあと、小さく横にかぶりを振り、
「明日、ケンシさんたちと別れた後で話すわ」
と、思わせぶりなことを言った。
グドンが尚も詳しく訊こうとしたとき、背後で物音がした。
誰かが二人を探しに来たのだろうか?
グドンが振り返ろうとすると、ボウがその腕を押さえ、
「セイアよ」
と囁いて、体を彼に預けてきた。
彼女の意図を悟ったグドンは、ボウの腰に腕を回し自分のほうへ引き寄せる。
ボウが小声で何か抗議したが、聞こえない振りでさらに腕に力を込めた。
ククッと、彼女が喉の奥で笑った。
図に乗ったグドンは凭れかかった彼女の横顔にキスしようとした。
「やりすぎでしょ? ホウカさんにキスする気?」
彼女は首を竦めるようにしたが逃げる様子はない。
若い女性の甘い匂いが強くなった。
グドンは我慢できずに柔らかな頬にキスした。
ボウのクスクス笑いが大きくなる。
それを背後で見ていたセイアは思わず足を止め、顔を赤らめた。
それでも目を離せないでいる彼女の視線を誰かの掌が遮った。
「こどもはもう寝る時間じゃないのか?」
囁いたのはケンシの声だ。
セイアは振り向くと、声を抑え、
「失礼ね。わたしとホウカは同じ年頃よ」
と相手を睨んで言い返したが、さすがにもう一度二人を振り返る勇気はない。
ケンシに腕を引かれるまま、扉の向こうへと姿を消した。
また、二人きりになると、グドンはボウから体を離した。
俯いたままのボウが、髪を耳にかき上げる。
「隧道へ出てきたのは、こんなことをするためじゃなくて、何かの訓練をするためじゃないの?」
彼女としては、否定してほしくてそういったのだが、グドンはあっさり頷き、
「うん。試してみたい能力が幾つかあって」
と、彼女の期待を平気で裏切る。
ボウは失望を顔には出さず、
「どんな能力?」
「ひとつは、きみが扉を通り抜けたときの能力。もうひとつは、ボウがつけているその仮面の能力だ」
「仮面の能力?」
扉をすり抜ける能力はともかく、仮面の能力とは何をどうしたいのだろう?
ボウは興味をそそられ目を輝かせた。
「先に、その仮面の能力をどうするのか教えて」
グドンは、答える代わりに右手を彼女の前へ差し出した。
「少しだけ、仮面を貸してくれる?」
ボウは後ろを振り返り、背後に誰もいないことを確かめてから、仮面をとった。
彼女の姿が本来のボウに戻り、その色彩がほんの少し変化する。
グドン以外が、今ここにいたら、突然彼女の姿がかき消えたように見えたろう。
「おいらがつけてみてもいい?」
まずは彼女に許可を取る。仮面は直接肌に触れる装着物だ。とりわけ顔に被るものだから、仲の良い間柄でも礼儀を尽くす必要があると考えたのだ。
「もちろん。使い方はわかる?」
「うん。この仮面で変身できるのは、ホウカだけ? それとも、誰にでも変わることができるの?」
「誰でも大丈夫。心の中で、変わりたい人の姿を思い浮かべるの。ホウカさんじゃなくても誰でもいい。男の人でも女の人でもね。だけど、心像がはっきりしていないと駄目。わたしたち仙族にはそれが簡単にできるけど、グドンは、どうかしら」
少し心配そうに彼の顔を覗き込むようにする。
ややおっかなびっくりで、グドンは顔にお面を装着した。
ボウの目の前に、突然、もう一人の自分がが現れた。
驚いた彼女が、はっと息をのむ。
その動悸が治まらないうちに、再び顔はセイアに変化した。続いてケンシ、タクエンカ、ここで知り合った者だけでなく、渉不城のコウギシやムダイにも変身する。
しかも、信じられないのは、変化するのが顔だけはなかったことだ。顔が変化するのと同時に、体格まで変化した。セイアの胸には女性の丸い膨らみがあり、タクエンカに変化すると。明らかにセイアの時より身長が伸びた。それだけでなく、詳しく観察すると、雰囲気や匂いまで変化している。元々仮面の能力である声も当然変化していた。
これは、仮面が持っている本来の能力をグドンが引き出したのだろうか? それとも、本来は備わっていない能力をグドンがつくり出しているのか?
マキから仮面を手渡された際にも説明されなかった能力に、ボウは呆然と見とれていた。
グドンは、仮面をとり彼女に返した。
「これは、わたしが持っているより、あなたが使ったほうが何倍も役に立つわ」
ボウは本心から言った。仮にホウカ偽装の必要性がなかったら、彼女は喜んで仮面をグドンに譲っていたに違いない。
仕方なく仮面を受けとったものの、彼女は何やら申し訳ない気持ちになった。
これを宝の持ち腐れとか猫に小判というのだろうか?
仮面を彼に譲るべきか、自分で使うべきか逡巡しているボウの思いを察したのか、グドンがへへと笑った。
「おいらにはもう、仮面は必要ないよ、たぶん」
「必要ない? どうして?」
答える代わりに、グドンは、自分の姿をもう一度ケンシに変えて見せた。
それは、先ほど仮面を被ったときほど完璧な変身ではなかったが、それでも、遠目に見れば、ケンシと見間違うレベルにはあった。
「仮面がなくても、変身できるようになったの?」
ボウはまさに開いた口が塞がらなかった。
「まだうまくできないけど、練習すれば大丈夫だと思う。やる前から、何となくそんな気がしてた」
呆然自失としたままの彼女にはかまわず、グドンは次の修練へ移った。
目を閉じ、心を落ち着かせると、渉不城ではじめてボウと繋がったときのことを思い出す。その記憶の中から、ボウの能力を自分の中へ取り込もうと努力した。
脳裏に浮かんだ自分の姿がゆっくりと色褪せ、やがて透明になってこの世界から消失する。
「きゃっ!」
耳元でボウの悲鳴が聞こえた。
現実世界でも、自分の姿が消えたのだろう、とグドンには想像がついた。消えた自分は、仙族のボウからも見えなくなったのだ。
脳海のグドンは、カメレオンのように色彩が極限まで背景に同化したというのではなく、完全にこの世から存在が消えてなくなっていた。
グドンは、体内へ色彩を徐々に注入する感じで自分を実体化させた。完全に実体を取り戻し、目を開けたグドンは、衝撃で震えるボウの瞳を見た。
グドンは、あははと笑う。
「幽霊が、幽霊を見て驚いてるみたいだ。ボウが姿を消したとき、皆がどう感じるかわかったでしょ? でも、これで、あの扉を閉めたあとも、通り抜けられるといいけどね」
ボウの衝撃をよそに、グドンは極めて現実的なことを言った。
彼にとっての能力は、他人に見せる曲芸ではない。一つ一つが自分を助けるいわば命綱だ。何の役にも立たなければ、手に入れる意味がなかった。
それともう一つ、今回の試みでは、思わぬ副産物もあった。自身の成長だ。
脳海で描いた能力を、同時に現実でも実行することが可能になった。脳海での試みと実際の試運転を別々に行う必要がなくなったのだ。脳裏の仮想空間で空飛ぶ自分を思い描き、それに成功したのち、改めて現実で実行へ移すといった二つの過程を、これからは一つに省略できる。
「これから、着替えたり沐浴したりするときは気を付けたほうがいいよ」
グドンはボウを揶揄った。
「もしかすると、後ろにおいらが隠れて見ているかもしれないから」
ボウは口を窄めて彼を睨んだ。
「どうせグドンは、わたしの裸なんて見放題でしょ?」
一瞬、そういう行為に及ぶことをボウが認めてくれたのか、と喜んだグドンだったが、すぐに自分の誤解に気づいた。彼女は、グドンの透視能力のことをいっているのだ。渉不城で、仙族の病を治療する際、彼らの体を何度も透視した。もちろん、その中にはボウも含まれている。彼女が指摘したのはそのことだ。
気まずそうに鼻の頭を掻くグドンを尻目に、ボウは笑顔で立ち上がった。
「練習の邪魔はしません。わたしはテントに戻ってセイアと眠ることにするわ」
彼女を見上げるグドンは、顔に失望の色がありありと見てとれた。
ボウも、本心はもっとグドンと一緒にいたかった。だが、自分の横で姿を消したり、ホウカやセイアに変身するグドンを見るのは、正直気味が悪かった。
「但し、おかしな練習をするのは厳禁よ」
と、彼女はグドンを睨むことで自分の気持ちを誤魔化した。
「もう一度、おかしな幻覚を見せたら、二度と許さないから」
「だから、あれは、おいらが故意にやったことじゃないよ」
慌てて言い訳するグドンにかまわず、ボウは扉の向こうへ姿を消した。
彼女を見送ったあと、しばらく溜息をついていたグドンも、やがてボウのことを忘れ、変身する能力を向上させる修練に没頭し始めた。
一時間がたち、二時間たっても修練をやめず、ようやく疲れてその場に横になったのは、ほかの半妖たちが起きてくる直前のことだった。




