119 鍾乳洞
グドンはそんな彼女の思いも知らず、タクエンカたちと扉の前に立った。
ツイホウセンが扉を開くと、向こう側に長々と続く鍾乳洞のようなものが見えた。
これが、ボウが話していた第三の目的地に違いない。仮にそうだとしたら、目的地は隧道と倉庫、そしてこの鍾乳洞の三か所ということになる。
もう一度、扉を開け閉めしないと断定はできないが、次に開けたとき、隧道へ繋がる通路が見えたら、それが確定する。
グドンは、ほかの半妖たちに続き今回も殿から中へ入った。
鍾乳洞での探索は、これまでより時間がかかりそうだった。それは目の前の洞窟が目視できる範囲を越えて、延々とどこまでも続いているのを見てもわかる。
本来なら、隧道での探索にももっと時間がかかっていたかもしれない。だが、ケンシたちが隧道でグドンたちと出会い、すぐに扉のこちら側へ戻ることになったために、探索が中断されることになった。もし次の出口まで進んでいたら、何日もの時間を要していたろう。
今回の探索も、下手をすれば、それと同じくらいの時間がかかるかもしれなかった。
いくら何でも無制限に時間をかけるわけにはいかないので、グドンたちは、予め時間を一時間以内と限ることにした。一時間進んで、何も成果がないときには引き返す。そのうえで、隧道へ戻るか鍾乳洞へ入るかを選択することにした。
彼らは三十分近く何もない単調な鍾乳洞の中を延々と前へ進んだ。
はじめはおっかなびっくりだったツイホウセンたちも、次第に大胆になり、大声で話しながら歩くようになった。
変化が表れたのは、このまま何もなく終わってしまうのではないか、と油断し始めたころだ。
周囲の温度が急に上昇し始めた。
最初は、多少汗をかく程度だったのが、次第に耐えきれないほどの暑さになり、最後は、上着を脱いで上半身裸同然で歩いても汗だくになるほど高温になった。
裸で歩く男どもを羨ましそうに眺めていたタクエンカが、一番最初に音を上げた。
「これ以上進むのは無理よ。もう汗だくで、喉も乾くし、無理に進んでも倒れるだけだわ」
ツイホウセンも同調して立ち止まる。
「進むのはこれまでにしよう」
時計を確認すると、制限時間までには、まだ二十分ほどの時間がある。
「おいら一人で先へ行ってみてくるよ」
グドンはほかの者の返事を待たずに歩き出した。
「大丈夫。約束の時間までには戻ってくるから。ここで待っていてくれてもいいし、戻り始めてもいい。すぐに追いつくから」
振り返りながらそう言いつつも、グドンはもう駆け足になっていた。
「それなら、おれも行こう」
あとを追おうとしたツイホウセンを、タクエンカが腕を掴んで引き留めた。
「何だ?」
ツイホウセンは怖い顔で腕を振り払おうとしたが、タクエンカが掴んだ手を放さず、
「足手纏いになるだけよ」
と抑えた声で諫めた。
「何だと?」
「気がつかなかったの? グドンは汗ひとつかいていなかった」
「え?」
驚いたツイホウセンがほかの者へ目を向けると、何人もの仲間が頷く。
「それに、どうせもう追いつかない」
タクエンカは、グドンとボウがはじめて現れたときのことを思い出していた。あのとき、大蟻と必死で戦っていた彼女は、目の端で、何かがふわりと宙から舞い降りるのを見た気がした。それはほんの一瞬のことだったし、目の錯覚かとも思ったのだが、そのあとすぐにグドンとボウが現れたのだ。
あれは何かの見間違いよ、半妖が空を飛べるはずがない。
当時、彼女はそう自身に言い聞かせた。鍾乳洞の中は出口から離れるほど真っ暗だったし、何か別のものを見たに違いないと。
だが、ここしばらく彼らと一緒に時間を過ごし、グドンの能力を目の当たりにするうち、あれは自分の見間違いではなかったと確信するようになった。
「ゆっくり扉のほうへ戻りましょ」
彼女は他の者を促した。
ツイホウセンは尚も不服そうだったが、最後は仕方なく彼女に従った。
タクエンカたちと離れたグドンは、彼らの視界から外れたのを確認し、宙へ飛び上がった。
そのまま全速力で前へ突き進む。
気温は摂氏五十度を楽に超えていたが、グドンはほとんど暑さを感じなかった。それでも、徐々に顔に火照りを意識し始めたとき、視線の先に何か異様なものを見た気がして、急停止した。
ずっと続いていた鍾乳洞の壁がそこだけ切り取られたように欠けていたのだ。幅百メートルほどに渡り、地面も含め、まるで土砂崩れで削られたようになくなっている。
その崩れた洞窟の側壁、地上から十メートルあまりのところには、丸い穴が開いていて、そこから大量の溶岩が流れ出していた。
溶岩は側壁を伝って下へと流れ、巨大な地面の割れ目からさらに下へと流れ落ちていく。向かう先は地下深い奈落の底だ。
その光景はまさに溶岩による巨大瀑布を思わせた。
グドンが思わず眉を顰めたのは、瀑布が自然にできたものではなく、誰かによって故意に造られた人工の障壁に見えたからだ。
いったい誰が、何のためにこんなものを造ったのか?
普通に考えれば、セイイツの仕業だろう。
問題は何のためにこんなことをしたかだ。
巨大瀑布の近くで上空から地上に下りたグドンは、その凄まじいエネルギーに圧倒されつつも、溶岩の動きを目で追った。
流れ出す溶岩は常に流れ続けているわけではなく、一定の間隔でその流れを止めるようだった。これはきっと、地下深くから湧き上がった溶岩が、噴火口へ向かい上昇を続ける中、途中に出来た枝道、いわばバイパスを通ってここへ流れ込んでいるせいと思われた。
側壁に開いた丸い穴の高さまで溶岩が到達すると、そこから瀑布のように排出される。それが目の前に見えているこの光景だ。
しかし、溶岩は無尽蔵に噴出しているわけではないから、溶岩の頂点が横穴より低くなると、一時的に瀑布の流れも止まる。
そうした仕組みはともかく、洞窟の割れ目を飛び越えるつもりなら、今が絶好のチャンスだった。
溶岩が流れ落ちている最中も飛び越えることは可能だが、危険がまったくないわけではない。溶岩が肌に触れれば、グドンといえども怪我をする。危険は少しでも避けて通るのがより賢明な選択といえた。
グドンは迷わず洞窟の割れ目を飛び越えた。
そのまま、地上へ下りることなく前方へ飛翔を続ける。
しばらくすると、何か物音が聞こえ始めた。
はじめは風の悪戯かと疑った。
渉不城の鉱山跡がそうであったように、通風孔を吹き抜ける風が化け物の叫び声に聞こえることがある。
だが、この鍾乳洞の場合はそうではないとすぐに気づいた。
これは間違いなく誰かの叫び声だ!
気づくと同時に飛翔を中止し、地面に下り立つ。
周りの温度は再び急激に下がりつつある。これは無論、溶岩流から離れたためだろう。
この先はいったいどうなっているのだろう?
じっと声に耳を澄ませると、聞こえているのは間違いなく何者かの叫び声だとわかった。その声は先ほどよりずっと鮮明になっている。叫び声というより、正確には何か怒鳴っていた。
グドンが驚嘆したのは、その声量の凄さだった。
声は、鍾乳洞の奥はるか彼方から聞こえてくる。幾ら響きの良い洞窟内にいるからといって、グドンが大声で叫んだところで、届くのはせいぜい二三百メートルがよいところだろう。ところが今聞こえている怒鳴り声は、その十倍、いや、それ以上の距離から発せられている気がした。
世の中にそんな人間、いや、半妖にしろ、妖族にしろ、そんな生き物が存在するのだろうか?
近づくにつれ、怒鳴り声の内容も朧げにではあるが少しずつ判別できるようになってきた。
「セイイツ! 戻ってきたのか! 殺されに戻ってきたのか!」
声の主は確かにそう怒鳴っている。
セイイツ!?
声の主はセイイツと知り合いなのか!
相手がどんな生き物か、若いのか年寄りか、男か女かまるでわからない。声を張り上げ過ぎているため、音が割れてしまっているせいだ。
失敗だったのは、その叫び声の内容がわかったとたん、そのことに気を取られ、警戒心を一瞬緩めてしまったことだ。緩んだ瞬間、声はグドンの耳の奥から脳へと侵入し、グドンに強烈な衝撃を与えた。彼は背筋に激しい悪寒を感じ、それと同時に、後頭部に痺れを感じた。今にも眩暈を起こしそうで、立っているのも辛くなる。
その場に崩れ落ちそうになるのを、目を閉じて必死で堪え、冷静に今の状況を判断しようとした。
声の主は、ずっと叫び続けていたわけではないだろう。声の主が誰で、どんな能力を持っていようと、四六時中怒鳴り続けるのは不可能だし、無意味だ。
とすると、相手はグドンの存在に気づいたからこそ、怒鳴り始めたと考えるのが妥当だ。ただ、近づいているのがグドンではなくセイイツだと勘違いしているようだ。
それは距離が離れすぎているためか、セイイツとグドンが血縁関係にあるため、その匂いなり雰囲気なりが酷似していて、勘違いに繋がったのかはわからない。
わかるのは、声の主がセイイツに好意を持っているとは思えない点だ。
相手が誰なのか確かめてみたい! グドンは強い欲求にかられ、さらに、声のするほうへ近づこうとした。
だが、無理だった。
頭が割れるように痛み、強い耳鳴りもした。激しい嘔吐に襲われ、もう我慢できなかった。正常な格好で立っていることさえままならない。
ここまでが、今のおいらの限界だ…。
グドンは見切りをつけると、無意味に立ち止まることなくすぐに背を向け、来た道を引き返し始めた。
急がないと意識を失ってしまいそうだった。
彼を呼ぶ声、いや、セイイツを呼ぶ声がさらに音量を増す。
無意味とわかりながら両掌で耳を抑え、声に必死で抗いながら、グドンは宙へ飛び上がり飛翔を開始した。
しばらくして、グドンは扉へ戻る途中のタクエンカたちに追いついた。
少し前から地上へ下り、走って彼女たちに近づいていく。
笑顔で再会するつもりだった。
しかし、グドンを振り返り、やはり笑顔で迎えようとした半妖たちの顔が、一瞬驚きで凍り付いた。中には思わず二三歩後ずさった者さえいる。
その反応の大きさにグドンも、何か変だと気がついた。
呪縛から解かれ、我に返った様子のタクエンカが、グドンに駆け寄って肩を抱きとめようとする。
相手の思わぬ行動に、グドンは呆気にとられた。
いくら何でも、これほど歓迎される仲だったろうか? まるで十年ぶりで戻ってきた息子を迎える母親みたいだ。
「動かないで、グドン! すぐ横になりなさい!」
訳が分からないグドンは、言われるままにその場に腰を下ろした。
「どういうこと?」
と、彼女に戸惑いの目を向ける。




