114 新たな出会い
「誰かが争っているみたいだ」
「争う? この隧道の中で?」
本来なら、争いごとに巻き込まれるのを怖がるべきだろうが、今は状況が違っている。彼女の顔には、かえってほんのり明るさが灯った。砂漠で道に迷った旅人には、相手が盗賊でも救いの神に見えるということだろうか。
グドンも、この先で何が起こっているか確かめたい衝動を抑えきれない。
ゆっくり歩いていたら争いは終わってしまうかもしれない。誰と誰、何と何が争っているのかわからないが、結果が出る前に、現場へ駆けつけたかった。
彼の気持ちを察したのか、ボウが無言で頷く。それでも、グドンがいきなり彼女を抱きかかえたときは、驚いたように「あ」と声をあげ、抗うそぶりを見せた。
同意なく触れたことに腹を立てたのではなく、彼の体調を心配したらしい。
だが、そんな彼女にはおかまいなく、グドンは宙へ飛び上がると、声のしたほうへ向かってまっすぐ飛翔を始める。
ボウも仕方なく彼の胸に顔を埋めるようにした。そうしないと、風圧で呼吸ができなかったからだ。
だが、はじめは恥じらい勝ちだった彼女も、やがて彼に己の体重をあずけ、顔や髪を相手の胸に擦りつけるようにした。まるで親猫に甘える子猫のように。
このままずっと二人で飛んでいたい。もうこの先で起こっている争いごとなどどうでもいい。そんなことを考えている自分に気づき、ボウは顔を赤らめる。そして、赤くなったのを隠すように、さらにグドンの胸に顔を沈めた。
しかし、そんな彼女の幸せは長くは続かなかった。
グドンが飛ぶのをやめ、地上へ下りるのがわかったからだ。
思わず失望の溜息が漏れそうになるのを、何とか平静を装って誤魔化し、ボウは彼の胸から体を離し目を開いた。
二人から少し離れたところで大蟻が何かと戦っている。
見たところ、十人ほどの半妖のようだ。彼らの周囲には、かなりの数の大蟻の死骸と三体の半妖の遺体が転がっていた。
生き残った半妖も、今は大蟻に取り囲まれ、全身に傷を負って血まみれだ。
それでも何とか命脈を保っていられるのは、彼らに有利な条件が幾つか重なっているからと見えた。
まずは彼らが人族ではなく半妖であること。
次に、彼らは横穴のような狭い空間に身を置き、その環境を利用して、大蟻が一斉に襲ってこられないよう防御していること。
さらに大蟻の大群は大半がすでにこの場を立ち去り、残っているのはごく一部と思えることだ。
それでも、半妖たちの抵抗も限界が近づいている。
グドンとボウが近づくと、
「兄弟、こっちへ近づくな! 今すぐ逃げろ!」
と、半妖の一人が二人に気づいて大声を出した。
眉が太く、どこかセイイツを思わせる容貌だが、彼ほど英俊ではなく、武骨な顔立ち。その中央に、巨大な鼻がおさまっている。
彼の背後には、蜘蛛のような生き物の幻影が見えた。
グドンは大蟻を恐れることなく、ゆっくりと彼らに近づいていく。もちろん、ボウもその後ろに従った。
それを見た男は驚きに目を見開く。
「何をやっている! こっちへくるなと言ったろう!」
今は大蟻の攻撃より、グドンの無謀な行動に腹を立てているようだ。
彼が心配した通り、大蟻の一部がグドンとボウに気づいて、体の向きを変え始めた。
糞、だからいったじゃないか!
彼は唇を歪めたが、今は加勢に向かうことも叶わない。自分の命を守ることさえ儘ならない状況なのだ。
「これは好都合かもしれないわ」
男の横でやはり大蟻と一戦交えていた若い女が明るい声を出した。
「大蟻の注意が分散すれば、隙ができて逃げられるかもしれない」
色黒ながらも整った顔立ちをした愛くるしい少女だ。だが、何とも残念だったのは、彼女の背後に浮かんでいるのが、カエルのような生き物だったことだ。
実際、彼女はこれまで祖先のことで何度も揶揄われ続け、何度も煮え湯を飲まされた。しかも、そういわれてよく見ると、彼女の横顔はどこかカエルを彷彿とさせるものがあった。少しだけ横に張り出した鰓、まるく大きく広がった鼻腔。全体としては調和がとれているが、一つ一つ見ると、美人にはあまり似つかわしくない。
鼻でか蜘蛛男がカエル娘に厳しい視線を向ける。
何も言わなくとも、男が何を考えているのかわかった。
おれの配下に恥知らずはいらない、だ。
彼女は思わず首筋まで赤らめ、視線を逸らすと、自分の鬱屈を誤魔化すように大蟻への攻撃の手を強めた。
グドンの横に立っていたボウは、そのとき、彼の目がほんの少しだけ光ったのが見えた。今は手をかざさなくとも、脳裏に思い浮かべるだけで腔妖術が使えるようだ。
大蟻の動きが一斉に停止した。
それに気づかぬ半妖たちは、相手が弱ったとみて一気呵成に前へ出る。
何体もの大蟻を細切れにしたあと、彼らもやっと事態の異状さに気づいたようだ。
大蟻はまったく抵抗してこない。まるで、突然戦意を失ったようだ。
蜘蛛男が手を止めると、それに倣うようにほかの半妖たちも動きを止めた。それでも大蟻が動かないのを見て、誰もがようやく何が起きたのか察する。
こうした変化をもたらした原因は一つしか考えられなかった。前方から現れた若い男女だ。
グドンとボウは何もなかった顔で平然と立っている。
いや、グドンとホウカというべきか。今のボウはいつの間にかホウカの面をかぶっていた。その変身の素早さに、グドンも目を丸くする。
奇跡を信じられないカエル娘は、蜘蛛男の反応を見ようと、その横顔へ目をやった。男は笑顔になって何歩か前へ出いると、
「ケンシ(剣糸)だ」
と手を差し出す。
グドンはその手を握り、
「おいらはグドンで、こっちは…ホウカ」
「グドンとホウカ…」
ケンシは口の中で二人の名を復唱し、
「きみたちも半妖と思っていいのかな?」
グドンが笑顔で頷くと、ほかの者たちも口々に、「コシュウ(弧秋)」「タクエンカ(琢縁家)」「ツイホウセン(槌豹戦)」などと笑顔で自分の名を名乗った。ただ一人、カエル娘だけが何やら思案顔で黙っている。
「あれはきみたちがやったんだろう?」
カエル娘にはかまわず、ケンシは機能停止状態の大蟻へ目を向けた。
「若いのに凄い力を持ってるな。きみらは妖獣を操れるのか?」
「操れるのは彼ひとりよ。わたしは全然駄目」
ボウが謙虚にいうと、ケンシの笑みがさらに大きくなった。美少女である上に謙虚だ。笑みに人柄の良さも表れている。一目見て、彼はボウに好感を抱いた。
だが、もしグドンがケンシのそんな思いを知ったらどんな反応を示したろうか?
ホウカの笑みに人柄の良さが出てる? おいらには違和感しかないけど。でも、最近はずっとマシになったかも…。
「隧道の中で、きみらは二人で何をしてるんだ? というより、ここは何だ? どこへ続いているんだ?」
と、ケンシが矢継ぎ早に質問する。彼らにとっても、ここは不案内な場所らしい。
ボウが何か言おうとしたとき、カエル娘があっと叫んでそれを遮った。
全員が驚いて、彼女のほうへ視線を向ける。
ケンシは咋に咎める表情になった。
「何だ、突然大声で。こどもじゃあるまいし、礼儀をわきまえないか」
しかし、叱られたことを気にする素振りも見せず、カエル娘は、ボウの傍へ駆け寄った。
「あなた、ホウカ? 渉不城のホウカよね? わたしを覚えていない? セイア(青蛙)よ。まだ小さいころに一度だけ会ったことがある」
その言葉に、グドンとボウだけでなく、セイアの仲間も皆驚いた顔になった。
こんな場所で半妖と出会うだけでも珍しいのに、相手が鎖国状態にある渉不城の出身で、しかも、その中の一人と知り合いだというのだから。
グドンとボウは嫌な予感に心が沈んだ。
ホウカの知り合いに出会うことは、決して喜ぶべきことではない。ホウカが偽物だとバレる恐れもあるし、渉不城の事情に詳しい者なら、グドンとホウカの関係についても何か知っている可能性がある。
関係そのものは知られていてもかまわないが、問題はグドンの出自だった。セイイツはすべての半妖にとって英雄であり特別な存在だ。だから、そのセイイツの息子と知られることは、どう考えても、面倒にしか繋がらない。
「ごめんなさい。覚えてないわ」
皆が見守る中、ボウがすまなそうに首を振った。
グドンは、密かに胸を撫で下ろす。ボウが下手なことをいえば、馬脚を露わす危険性があった。
彼女が持っている渉不城の知識はすべてグドンから得たものだ。そのグドンがセイアのことを知らないのだから、ボウが知っているはずがない。不用意に話を合わせるのはかえって危険なのだ。
ケンシたちセイアの仲間からは、溜息と失笑が漏れた。
古い知り合いと大喜びしたセイアに対し、相手はまったく覚えていないという。これほど気まずい状況があるだろうか?
「だって、あなた、城主ムダイの娘さんでしょ?」
ややむきなって、セイアが詰め寄る。
「いえ、父は副城主の一人よ。城主じゃない。ひょっとして、あなたは渉不城へ来たことがあるの? そのときに会ったのなら…」
ボウの言葉に、セイアも相手が嘘をいっているのではないとわかったようだ。残念ながら、本当に自分のことは覚えていないらしい。
「いいえ、町の外で会ったのよ。ムダイが交易に出てきたときにね。そのとき、あなたも一緒にいたの。でも、周りに大ぜいの仲間がいたし…」
グドンとボウは内心ホッと吐息をついた。
ホウカとセイアは大した知り合いではないようだ。グドンとの関係や彼の生い立ちについても知らないと思ってよさそうだった。
気まずそうに黙り込んだ二人に、ケンシが助け舟を出した。
「きみたちは、渉不城の半妖なのか? こんなところで、ムダイの娘さんに会えるとは思っても見なかった。もし本当にそうなら、我々は家族も同然だ」
グドンとボウは顔を見合わせる。
「どういう意味?」
とグドンが訊く。
「わたしとムダイは昔、仲間だったんだ。一緒に生活し、ともに戦った」
ケンシが過ぎ去った月日をを思い出す目になって言った。
いっぽう、彼の言葉に、グドンは考える目になった。
ケンシ、ケンシ…。
おいらは、この男にどこかで会ったことがある気がする。どこで会ったんだろう?
どうしても思い出せず諦めかけたとき、突然、記憶が蘇った。
実際に会ったのではない。夢の中で見たんだ。
血煙の中、セイイツと妖獣が何万という敵の軍団を薙ぎ倒す。
そんな彼らを遠く背後から追いかけてくる半妖たち。ムダイやコウギシ、そして、この男、ケンシもいた!
グドンの表情の変化に、ケンシは何かを感じたらしく、片眉を上げ、問いかけるような表情になった。
「コウギシから聞いたことがある気がする。あなたたちと一緒に戦ったときの話を」
とグドンは誤魔化した。
「コウギシ?」
ケンシの笑顔が大きくなる。
「彼女はどうしてる? 元気にしているか?」
グドンが返事に窮すると、ケンシの顔色が曇った。
「まさか…」
「いや、コウギシは死んでない。でも、ちょっと怪我をしたんだ」
グドンは、渉不城での出来事について簡単にケンシに話した。もちろん、自分に関することはすべて省略した上で。
「渉不城での生活も想像するほど安全ではないというわけか…」
複雑な表情でケンシが溜息をつく。




