111 告白
「グドン! グドン!」
誰かに名を呼ばれ、激しく肩を揺さぶられている。
正直いって、グドンは目を覚ましたくなかった。このまま眠り続け、出来るなら死んでしまいたい心境だった。
だが、相手は容赦なくグドンを揺さぶり続ける。
痛い、痛いよ! これじゃ、死人でも目を覚ましちゃうじゃないか!
誰が揺さぶっているかは声から想像がついた。
ボウだ。きっと目に一杯涙をため、心配そうに彼の顔を覗き込んでいるに違いない。
仕方なく目を開けると、ホウカがそこにいた。
え? ホウカ? あ、そうか。ボウはまだホウカの仮面をかぶったままなのか…。
何となく滑稽に思え、張りつめていた緊張が少しだけ緩んだ。
それでも、最悪な気分を気づかれぬよう笑顔で体を起こそうとしたが、脇腹に鋭い痛みを感じ思わず顔を顰めた。我慢できずうっと呻き声を洩らす。
明らかに肋骨が折れていた。意識を失う直前、何かに体を直撃された。きっとそれが原因で骨折したのだろう。
グドンは一瞬息を止めて痛みに耐えようとしたが、彼の生還に興奮したボウに激しく抱き着かれ、もう一度大きく呻き声を上げる羽目になった。
「ごめんなさい」
口では謝りながらも、ボウは腕の力を緩めようとしない。
グドンは嘆息し、しばらくそのままにしていた。
今は少しでも気持ちを整理する時間が必要だった。
ボウの豊かな胸が自分の胸でひしゃげている。そのことに意識を集中し、少しでも自分の気持ちを高揚させようとした。でないと、ボウの前で泣き出してしまいそうだ。
あの夢で見たことは、本当に自分の過去だったんだろうか?
と、改めて夢の内容を反芻した。
とても信じられなかったし、信じたくなかった。だが、記憶が本物だと考えると、多くの疑問が解け、一連の出来事も辻褄があう気がした。
仮にもし本物なら、自分はこれからどうやって生きていけばよいのか? 答えは容易に見つかりそうになかった。
ようやく満足したのか、ボウがグドンの体を解放した。
寝ていた姿勢から上半身だけ起こし、グドンは周囲を見回した。
ほんの数メートルから先は、大量の土や岩石、瓦礫などで隧道全体が埋まっている。
幸か不幸か、それ以外に見えるものはなかった。
「おいらは、どれくらいの間、気を失っていたの?」
グドンは訊いた。
「ほんのわずかよ。崩壊が収まって、わたしはすぐここへ駆けてきたから」
「ほかの人たちは…?」
訊くまでもなかったが、訊かないわけにはいかなかった。ボウは視線を落とし首を横に振る。
「一人も? 他には一人も助からなかったの?」
さすがに信じられずに訊き直すと、彼女はもう一度首を横に大きく振った。
「でも、縦穴の向こう側へ逃げた人もいるかもしれない。仮にそうなら、助かった人もいるかも…」
生存者がいないか確かめようと腰を浮かしかけたグドンは、思い直してやめることにした。
今さら、確かめたところでどうしようもない。それに、腰を浮かしただけで、胸にまた激痛が走った。今は他人のことより、自分の体を心配するべきだ。
グドンは肩を上下させ、大きく息をついた。
ボウが気遣う視線を向ける。その顔を見たグドンがなぜか奇妙な表情を浮かべた。
「何?」
とボウ。
「そのお面をとってもらえると嬉しいな。ホウカの顔で甘えられると、何だか気味が悪いよ」
「誰があなたに甘えたの?」
口をとがらせながらも、首元まで赤くなったボウがあらぬほうを向く。それでも、仕方なく仮面をとって、
「これをかぶっていたほうが楽なの。グドンはいいけど、ほかの人はわたしが見えないでしょ? 透明人間と話をするのは、それこそ、皆も気味が悪いと思って」
グドンは頷きながら、彼女の横顔に目をやった。
ボウはもうほとんど透けていなかった。彼女が変化したのではなく、グドンの目が仙族の姿に適応したのだろう。今のボウは普通の人族か半妖に見える。
それにしても、ボウは本当に可愛いと改めて思う。見ているだけでなぜか心が癒される。彼女と初めて知り合ったとき、この子が自分の許嫁だったらどんなにいいかと思ったことを思い出した。
たとえ自分が悪魔でも、この子は許してくれるだろうか? 生涯唯一の存在かどうかはともかく、おいらと一緒にいてくれるだろうか?
しかし、そんな内心とは裏腹な言葉を、あえてグドンは口にした。
「この隧道を出たら、おいらたちは別々に行動したほうがいいと思わない?」
ボウが体を緊張させるのがわかった。
「別々に行動? どうして?」
彼の答えを恐れるようにじっと視線を向ける。
「きみがおいらの中で見たものが何か、わかった気がするんだよ。あれがおいらの本性なら、一緒にいることはボウのためにならない。きみもそう思ったから、いったんは離れることを選んだんでしょ?」
ボウは、それには答えず、
「わかったって、何が? あなたの本性? どういう意味?」
と、急かすように訊く。
「だから、ボウがおいらの中で見たものだよ。どうしてわかったかは説明しづらいけど、渉不城で、どうして仲間があんなふうにおいらに接したのかもわかった気がした」
不思議なことに、夢で幼いころの自分を見たことで、グドンは、どこかホッとしていた。自分が何者かわかったことで、それを受け入れ、すべてをそこからスタートできると感じたのだ。二人の関係も、変に疑心暗鬼にならず、本音で語り合える気がした。
「おいらは悪魔? それとも畜生?」
グドンの単刀直入な問いかけに、ボウは驚いた顔になったが、そのあと、何度も激しく首を振った。
「でも、きみがおいらの中で見たのはそういうことだよね?」
ボウが答えに窮すると、グドンはなぜか小さく笑った。
「だけど、ボウはそれがわかっていながら、おいらを追いかけてきてくれた。そうでしょ?」
「どうして追いかけてきたの?」とは訊かなかった。訊かなくとも理由はわかる。
拳を握り締め、俯く彼女を見ていると、グドンはどんなときより素直になれる気がした。
「おいらはボウが好きだよ」
「え?」
「たとえ、自分が悪魔でも何でもボウが大好きだ。一緒にいたいと思う」
余りにも真っすぐな告白に、ぼんやりした目でしばらくグドンを見つめたあと、ボウは小さく頷いた。
静かにボウの体を抱き寄せると、グドンは彼女の唇に自分の唇を重ねた。
ボウは一瞬緊張して体を固くしたが、すぐにグドンに身を任せた。
こうした好意の示し方は、仙族の彼女にはあまり大きな意味を持たないかもしれない。グドンにもそれはわかっていた。それでも、キスせずにはいられなかった。
長い口づけのあと、いったん体を離し、二人は大きく息をついた。
「はじめて見たときから、おいらはボウが好きだった。自分が誰かなのかわからないけど、今大事なのはそれだけ」
顔を上げた彼女も頷いて、
「わたしも同じ」
と今度は自分からグドンの唇を求める。
ここが土砂や岩石で埋まった隧道でなかったら、二人はそれ以上のものを求めたかもしれない。しかし、今はさすがにそんな環境、雰囲気ではなかった。
やがて、二人は体を離すと、どちらかともなく照れたような笑顔になった。
「仙族の婚姻は別にして、しばらくは、人族や半妖の恋人でいよう」
グドンが冗談交じりにいうと、ボウも乱れた髪に手をやりながら頷く。
二人は、しばらく黙ったあと、今後どうするかを話し始めた。
「出来るなら、おいらは妖族の住む町へ行きたい。ボウは、彼らがどこに住んでいるか知らない? どこで隧道から出られるかわからない状態だから、今こんなことを話すのは無駄かもしれないけど。あまり離れた場所でなければ尚いい」
「妖族の町?」
グドンの要望に、ボウが首を傾げた。
「どうして。妖族の町なの?」
蟻巣島での経験でグドンは強く感じたことがあった。それは自分の力が、人族や半妖の能力を大きく超えており、その力の差が思わぬ問題を引き起こすということだ。
後悔はしていないものの、もし仮に、グドンが女王蟻やその後継者を退治しようとしていなければ、蟻巣島は今も存在していたかもしれない。もしそうなら、アサホたちも死なずにすんだことだろう。彼らの死は自業自得かもしれないが、だからといって、グドンの心の負担がゼロになったわけではない。
女王蟻やアサホが今も生きていたら、別の犠牲者が出ていたろうから、やり直せても同じことをするだろうが、彼らの死に関し自分が引き金を引いたことは間違いなかった。
今回のことは置くにしても、このままでは、次も誰か罪のない人たちの生命を奪ってしまう可能性がある。力の乖離は、慎重に扱わないと社会全体の崩壊につながる危険性を孕んでいた。
そう考えたとき、人族や半妖はあまりにも非力な存在に思えた。少なくとも、女王蟻やその後継者はグドンと戦う能力を持っていたし、かつて彼らを飼育していた妖族なら、なおの事さらに強い力を持っているはずだ。
力の均衡は、グドンの独りよがりな行動の抑止力にもなると期待できた。
「彼らがどこに住んでいるか、情報としては知っているわ。でも、妖族がわたしたちを受け入れてくれるとは思えないけど」
ボウは疑わしそうに答えた。
「それはまた別の話だよ。行ってみて、そのあとは自然の流れに任せる。まさかすぐに殺そうとはしないだろうし」
「わからないわ」
本気で彼女は心配しているようだった。
「妖族を嫌っているの? おいらだって、半分は妖族なのに?」
グドンは笑い飛ばした。
「そう。そのことで、わたしは訊きたいことがあったの」
とボウ。
「何?」
「あなたの先祖の半分は妖族でしょ? でも、あなたが妖族の姿になるのを見たことがない。グドンはどんな妖族との半妖なの?」
訊かれたグドンは戸惑った。
実はグドン自身、そのことでは不思議に思うところがあったからだ。
自分はどんな妖族の先祖を持つのか? 訊きたいのは実は彼自身だった。
こどものころ、自分の背後には何か鳥のようなものが見えていた気がする。ところが、成長するに従って、なぜかそれが段々見えなくなった。
渉不城での軟禁生活が影響したのかとも考えたが、正確なところはわからない。ときおり、自分は本当に半妖なのかと疑うことすらあった。
「もしおいらの祖先がねずみだったら、どうする?」
グドンが冗談めかして訊く。
「別にそれでもいいわ」
とボウも笑って答えた。
「じゃ、ごきぶりなら?」
「それじゃ、わたしの伴侶はごきぶり男かもね」
と、ボウが彼の手を握ろうとする。
また甘い雰囲気になりそうなのに気付いて、二人は照れたように苦笑した。




