110 悪魔
グドンはまた夢を見ていた。
彼はどこかのお花畑にいた。
辺りを埋め尽くす色とりどりの草花の中で、ただ一人、手に握った何か棒のようなものを振り回している。
最近の自分ではない、とすぐにわかった。
ずっと昔、幼かったころの自分だ…。身長や体型、顔の造作などから考えると、五六歳といったところだろうか。
それは間違いなく過去の自分だったが、どこか違和感もあった。
どこだろう、と考えていたグドンは、こどもの顔に浮かぶ奇妙な表情に気づいておやっとなった。
こどもは唇の端を大きく歪め、何とも不気味な笑みを浮かべている。邪悪と表現してもよく、見るものを何とも不快にさせる笑みだった。グドンは、こんな表情をする自分をどうしても想像できなかった。だが、間違いなく、あれはおいらだ…。
そのとき、違和感の原因はもう一つあることに気づいた。
幼いこどもを取り囲む花畑…。
それは確かに花畑のはずだったが、無数に生えている草花には、なぜか茎と葉の部分しか残っていなかった。どれも、先端の花の部分がぷつりと切れてなくなり、何とも無残な姿を晒している。よく見ると、根元に無数の花が散らばっていた。
つい先ほどまで生きて咲き誇っていて花々が、今は生気を失い地面に転がっている。
ひょっとして、花の頭は、おいらが棒でちょん切ったのか…?
それはすぐにわかったが、信じられないのは地面に落ちている花の数だった。十や二十ではない。何百、いや、何千もありそうだった。
これほどの数の花をどれほどの労力と時間をかけて傷つけたのか?
しかも、こどもは満足しきった表情で、天から降臨した神のごとく周囲を見回している。いや、見回すというより、見下ろしているというべきか。
普通に考えるなら、身長の低いその子が見下ろすという表現は正確ではないかもしれない。草花の中には、彼の身長を越えているものも多かったから。
だが、こどものその視線は、見下ろすという表現が何よりも相応しい気がした。
おいらは神だ。今、おまえたちの首をちょん切ってやった。これで少しはおいらの偉大さがわかったか!
こどもの笑みにはそんな思いが溢れている気がした。
そうした光景を上空から俯瞰していたグドンの胸に鋭い痛みが走ったとき、それを待っていたように、突然、画面が切り替わった。
移動した画面は別の世界だ。
いや、別の世界というより、別の時間帯というべきか。
このときのグドンは、先ほどより、さらに二つ三つ年をとっているように見えた。
この年頃の三歳は、体格や容貌に大きな変化をもたらす。
このときのグドンは、まだこどもといってよい年代だったが、先ほどまでの幼さが随分と薄れ、幼児から少年へと変化していた。
少年は、どこかの小屋の中にいた。
薄暗いその室内で、少年は床に直接胡坐をかいて座り、手元で何かの作業をしている。
その真剣な、何かに魅入られたような眼差しに、なぜか、グドンはぞっと身の毛がよだつ思いがした。
少年の表情は真剣ではあったが、純粋さとはかけ離れていた。あるのは老人のような狡猾さだけだ。
少年の手は、よく見ると血だらけだった。
しかも、そのことに少年は興奮しきっている様子だ。
少年はくくっと喉の奥で笑いながら、手に持っていたものを床へ投げ捨てた。
それは首のなくなった小動物の体だった。胸元から下腹部へかけて大きく切り裂かれ、中から内臓がのぞいている。
グドンははっと息をのみ、こみ上げる吐き気をやっと堪えた。
改めてよく見ると、少年の周りは死んだ小動物で埋まっていた。
そのどれもが首を切られ、手足をもがれている。内臓が飛び出しているものも多かった。
それは、先ほど見た花畑の光景とどこか共通点があった。
他者によって無残に奪われた無数の生命…。
光景が再度、別の世界、いや、別の時間帯へ変化しようとしたとき、グドンは強い眩暈を感じた。
何か恐ろしいものを見たからではない。まだ何も見てはいなかった。しかし、次に見るであろうものを想像し、気分が悪くなったのだ。
もうこんなことはやめてほしい。お願いだから。これ以上もう何も見たくない。
あの少年は本当においらだろうか?
今見ているのは、実際に起こったことか? それともただの夢か?
次の時間帯…。
少年はまた幾つか年を取っていた。
その少年の足元に転がっているものを見て、グドンは思わず目を閉じた。閉じたが、なぜかその映像は鮮明なまま彼の中から消えようとしない。
転がっていたのは別の少年の首だった。
その目が恨むようにグドンをじっと見返している。
目を背け、周囲に視線を移すと、壁に作りつけになった棚に、ずらりとガラスの壺のようなものが並んでいた。壺はどれも透明で、中に入れられたものが透けて見える。
その中身を見たとき、グドンは今度こそ我慢しきれずに悲鳴を漏らした。
そこに見えるのは無数の首や体の一部だった。
残された部位が小さいところを見ると、どれも少年と同年齢か、さらに小さなこどものものに思える。
少年はそれを冷ややかな目で眺めつつ、
「おまえら浮浪児は何の役にも立たない、世の中の邪魔者だ。せめて、おいらの役に立てたのをありがたく思え」
と詰まらなそうに笑った。
グドンがまだ町の浮浪児だったころ、彼の仲間が相次いで姿を消すという謎の事件が起こったことがある。同じ浮浪児の一人として、当時はグドンも恐怖の中で毎日を過ごしたが、もしかして、あのときの犯人は自分だったということか?
あいつは畜生だ。
夢でセイイツが放ったあの言葉を今にして思い出す。
あれはやはりおいらのことだった。
セイイツは自分を畜生と呼んだ。肝心なのは、それが間違いではなかったことだ。そう考えると、渉不城の住民が、なぜ、自分に十分な食事を与えず活動範囲も厳しく制限していたのかわかった気がした。彼らは、この世の中に化け物を生み出さぬよう必死で阻止しようとしていたのだ。
そこまで考えて、グドンはあることに思い至りはっとなった。
セイイツとあの中年女性は、やはりおいらの両親なんじゃないだろうか?
二人はおいらの行く末を案じ、何らかの方法で過去の記憶の一部を消し、更生させようと試みた。そして、別の一生を送れるよう渉不城の半妖に託した。万が一、獣の心が復活してしまった際も、被害が最小限に収まるよう、隔絶された半妖の町渉不城を選んだのだ。
それなのに、おいらは町の人たちを恨み、渉不城から逃げ出してしまった。
しかも恐ろしいことに、今は少しずつ自分の能力が覚醒しつつある。その先に待っているのは、いったい、どんな未来だろう…?
このとき、グドンは、もう一つ別のことも思い出した。
渉不城でボウと繋がったとき、彼女が何かを怖れて尻込みしたことだ。あれはグドンの中にかつての悍ましい記憶、恐ろしい本性を見たからではないか?
ボウは自分の中に悪魔を見た…。
いつの間にか、グドンの目から大粒の涙が流れ出していた。
それはいつまでも流れ続け、やがてそこに嗚咽が加わった。
おいらは生きている価値のない存在なの? 誰よりも早くこの世からいなくなるべき生き物?
グドンにはもう闇以外何も見えなくなった。




