109 崩壊
「おいらを信じるなら、もう少し待って」
相手は呆けた顔で彼を振り向いた。
それにはかまわず、グドンはほかの者たちに向かって言った。
「おいらと友達がまず先に下りる。そのあと、三分ほど待って、皆一緒に穴の中へ飛び降りて。いい? バラバラじゃなくて、必ず皆一緒だよ。手をつなぐ必要はないけど、それくらいのつもりで、息を合わせて飛び降りて」
誰もが、もちろんアサホも、信じられない思いでグドンの顔を凝視した。
飛び降りる? 皆一緒に? それはどういう意味なのか? 誰一人、言われたことの意味を測りかねていた。それは、つまり、おまえたちは自殺しろといっているのと同じじゃないか。
口を開いたのはやはりアサホだ。
「そうすれば、わたしたち全員が助かるの?」
「わからない。でも、可能性はあるよ」
グドンは正直に答えた。今の彼には何の保証もできなかった。一度もやったことないことをやろうとしているのだ。失敗する可能性もあったし、失敗すれば残酷な結果となるのもわかっていた。それでも、自分を信じてやるしかない。
とはいえ、グドンは何も強制する気はなかった。ほかに方法がないなら、やってみればといっているだけだ。
ここにいる人族は、恐らく一人残らずアサホの関係者だ。これまでずっと他人を犠牲にして甘い汁を吸い続けていた者たちといってよい。今回島に残ったのも、アサホと行動を共にすれば、さらに甘い汁が吸えると期待したからだろう。島を離れるチャンスは一杯あったというのに…。
彼は、そうした人たちに同情する気はなかった。
「あなたを信じるわ」
アサホが言った。
グドンは冷めた目で彼女を見返した。
彼女は自分を信じているわけではない。ただ、彼の歓心を買おうとしているだけだ。歓心を買い、自分だけは特別に扱ってもらいたいと思っている。
グドンはそう確信していた。
グドンはボウに目線で合図を送ると、穴の縁へ歩み寄り、そのまま飛び降りた。
ボウはふわりと浮いた状態でゆっくり降下を始める。グドンは、そんな彼女に空中で近づき肩を抱くと、一緒に急降下を始めた。
縦洞窟の底まではかなりの距離があったが、それでも、時間にすれば十秒か、十数秒だろう。
ボウにしてみれば、彼と一緒に飛ぶのは初めてではなかったが、それでも、緊張で体が固くなった。
底まで下りると、縦穴は、グドンが予想した通り左右の隧道へと続いていた。
このどちらかいっぽうは渉不城へ繋がっているはずだ。
たぶん右だろうとグドンは予測したが、地下へ下りて方向がわからなくなっていたから、確信はなかった。
「縦穴の範囲から少しでも離れるんだ。隧道をとにかく遠くへ駆けて!」
地面に下りてボウから腕を放すと、グドンはすぐにそう指示を出した。蟻巣島が崩れれば、縦穴の天井も崩壊するかもしれない。そうなれば、穴の範囲に立っていることは自殺行為を意味する。
ボウは一瞬逡巡する様子を見せたが、グドンの眼中からはすでに自分が消えていることに気づくと、すぐに言われた通りその場から駆け出した。
縦穴の直径は広大だから、どれだけ走ればいいのか想像もつかなかった。
途中から上空を飛んだが、グドンのように猛スピードで滑空できるわけではないから、駆けるのと速さはそれほど変わらなかった。
グドンは険しい顔でじっと上空を見つめている。
ほかの者たちが落ちてくるのを待っているようだ。
もちろん、誰も飛び降りない可能性もあった。人族にとって、この奈落の底へ飛び込むことは、とんでもない勇気と決意を必要とするはずだ。
だが、少なくともアサホは飛び降りるのではないか、とグドンは予想していた。
先ほど瞑想時に行った模擬訓練をもう一度脳海内でおさらいする。
周囲の空気の流れを意識し、それを少しずつ凝縮して風のネットを作るのだ。
彼の体の周りに次々と湧きたつ風のエネルギーが、次第に集まって横方向へ広がると、やがてグドンの頭上に白い幕のようなものができ始めた。
それは三メートル、五メートル、十メートルと幅を広げ徐々に巨大になっていく。
と同時に、厚さも増して、まるでふんわりと湧きたつ雲の形に変化した。
まだか降りてこないのか?
上空を見上げるグドンの視線がさらに険しくなる。
三分と彼らにいったが、時間が止まったようで、グドンはじりじりしながら何かが落下してくるのを待った。
やがて、いくつかの小さな黒点が見えた。
グドンの周りで、風の動きがさらに激しさを増す。
今は辺りの空間全体が強い上昇気流にのみ込まれたようで、彼の衣服や髪さえも上空へと巻き上げていた。まるでグドン自身が竜巻に巻き込まれた感じだ。
黒点はすぐに人の姿に変わった。
グドンは慌てず、風のネットをさらに上へと上昇させる。
落下した人たちの体と風のネットが衝突した、と思った瞬間、ネットが大きく撓んで、かかった衝撃を吸収し、その後、反動で僅かに上へと跳ね上がった。
上空で何人もが悲鳴を上げる。
グドンは気を緩めず、さらに上空へ風を送り続けた。
ここからが一番肝心だ。
両掌で、生まれたばかりの小動物をそっと包み込むように地面まで下ろす。
人々の体が地面に着地したとき、彼らの下で風が溶けるように形を失い消え去った。
地上へ下りた大半はすぐに体を起こしたが、横になったまま意識を失っている者もいた。
「気を失っている人の目を覚まさせて、すぐ穴の下から離れるんだ!」
グドンは大声で厳しく命じた。今は優しく説得している暇はない。強く命じたほうが反射的に動けるはずだった。
それでも、身動きできない者もいたが、グドンはそれにはかまわず、その場を離れようとした。
もうやれることは十分にやった。あとは彼ら自身がどうするか決め、自分で命を守ることだ。
彼らを地面に下ろす際、飛び降りてきた島民の数が少ないことに、グドンは気付いていた。一緒に階段を下りてきた者たちの中には、飛び降りない選択をした者もいたのだ。
それも彼ら自身の判断だ、とグドンは思った。彼は何も強制できないし、またそうする義理もない。
グドンが彼らの傍を離れ、ボウのあとを追おうとしたとき、上空から大量の土砂が降り注いだ。
愈々、島全体の崩壊が始まったのだ。
初めは小さな砂塵のようなものだったが、次第にその中に大きな岩石が含まれるようになった。
思わず駆け出したグドンの背後で、幾つもの悲鳴が上がった。
落下した岩石が島民に当たったのかと思ったが、そうではなかった。
振り向くと、先ほど地面に下りた島民のすぐそばに何か赤い物体が転がっている。
よく見ると、それは潰れた人族の残骸だった。
ほかの者たちから遅れて飛び降りることを選んだのか、それとも、足元が崩れて落下したのかはわからない。いずれにせよ、縦穴の底に彼らを守ってくれる風のネットはもう存在しなかった。
この先も、上に残った島民が落ちてくる可能性はあったが、グドンの力では、もうどうすることもできなかった。
今は落下してくる岩石も島民も区別がつかない。区別出来たところで、島民だけを受け止めることなど不可能だ。
降り注ぐ大量の土砂の中、呆然と佇む島民たちに、グドンが再び大声を出した。
「早く走れ!」
多くが慌てて駆け出したが、大量の岩石や土砂が彼らの体にも降り注いで、容赦なくその行く手を阻む。
グドンは走りながら、出来る限り、上空の岩石を島民の上空からはね飛ばした。
しかし、それにも限界があった。
グドンの背後で、何人もの島民が落下した岩石を体に受け、声もなく地面に崩れ落ちた。
その中にグドンはアサホの姿を見た気がした。
「グドン!」
どこか遠くでボウが叫ぶ声が聞こえた。
彼は反射的に体の周囲に風の膜を作った。そうしないと、今は降り注ぐ土砂のせいで何も見えないし、呼吸することさえままならない。
グドンはもう駆けてはいなかった。
自分でも気づかぬうちに低空を滑空していた。
あと少し…。もうすぐ縦穴の範囲を越えられるはずだ。
そう思ったが、もう逃げきれないことを本能的に悟っていた。
駄目だ。間に合わない!
そう思ったとき、何か丸く柔らかなものが彼の体を直撃した。
落下してきた岩石に当たった、と思ったが、どこか妙な気もした。岩石は上空から落下してくるはずなのに、なぜか側面から殴打されたような感覚があったからだ。もっと正確にいうなら、とてつもなく凄い力で突き飛ばされたというべきか。
グドンが滑空する速度を大幅に上回る何か…。
これは、どういうことだろう? 世の中にこんな力が存在するのか?
そんなどうでもよい疑問を最後に、グドンは意識を失った。




