106 候補者との死闘
グドンが洞窟内に戻ったとき、妖獣三頭はまだ諍いの最中だった。
ただ、内一頭は仰向けに倒れ、手足をバタつかせて藻掻いている。すでに頭の触角がちぎれ、さらに、噛み千切られたのか、口元から頬にかけての肉がなくなっている。
傷の浅い二頭も、そろそろ優劣がつき始めていた。
一頭は相手の勢いに気圧されて後退し、今にも背を向けて逃げ出しそうだ。
グドンが近づいても、三頭は彼の存在を歯牙にもかけない様子だった。
これほど自分が無視されることに、グドンは腹を立てるよりむしろ呆れる思いだった。
おいらのどこがこれほどの低評価に繋がっているんだろう?
仲間内の権力闘争こそ、問題の要で、それが片付けば、グドンなど一息でこの世から消し去ることができる。まさに取るに足らない存在。そんな感じだ。
もちろん、これには異論があったが、今回の妖獣との戦闘で、グドンには気づいたことが一つあった。
戦闘能力を考えた場合、火炎で相手を焼き尽くす以外、自分には、直接相手を傷つける能力が欠けていることだ。相手の動きを封じたり操ったりはできるし、幻覚を見せて撹乱することもできる。だが、斬りつけたり、殴って相手を圧倒することはできない。もちろん、そのための武器も持っていなかった。仮にそうした能力や武器があれば、もっと簡単に勝負にケリをつけられたはずではないか?
こうして攻撃能力に劣るのは、元々グドンがそれを望まなかったからといえた。相手を傷つけるのではなく、自分を守れればいい。すべてはそんな発想から生まれていた。
しかし、ここまでくると、そうとばかりもいっていられない気がした。守るだけでは相手を有利にし、侮られるばかりだ。逆に、相手に脅威を与えられれば、戦う前から不要な諍いを避けることもできる。自分を守るためにも、最低限の攻撃能力は必要だった。
何か直接相手を叩く方法はないか?
そう考えたとき、グドンの脳裏に浮かんだのは、夢の中で見たセイイツの戦闘シーンだった。
敵に向かって突進するセイイツが腕を払うたび、相手の首や手足がちぎれ飛び、血煙となってこの世から消えた。
今思い出しても背筋が凍る残虐な場面だが、ああした能力の一端を利用できれば、戦闘能力が格段に進歩するのは間違いない。
あのときのセイイツは何の武器も持っていなかった。
では、なぜ敵を倒すことができたのか? 敵の体がちぎれ飛んだのはなぜか?
空間を歪めたのだろうか?
相手のいる空間を歪め、敵の体をバラバラにした?
少し違う気がした。
グドンは目を閉じ、夢の中の場面をさらに鮮明に思い出そうとした。
セイイツが走り、腕を振る。すると、彼の周りで風が起こるのがわかった。
風はやがて、鋭い刃となって相手に襲いかかる。
風の刃は流れとなり、途切れることなく放たれた。
セイイツは空気を使って敵を倒していたんだ!
それを理解したグドンは、脳裏で、風を起こす自分を想像した。
腕の周囲で、小さく風の流れが生まれ、やがてそれは渦となって力を孕む。その力をさらに研ぎ澄ませ、無限に薄い刃と変えて相手めがけて解き放つ。
出来た!
グドンがそう確信したとき、現実世界で、金属を擦り合わせたような妖獣の悲鳴を聞いた気がした。
思わず目をあけて周囲を見ると、仰向けに倒れていた妖獣の体が真っ二つに切断され、宙を舞っていた。
争っていたほかの二頭も何事かとそちらへ視線を向ける。
上半身と下半身が大音響を伴って別々に地面に落下した。
今何が起こったのか?
もしかして、グドンの起こした風が妖獣の体をぶった切った?
二頭の妖獣は争うのをやめ、そろって切断された仲間の体へ突進していく。
二頭が狙うのはどちらも頭のある上半身だ。
胴体を切断された妖獣は今も手足をばたつかせている。まだ死んではいなのだ。その生命力の強さに、グドンは改めて舌を巻いた。
二頭はもう争うことなく、瀕死の妖獣の頭部に左右から噛みついた。
顔を食いちぎられながら、妖獣は尚も断末魔の叫びをあげる。
それでも、妖獣の一頭が力任せに引きちぎると、残った首は完全に胴体から離れ、切断面から大量の青い液体が噴出した。
二頭はそれにはかまわず、ちぎった頭部を必死で咀嚼する。
まるで早く食べ終わったほうが次の覇者だといわんばかりだ。
グドンが驚いたことに、仲間の脳を食べ終えた個体は、見る間に体がデカくなった。
二頭の戦いを最後まで見届け、漁夫の利を得るつもりだったグドンは、考えを変えることにした。
この種の妖獣は徐々に力を蓄えるのではなく、一夜にして成獣となり、女王蟻としての全盛期を迎えるようだ。
勝者が決まったときには、女王になる準備はすべて終わっている。
その際の能力は、グドンが倒した元の女王蟻をはるかに上回るはずだ。なぜなら、元の女王は年老い、傷ついて、極限まで弱っていたからだ。
若い妖獣はかつての女王蟻の脳を食し、恐らく兄弟であるほかの妖獣の脳も食して、いわば完全体となる。そして、その個体による長い長い統治の時代が始まるのだ。
完全体となり全盛期となった女王蟻の力がどれほどのものか、グドンにはわからない。わかっているのは、恐らく自分には太刀打ちできないということだ。そうなる前に、何としても彼らの息の根を止めなくてはならない。
グドンがそう決心したとき、それを察したように二頭の妖獣は兄弟喧嘩をやめ、グドンのほうへ顔を向けた。
次の瞬間、グドンの周辺で空間が歪み始めた。
自身の体重が何倍にも重くなったような錯覚に捉われる。
地面がドロドロに溶け始め、底なし沼に嵌まったようで身動きできなくなった。
必死に抵抗し、上空へ飛び上がろうとしたが、何かがそれを阻んでいる。
足元を見ると、恐怖に蒼ざめたボウが彼の足に縋りついていた。
これは幻覚だ!
今回はそれがグドンにもよくわかった。
だが、わかったものの、彼女を足蹴にするのを一瞬躊躇った。
それを見抜いたように幻覚は彼の体にしがみ付き、さらに上へと這い上がろうとする。
とたんにグドンの体重が増し、体が地中へめり込んだ。
敵の幻覚に抗うべく、グドンは自分の幻覚を周囲へ放ったが、驚いたことに、相手のつくり出した世界は微かに揺らいだだけだった。
これは、おいらの幻覚能力が相手より大きく劣っているということか?
もし、そうだとしたら、妖獣の完全体が出現したら最後、自分は一瞬で打ちのめされることになる。
グドンは、相手の幻覚に抗うと同時に、妖獣の一頭へ向け腔妖術を放った。
妖獣の目が白濁するのが見え、その個体は攻撃の対象を仲間の一頭へ変えた。
この機を逃さず、グドンはそいつの首へ風の刃を放つ。
湧きたった風が渦を巻きやがて薄く薄く研ぎ澄まされていく。
その刃が光を受けて何色にも輝いて見えた。
やがて刃が目標へ向け飛び出した。
風刃は空中で何度も軌道を変えながら妖獣へと迫っていく。
その度に光を受け、風刃がまた光り輝く。
女王蟻の候補者もグドンもその光景に覆わず目を細めないではいられない。
あと少し! そう思ったとき、グドンの幻覚から抜け出した妖獣が意識を回復した。
妖獣はぎりぎりで首を縮め、風刃による攻撃を避ける。風刃は妖獣の頭部を掠めただけで素通りし、やがて虚空へと消え去った。
失敗した!
落胆で攻撃が一瞬途切れると、それを見てとった二頭は別々に新たな攻撃をグドンへ仕掛けた。
ボウの幻覚がナイフを手にグドンへ襲いかかる。
それと同時に、もう一頭はグドンの脳海へ侵入しようとしていた。
ここで負ければすべてが終わる。
そう悟ったグドンは、自らも妖獣の脳内へ入るべく小犬から学んだ能力を使った。
もうそれ以外、方法が思いつかなかった。
脳内に入り、相手を操ろうとしたというより、かつての女王蟻にしたように、脅威を感じさせ、尻込みさせればそれで十分だった。
とたんに、言葉にできない胸糞悪さがグドンの心と体を襲う。
それでも、相手の脳内へ侵入すると、自らの全身を炎で包み込んだ。
グドンの分身と妖獣の脳にいた自身の分身がぶつかり合い、衝撃音を放った。
妖獣の一頭が苦痛に耐えきれず悲鳴を上げる。
同時に、ボウの幻覚がふっと消えた。
本体へ戻ると、悲鳴を上げるその個体へグドンは攻撃を集中させることにした。
首を刎ね飛ばすべく再び風の力を放つと、周辺でゴーッと轟きが湧きおこった。
これまでにない凄まじい力が妖獣へ向かって移動していく。
先端には白い煙が渦巻いている。
パンという破裂音が聞こえ、風刃が音速を超えた。
風が妖獣に到達した瞬間、その体が幾つにも千切れて空中へ乱れ飛んだ。
バラバラになった肉体は血煙となり上空で消えていく。
辺りに、何とも形容のできない血生臭い嫌な匂いが充満した。
夢で見たセイイツの殺戮場面とまったく同じ光景だ。
残る一頭へグドンが視線を向けると、相手が背を向け逃げ出すのが見えた。
グドンの周囲で見えていた幻覚も今はすべて消えている。
代わりに新たな風の轟きが彼の周りで沸き起こった。
残った一頭は数メートルも移動できず、風の渦巻きに包囲されて上空へと舞い上がる。
妖獣はそれでも必死で抵抗するが、まったく効果がない。
そのまま少しずつ肉体が溶けるように、血煙となって消えていく。
細かく、さらに細かく、粒子になるまで粉砕される肉体…。
血生臭い匂いが濛々と立ち込め、息をつこうとしたグドンは噎せ返って何度も咳き込んだ。
口の中が相手の血で塞がれた気がした。
何度か唾を吐き出したが、さらに激しい嘔吐が彼を襲う。
勝負は終わった。
だが、勝利による快感はいっさいなく、あるのはただ吐き気と脳内で続く鋭い痛みだけ。
グドンは思わずその場にしゃがみ込み、何度も大きく胸を喘がせて、体から不快な感覚が抜けるのを待った。
だが、回復の予兆は微塵も現れない。
そのとき、どこからか微かに地響きが聞こえ始めた。
何かがグドンの頬を掠め地面に落下した。
次いで上空から何か細かなもの次々とが降ってくる。
見上げると、崩れ始めた洞窟の天井から、砂塵が白い幕となって彼の顔に降り注いでいた。
元々死人のようだったグドンの顔がさらに蒼ざめた。
今、蟻巣島で何かが起きようとしていた。
しかも、これはグドンが妖獣との戦闘によって引き起こしたものではない。
もっと大規模な、とんでもない災害がこの島で起きようとしていた。




