第32話 強制フォーマットと不完全なレシピ
閃光の余韻が消えた管制室で、Kは床に転がり、笑っていた。
「アハ……ハハハ……」
「見えない……何も、見えない……」
網膜を焼かれた痛みによる狂気か。
それとも、敗北を認めないための防衛反応か。
ガクの部下たちに拘束されても、Kは焦点の合わない目で虚空を見つめ、笑い続けている。
「私の目が潰れても……」
「神の目は、閉じない……」
「黙れ」
ガクが猿轡を噛ませ、Kを床にねじ伏せた。
物理的な脅威は、排除された。
だが――
私の戦いは、終わっていない。
私はKが座っていたデスクへ滑り込んだ。
黄ばんだキーボード。
直結された、巨大なサーバー。
モニターの一つに、不吉な文字列が走っている。
『Emergency Protocol Initiated』
『Deleting All Data... 15%』
「……っ!」
証拠隠滅。
しかも単なる破壊じゃない。
ここにあるのは、カノウ先輩が人生をかけて積み上げた遺伝子の地図。
それが、秒単位で消えていく。
「ガク様! ケーブルは抜かないで!」
「電源を落とすと、ディスクがロックされます!」
叫びながら、私はキーボードを叩く。
古いOS。
黒い画面に、白い文字。
管理者権限(root)への強制介入コード。
『Access Denied』
「くっ……!」
弾かれた。
これはKが施した独自暗号だ。
消去率――30%。
40%。
フォルダが、次々と消える。
「炭疽菌培養ログ」――消去。
「ドローン制御」――消去。
それらはいい。
だが――
『Project_Antidote』
そこだけは、絶対に消させない。
王の血を治す方法。
呪いを断ち切る、唯一の処方箋。
私はスマートウォッチを取り出し、直接ケーブルを接続した。
正規手順が無理なら、物理バイパス。
「ソラ! どうなってる!」
「火事場泥棒です!」
「燃える図書館から、一冊だけ盗みます!」
転送開始。
消去プログラムが、背後から追ってくる。
『紫カビ抑制因子』――完了。
『変異型真菌DNA』――完了。
『凝固因子第VIII因子・精製法』――転送中。
本丸。
50%。
70%。
その時。
『System Critical』
『Self-Destruct Sequence Active』
カチッ。
机の下で、乾いた作動音。
――来る。
「逃げろ! 爆発する!」
私はケーブルを引き抜き、ウォッチを抱えた。
転送率、99%。
確認する暇はない。
「撤退! 全員走れッ!」
坑道を、全力で駆け戻る。
背後で、熱が膨れ上がった。
*
ズズズ……ンッ!!
坑道を抜けた瞬間、地面が波打った。
岩盤が崩れ、黒煙が噴き上がる。
管制室は、生き埋めになった。
私は膝をつき、荒く息を吐く。
左腕のウォッチは――無事だ。
「……間に合ったのか」
「確認します」
震える指で、保存フォルダを開く。
『凝固因子第VIII因子・精製法.txt』
開く。
数式。温度。培地。
途中までは、完璧。
だが――末尾。
『###### Data Corrupted ######』
「……嘘」
再読み込み。
変わらない。
核心部分だけが、欠けている。
「……作れません」
私は、静かに言った。
「最後の触媒名がありません。
これがないと、薬は毒です」
ガクは端末を覗き込み、舌打ちした。
「……ゼロじゃない」
肩を掴まれる。
「書いたのは誰だ」
Kを指差す。
「記憶までは消せん。
後宮の拷問官は優秀だ」
一縷の望み。
だが私は、あの歪んだ笑顔を思い出していた。
彼は本当に、全てを知っているのか。
それとも――
このレシピ自体が、未完成だったのか。
私たちは、不完全な宝の地図を手に入れた。
生存理学、解析フェーズへ。
次の戦場は、研究室ではない。
冷たい石牢だ。
失われた数行を取り戻すために。




