第30話 化学的武装と女王の古地図
三日後。正午。
指定された場所は、後宮から馬で半日。
人の気配が途絶えた、廃坑となった銅山だった。
出発の二時間前。
私は西離宮の地下研究室で、最後の調合を行っていた。
乳鉢の中で、粉末が乾いた音を立てる。
硝酸カリウム。
マグネシウムを含む鉱石の粉。
そして、細かく砕いた添加剤。
「……火薬でも作る気か?」
完全武装したガクが、覗き込む。
革鎧の下には短刀。背には黒塗りの弓。
すでに「掃除屋」の顔だ。
「似たようなものです」
私は粉末を配合し、和紙で包み、掌サイズの球に固めた。
「閃光弾と発煙筒。
ドローンの目は、結局カメラです。
光と煙には、文明レベル関係なく弱い」
スマートウォッチやタブレットが“盾”なら、
これは、生存理学で作った“牙”だ。
完成した玉を前掛けのポケットに詰める。
さらに――冷凍保存された、ある血液の小瓶を懐へ。
「準備完了です」
「ああ。部下も配置についた。裏から山に入る」
作戦は単純。
私が正面から囮になる。
その間に、ガクの部隊が側面から強襲。
だが、問題が一つあった。
廃坑の構造。
坑道は複雑で、正確な地図が存在しない。
迷えば、私が生きているうちに援軍が届かない。
――その時。
「出陣か。精が出るな」
しわがれた声。
即座に、私とガクが身構える。
この地下室に、部外者?
現れたのは、質素な布で顔を覆った老婆だった。
だが、その眼光は鋭い。
「……皇太后陛下?」
ガクが息を呑む。
「忍び歩きは久しぶりだ。
若い頃は、よく城を抜け出したものだがな」
皇太后は、懐から古びた羊皮紙を取り出した。
「持って行け」
「これは……?」
「その廃銅山の、本当の地図だ」
広げられた地図には、坑道だけでなく、
塞がれた通気口、排水路、隠し抜け道まで描かれている。
「カノウが候補地として調査した時のものだ。
あやつは、用心深かった」
最強の攻略本。
知識と記憶が合わさった、唯一の正解ルート。
「……なぜ、私たちに?」
問うと、皇太后は鼻を鳴らした。
「勘違いするな。
私の庭に、害虫が飛び回っているのが不快なだけだ」
鋭い視線が、私を射抜く。
「知識は危険だ。
だが、それを信仰に変える者は、もっと危険だ」
一拍。
「ソラ。生きて戻れ。
知識を使う者と、知識に使われる者。
どちらが勝つか、証明してみせろ」
私は深く一礼し、地図を受け取った。
「感謝します。生存確率が三〇%上昇しました」
「……可愛げのない娘だ」
皇太后は、来た時と同じように消えた。
この老婆こそ、
本当の意味での生存者なのかもしれない。
正午。
私は一人、廃坑の入り口に立っていた。
枯れた山肌。
硫黄の匂い。
風の音だけが、空洞のように響く。
ブィィィ……。
羽音。
見上げると、黒いドローンが一機、こちらを見下ろしている。
私は両手を上げた。
『よく来たね。当代の生存者』
あの声。
『約束通り、一人か。感心だ』
「取引に来ました」
左腕を掲げ、スマートウォッチを示す。
「この中のデータを渡します。
代わりに、後宮への干渉を永久に停止してください」
『合理的だ。実に君らしい』
ドローンが坑道へと滑り込む。
『さあ、入れ。歓迎しよう』
私は振り返らなかった。
振り返らなくても、分かっている。
今頃、ガクたちは地図を頼りに、裏手から侵入を開始している。
勝負は時間。
私が捕獲されるか。
彼らが本拠地を制圧するか。
懐の“化学爆弾”の感触を確かめる。
知識は渡さない。
渡すのは――
閃光と、爆音と、絶望だけだ。
私は一歩、闇の中へ踏み出した。
生存理学、殲滅フェーズ。
狩られる側ではない。
巣を焼き払う侵入者として。




