第27話 凍れる血液と50%の賭け
「青き狩人」の散布により、西離宮一帯は完全な聖域――サンクチュアリとなった。
空気中を漂う紫色の毒胞子は、私の撒いた青カビに触れた瞬間、捕食され、無害な白い灰へと変わる。
Kの教団が送り込んでくるバイオテロは、もはや脅威ではない。
少なくとも、“外”からの敵は。
だが、安息は訪れなかった。
外敵を封じたその夜、最大の「内なる敵」が目を覚ましたからだ。
深夜。
西離宮地下の研究室で、私は冷蔵庫の温度計を確認していた。
庫内温度、四度。正常。
滅菌瓶に保存された血液パックは、五〇本。
A型、B型、O型、AB型――すべて揃っている。
「……宝石屋のショーケースみたいだな」
発電機の燃料補給を終えたガクが、汗を拭いながら呟いた。
「これだけの血があれば、国の一つくらい買えそうだ」
「買うのではありません。守るのです」
私はスマートウォッチを操作し、カレンダーを表示した。
「――たった、二つの命を」
出産予定日まで、あと一週間。
なのに。
嫌な予感が消えない。気圧の急降下を示すグラフ。嵐の前触れ。
その時だった。
地下室入口に設置した有線ベルが、けたたましく鳴り響いた。
地上からの緊急信号。
来た。
私とガクは顔を見合わせ、同時に動いた。
「出動!」
私は冷蔵庫から、特に厳重に管理していたO型血液を十本、保冷箱へ放り込む。
輸血セット、強心剤、縫合道具――準備完了まで十五秒。
玉葉宮は、すでに修羅場だった。
怒号。
湯を運ぶ足音。
そして、奥の寝室から聞こえる、押し殺した呻き声。
破水。
だが、様子がおかしい。
「ソラ様!」
出迎えた筆頭侍女の手は、鮮血に染まっていた。
「血が……止まりません!
羊水より先に、血が……!」
――常位胎盤早期剥離。
最悪の診断名が、脳裏に赤く点滅する。
母体は大量出血。
胎児は、今この瞬間にも窒息する。
「道を開けて! 輸血準備!」
私は寝室へ飛び込んだ。
鉄錆の匂いが、喉を刺す。
玉葉は蒼白で、意識が朦朧としている。
脈は弱く、血圧は測定不能。
「ガク様、封を切って!」
私は細くなった血管を一瞬で捉え、針を刺す。
冷たい血液が、命の補給線となって流れ込む。
「……わ、たしの……子……」
「生きています。今、出します!」
だが――
腹部は異常に硬い。
胎児心拍、低下。
「自然分娩は無理です。帝王切開に切り替えます!」
部屋が凍りついた。
「腹を切るだと!?」
「正気か!」
常識では、狂気の判断。
だが、私は退かない。
「死なせません。そのために、血を集めたんです!」
ガクが剣を抜き、静かに一歩前へ出た。
「邪魔するな。
死神の相手はこいつがする」
支配権を確立。
私はメスを取り、消毒し――躊躇なく刃を入れた。
血は溢れる。
だが、それ以上の速度で、血が補給される。
子宮壁を切開。
羊膜を破る。
「――出ます!」
引き上げたのは、小さな男の子。
紫色の肌。泣き声がない。
「……泣かない」
仮死状態。
私は羊水を吸引し、背中を叩く。
一秒。二秒。
永遠のような沈黙の後――
――オギャァァァァ!
力強い産声。
歓声と嗚咽が、部屋を満たす。
だが。
私は、安堵しなかった。
へその緒。
血が、止まらない。
――血友病。
王家が抱える、五〇%の遺伝子バグ。
「……ソラ?」
「おめでとうございます」
私は小さく告げた。
「男の子です。
……そして、“陛下のお子”です」
ガクの顔色が変わる。
母は助かった。
子は生きている。
だが、戦いはここからだ。
私は赤ん坊を抱き上げ、心の中で誓った。
泣くな。
お前の血のバグは、私が管理する。
そのために、ここに“未来”を用意した。
生存理学――
生涯管理フェーズ、開始。




