第25話 タイムカプセルと青き捕食者
西離宮の地下研究室。
その最奥。
ディーゼル発電機の裏にある、一見すると継ぎ目のないコンクリート壁。
だが、タブレットのサーモグラフィー越しに見ると――。
「……温度が低い」
四角い枠が、はっきりと浮かび上がっていた。
「ここだな」
ガクがランタンを掲げる。
私は皇太后から預かった真鍮の鍵を、壁の窪みに差し込んだ。
電子ロックではない。
重く、無骨な、銀行の貸金庫のようなシリンダー錠。
カチャリ。
低く、腹に響く音。
油圧の駆動音と共に、壁が手前へせり出し、横へとスライドした。
――封印されし「開かずの間」。
中から流れ出てきた空気は、意外なほど乾いていた。
そして。
「……珈琲?」
思わず、声が漏れる。
「焦げた豆の匂いか? 変わった香だな」
ガクが鼻を鳴らす。
足を踏み入れた瞬間、天井のライトがパチリと点灯した。
そこは、研究室ではなかった。
六畳ほどのワンルーム。
簡易ベッド。読みかけの文庫本。
カップラーメンの空き容器。
壁には、どこかの風景写真――東京タワー。
「……ここは」
私は息を呑んだ。
「研究室じゃない。
カノウの生活空間……隠れ家です」
狂気の科学者の巣ではない。
ただ、帰れない世界を想いながら生きていた、一人の人間の部屋。
机の上に、一台の機械があった。
小型のICレコーダー。
その横に貼られたメモ。
『To Survivor(生存者へ)』
震える指で、再生ボタンを押す。
ザザッ……。
ノイズの向こうから、疲れた男の声。
『……あー、テステス。聞こえるか、後輩』
日本語だった。
ガクには分からない。
私にだけ向けられた、数十年越しの声。
『これを聞いてるってことは、俺は失敗して、お前がここに来たってことだな』
苦笑混じりの声。
『紫色のカビ――パープル・ヘイズを見たか?
王の血の欠陥を治そうとして、遺伝子操作中に生まれた怪物だ』
Kの教団。
教祖は、カノウの助手。
技術流出。
科学者の慢心が生んだ、連鎖的な悲劇。
『止めてくれ。
そのために、俺は最期のリソースを全部注ぎ込んだ』
天敵。
『冷蔵庫の一番奥。保冷剤の裏だ。
名前は――ペニシリウム・アズール』
青カビ。
抗生物質の原点。
『紫のカビを餌にする。
捕食して、水と炭酸ガスに分解する』
プツリ。
音声は、そこで終わった。
私はレコーダーを握りしめ、息を整えた。
逃げたわけじゃない。
彼は、最後まで責任を取ろうとしていた。
「……ソラ?」
ガクが心配そうに覗き込む。
私は顔を上げ、日本語で小さく呟いた。
「了解しました、先輩」
そして、振り返る。
「ガク様。
武器が見つかりました」
冷蔵庫を開ける。
最深部。保冷剤の裏。
そこに、厳重に密封されたガラスのシャーレがあった。
中で広がる、蒼碧色の菌糸。
宝石のように、美しい。
「……きれいだな」
ガクが思わず漏らす。
「紫の悪魔を食い尽くす、青き狩人です」
生きている。
休眠状態だが、確かに。
これを起こし、培養し、増やせば――。
空気中の胞子を、空中で捕食・分解する。
生体空気清浄システム。
「増やせるか」
「ええ。パンを作るのと同じです」
私は微笑んだ。
「温度と糖分と寒天培地。
数日で百倍に増やせます」
希望が、初めて形になった。
その時。
スマートウォッチが、微かに振動する。
『予定日:一ヶ月前』
紫雲の出産が近い。
敵も、必ずそこを狙う。
「急ぎましょう、ガク様」
私は青いシャーレを胸に抱いた。
「私たちは農家になります。
毒を撒く相手には、薬の雨を」
地下に響く発電機の音が、力強く聞こえた。
生存理学――反撃フェーズ。
私たちの手には、
世界を浄化する「青い弾丸」が握られていた。




