第22話 生物学的時限爆弾と狂気の聖典
鎮火した西離宮の前で、私は戦慄していた。
焼け焦げた死体でもない。
崩れた瓦礫でもない。
私の指先――
ピンセットに挟まれた、小さな皮膚片。
襲撃者の首元から削ぎ取った、眼球の刺青。
懐中電灯の光を当てた瞬間、私は息を呑んだ。
「……動いてる」
「は?」
ガクが眉をひそめる。
「皮膚の下で、何かが脈打っています」
熱。
赤み。
毛細血管の異様な増殖。
墨じゃない。
「生きてる……?」
「正確には、“育っている”です」
私は喉が渇くのを感じた。
「ガク様。この死体、地下へ」
「正気か?」
「解剖が必要です。
もし私の仮説が正しければ――」
私は、まだ燻る煙を見上げた。
「これは放火じゃない。
散布です」
地下研究室。
顕微鏡のレンズの向こうで、世界が歪んだ。
細胞の隙間を這う、紫色の糸。
無数。
絡み合い。
脈打つ菌糸。
「……カビ、か」
「ええ」
私は喉の奥が冷たくなるのを感じた。
「火で熱せられると、胞子を放つ性質があります」
焼身。
煙。
空気。
最悪の組み合わせ。
「つまり……」
「彼らは自分の身体を爆弾にしていた」
沈黙。
もし水を使っていたら?
もし火がもう少し広がっていたら?
想像したくない。
「これは――生体兵器です」
捕らえた男は、すでに壊れていた。
皮膚の下を、紫色の模様が這い回る。
「ヒ、ヒヒ……」
笑っている。
「我らは……『K』の子ら……」
K。
この世界に、存在しない文字。
「カノウ様の……忘れ形見……」
その瞬間、すべてが繋がった。
ノート。
失敗作。
流出。
カノウは被害者じゃない。
起点だ。
ドン、と音がして男は動かなくなった。
死因は殴打じゃない。
内側から、食い尽くされた。
「……とんでもない遺産だな」
「ええ」
私は答えた。
「彼は科学者じゃない。
倫理を捨てた、実験者です」
冷蔵庫の方を見る。
血液。
命。
そして、これから始まる戦争。
「ガク様」
「なんだ」
「次は火じゃありません」
私はマスクを装着した。
「見えない死です」




