EP 6
ザルドの焦りと、深夜の直接交渉
深夜零時。
ポポロ村が深い静寂と暗闇に包まれる中、スーパー折原の真向かいに建つ『メガ・マーチャントポポロ出張所』のプレハブ二階では、一人の男がギリッと奥歯を噛み鳴らしていた。
「……私の、私の完璧な経歴が……! たかが田舎の、泥臭い個人店ごときに……ッ!」
メガ商会の専務、ザルドである。
彼の目の前のデスクには、本日の売上報告書が投げ捨てられていた。そこに記された数字は、完全なる『ゼロ』。
銅貨一枚のキャベツという出血大サービス(ダンピング)を仕掛けたにもかかわらず、昼間の『同業者による超辛口アラ探し』のせいで、客はただの一人も寄り付かなかったのだ。
『ザルド君。君のポポロ村での失態について、明日の朝イチの役員会議で説明してもらうよ。……最悪の場合、左遷か懲戒免職だ。分かっているね?』
先ほど、本部の社長から直接入った魔法通信の声が、ザルドの脳内で呪いのようにリフレインしている。
「ふざけるな……。この私が、エリート街道をひた走ってきた私が、あんなウサギやハゲ頭のおっさんがレジを打つような店に敗北して、人生を終えるだと……!? 断じて認めん!」
ザルドの目は、もはや完全に血走り、狂気を帯びていた。
彼はデスクの引き出しから、禍々しいオーラを放つ『魔法の杖』をひったくるように掴み取った。裏社会の闇商人から護身用として買い取った、一撃で家屋を吹き飛ばすほどの『爆炎魔法』が込められた違法魔導具である。
「実力行使だ……。奴らの店が閉まり、無防備に眠りこけているこの深夜。単身で乗り込み、店長に無理やり権利譲渡書にサインさせる。そして、あの忌まわしいスーパーをこの杖で丸焼きにして、強盗の仕業に偽装してやる……ッ!」
もはやコンプライアンスも企業モラルもへったくれもない、ただの『放火未遂犯』へと成り下がったエリート専務。
彼は漆黒のスーツを闇夜に紛れさせながら、プレハブを出て、向かいのスーパー折原へと忍び寄っていった。
*
「……フッ。田舎の個人店め。防犯設備など皆無ではないか」
ザルドは、スーパー折原の店舗裏手、屋上へと続く非常階段を音もなく上っていた。
シャッターは固く閉ざされているが、この非常階段から屋上を経由すれば、簡単に店舗の中へ侵入できる。
(特売日で死ぬほど働かされた後だ。奴らは今頃、バックヤードの床で泥のように眠っているはず。寝込みを襲い、あの生意気な店長の首元に杖を突きつければ、交渉は一瞬で終わる)
ザルドは、ニヤリと残忍な笑みを浮かべ、屋上への重い鉄扉に手をかけた。
――だが。
「ガッハッハ! おいプロデューサー! もっと飲め飲めェッ! 今日はウチの完全勝利だったからなァッ!」
「うひゃひゃひゃっ! あたし、もう飲めないわよぉ〜! 村長の権限で、今日は無礼講よーっ!」
鉄扉の向こうから、何やら凄まじい『馬鹿騒ぎ』の声が聞こえてきた。
「……は?」
ザルドは眉をひそめ、そっと鉄扉を押し開けた。
そこ(スーパー折原の屋上)に広がっていたのは、寝込みを襲うどころか、ザルドの常識を完全に破壊する『極限のカオス空間』であった。
屋上の中央にはドラム缶を半分に切った即席のコンロが置かれ、竜人イグニスが口から微弱な炎を吐き出しながら、巨大な肉塊をジュージューと豪快に焼き上げている。
「オラァッ! 巨大チェーンの嫌がらせに打ち勝った記念の、特大ロック鳥バーベキューだぜェッ!」
その横では、ピンクの芋ジャージを着た女神ルチアナと、緑色エプロンの魔王ラスティアが、ビール瓶(のような異世界の酒)を片手に、完全に出来上がった赤い顔で肩を組んでいた。
「あーっはっは! ざまぁみさいチェーン店! 私たちの特売日の熱気に勝てるわけないのよ! あーあ、この勢いで私の七億金貨の借金もチャラにならないかしら〜!」
「バカ言ってんじゃないわよ駄女神! アンタは死ぬまでレジ打ちよ! ほら、酒が空いたわ! もっと注ぎなさい!」
「ひぃぃッ! 魔王のパワハラですぅぅッ!」
さらに、未成年組のリーザとルルナは、酒の代わりに特製の果汁ジュースで乾杯し、夜空の下でケラケラと笑い合っている。
「えへへ、地球の神様、今日も大勝利をありがとうございますぅ〜!」
「やっぱりプロデューサーさんの作戦は完璧ですの! あのスーツのおじさん、涙目で逃げていきましたわね!」
そして。
その狂乱の宴の中心、木箱の上に腰掛け、首にネクタイ(どこから持ってきたのか不明)を巻いて、ジョッキを片手に完全に目が座っている男がいた。
スーパー折原の店長、折原晴也である。
「うぇ〜い……。お前ら、今日はよくやったぞぉ……。特にオリンのおっさんのレジ打ち、最高だったなぁ……。明日もあのハゲ、タダ働きに来ねぇかなぁ……ひっく」
(な、なんなのだこの空間は……ッ!?)
鉄扉の陰から覗き見していたザルドは、あまりの光景に戦慄した。
特売日という地獄の労働を終えた後だというのに、彼らは疲労で倒れるどころか、深夜の屋上で『月一恒例の限界労働者による慰労会』を盛大に開催していたのである。
「ええい、こうなったらヤケだ! 酔っ払いどもめ、まとめて火の海にしてくれるわッ!」
ザルドは、覚悟を決めてバンッ! と鉄扉を蹴り開け、屋上のど真ん中へと躍り出た。
そして、手にした『爆炎魔法の杖』を、ど真ん中で酔っ払っているハルヤの眉間へとピタリと突きつけた。
「動くなァッ!! この店は今から、我がメガ・マーチャント商会が接収する! 命が惜しくば、大人しくこの権利譲渡書に――」
ザルドが、悪役として完璧な脅し文句を叫んだ。
……しかし。
「「「…………」」」
屋上のバケモノ(従業員)たちは、ザルドの登場に怯えるどころか、ジョッキや肉の串を持ったまま、「なんだこいつ」というジト目を向けて静まり返った。
「……あ?」
首にネクタイを巻いたハルヤが、トロンとした泥酔の目でザルドを見上げた。
「なんだ、お前……。メガ商会の、エリート専務さんじゃねぇか。こんな夜更けに……ウチの慰労会(打ち上げ)に混ざりに来たのかぁ……?」
「なっ……!? 混ざりに来ただと!? ふざけるな、私は貴様らを破滅させに――」
「まあまあ、エリートさん。そんな堅い顔すんなよぉ」
ハルヤは、突きつけられた致死の爆炎魔法の杖を、まるでハエでも払うようにパシッと手で退けた。
「ヒィッ!?」
ザルドが思わず声を引きつらせる。
「昼間はいろいろあったけどよぉ……。同じ小売業で戦う同志じゃねぇか。ほら、そんな物騒な棒切れしまって、こっち座れって。今、イグニスがいい感じに肉焼いてるからよぉ」
ハルヤが、完全に絡み酒のオヤジのトーンで、ザルドの漆黒のスーツの袖をグイッと引っ張った。
「さ、触るな下賤の者がッ! 貴様、私が持っているこれが何か分かっているのか!? 一撃でこの店を灰にする『爆炎の杖』だぞ!!」
ザルドが半狂乱になって杖を振り回す。
すると、肉を焼いていたイグニスが、チラリとザルドを見た。
「あ? 爆炎? なんだエリートのおっさん、コンロの火力が足りねぇから手伝ってくれんのか? いいから早く火ィ出せよ。俺様もそろそろブレス吐くの疲れてきたところだぜ」
「ち、違う! 私は貴様らを――」
「うるさいわねぇ、さっきから」
今度は、ジョッキを持ったラスティアが不機嫌そうにザルドを睨みつけた。
「アンタ、空気が読めない男ね。魔王である私がせっかく気持ちよく酔っ払ってるのに、チンケな杖の魔力ごときでイキってんじゃないわよ。……そんなオモチャ、一瞬で凍りつかせて粉砕してやろうか?」
ラスティアの赤い瞳が、ほんの一瞬だけ『ガチの殺意』を伴って光った。
「ヒッ……!!」
ザルドの全身から、一瞬にして冷や汗が噴き出した。
彼のエリート脳が、ようやく『絶対に逆らってはいけない生物学的な格差』を理解したのだ。
強盗用の杖など、竜人や魔王の前では、文字通り『子供のオモチャ』以下の存在でしかないという事実を。
「ま、まあまあラスティア、怒んなって。お客様だぞぉ」
ハルヤがヘラヘラと笑いながら仲裁に入り、木箱を叩いてザルドに座るよう促した。
「ほら、エリートさんも立ちっぱなしじゃ疲れるだろ。座れ座れ。……そうだ、ちょうどいい。宴も終盤だし、そろそろ『シメ』が欲しかったところなんだよな」
ハルヤは、完全にラリった瞳で、テーブルの上の空になった酒瓶をどかした。
「ルルナァ、お前のガチャのポイント、まだ残ってるかぁ?」
「はいぃ! 特売日でいっぱいお客様を笑顔にしたので、たっぷり貯まってますぅ!」
ルルナが、麦わら帽子を傾けながら元気よく答える。
「よし。じゃあ、地球の神聖なる夜食……『ワンカップラーメン(醤油味)』を錬成してくれ。人数分と……エリートさんの分もな」
「了解ですぅ! ガチャポンッ!」
光と共に、テーブルの上にプラスチック容器に入った地球のジャンクフード『ワンカップラーメン』が八個、ズラリと並んだ。
「おっ! 久しぶりのジャンクフードだぜェッ!」
「塩分! 飲んだ後の塩分と炭水化物は最高ですのーッ!」
従業員たちが歓声を上げる。
ザルドは、目の前に置かれた見慣れない容器を見て、ワナワナと震えながら木箱に座り込んでいた。
「な、何を企んでいる……。私を毒殺する気か……!」
「バカ言うなよ。世界で一番美味いシメのラーメンだよ。……ただ、ちょっと問題があってな」
ハルヤは、空になったヤカンを振りながら、舌打ちをした。
「……ヤベェ。お湯を沸かすための『水』が、さっきのチェイサーで一滴も残ってねぇぞ」
「ええっ!? ラーメン食べられないんですの!?」
「キャルル、水魔法で出せないか!?」
「アタシ土属性だから無理よ! ラスティアは!?」
「私が出せるのは氷(絶対零度)だけよ! 麺が凍るわ!」
絶望に包まれる限界労働者たち。
だが、完全にアルコールで脳のタガが外れた店長・折原晴也は、悪魔的な解決策を思いついてしまった。
「……なぁに、心配すんな」
ハルヤは、足元に転がっていた一本の巨大なガラス瓶を拾い上げた。
それは、ポポロ村の酒場でも『ドワーフしか飲まない』と恐れられている、強烈な揮発性とアルコール度数40を誇る危険な芋酒――『イモッカ』の原酒であった。
「水がないなら……酒でラーメンを作ればいいじゃないか」
「「「!!??」」」
従業員たちの(そしてザルドの)顔が、驚愕で引きつった。
「度数40の酒を、ヤカンで沸騰させてラーメンに注ぐ……。アルコールとジャンクな塩分が融合した、究極の背徳メシ(最凶兵器)の完成だァァッ!」
泥酔した店長の、狂気に満ちた叫び声が屋上に響き渡る。
メガ・マーチャント商会の冷酷エリート・ザルド。
彼を待ち受けていたのは、権利書を奪うどころか、地球と異世界の悪魔的フュージョンが生み出した【イモッカップラーメン(度数40)】という名の、完全なる『理性破壊の罠』であった。
読んでいただきありがとうございます。
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