EP 10
新しい常連客と、忍び寄る巨大チェーンの影
天界の絶対神・主神オリンによる『抜き打ち監査』の騒動から、数日が経過した。
スーパー折原は、相変わらずのドタバタな日常を取り戻していた。
午後一時。昼休みのピークが過ぎ、夕方の買い出しラッシュが始まる前の、少しだけゆったりとした時間が流れる時間帯。
俺――折原晴也は、バックヤードの厨房で、スーパー折原名物である『特製ビーフコロッケ』の仕込みに取り掛かっていた。
ジュワァァァァッ……!
高温の油の中で、太陽芋とロックバイソンの挽肉が詰まった小判型の衣が、美しいキツネ色へと変わっていく。換気扇を通して、香ばしいソースと揚げ物の匂いが店舗の裏口周辺に漂い始める。
「ふぅ……。今日もいい色に揚がったな」
俺がトングでコロッケを油切りバットに引き上げ、額の汗を拭った、その時だった。
「――やあ、店長君。良い匂いをさせているな。ちょうどコロッケが揚がる時間だと思ってね」
「……ん?」
厨房の裏口、従業員専用の勝手口から、ひどく聞き覚えのある、重厚で威厳に満ちた(しかしどこかウキウキとした)声が聞こえてきた。
俺が振り返ると、そこには信じられない人物が立っていた。
眩しいほどに磨き上げられたスキンヘッド。
仕立ての良い純白の高級スーツのジャケットを脱ぎ捨て、ワイシャツの袖を腕まくりした男。
そして何より、その上からスーパー折原の指定ユニフォームである『緑色のエプロン』を完璧な結び目で装着し、真っ黒なサングラスをかけた、そのスジのヤバいおっさん。
数日前に「特Sランク(完全合格)」の監査結果を言い渡し、天界へと帰っていったはずの、天界のトップ・主神オリンであった。
「……お前」
俺は、トングを持ったまま、呆れたような、全てを悟ったようなジト目を向けた。
「天界の主神様が、なんでマイ・エプロンを持参してウチの勝手口に立ってんだよ。天界の仕事(決裁書類)はどうした」
「こほんっ」
オリンは一つ咳払いをし、サングラスの位置をクイッと直した。
「誤解しないでくれたまえ。私は天界の業務をサボってきたわけではない。昨夜のうちに、向こう三日分の書類に全て『神速のハンコ』を叩き込み、完璧なスケジュール管理のもと、正当な『有給休暇』を取得して下界へ降りてきたのだ」
「……で、有給を使ってわざわざスーパーの裏口にコロッケの匂いを嗅ぎに来たってか?」
「それもあるが……」
オリンは、両手の指をワキワキと動かしながら、少しだけ頬を赤らめた。
「どうにも、手が疼いてな。天界の静かな執務室でハンコを押していても、あの日の『ピッ、ピッ』というスキャナーの小気味良い電子音と、お客様から直接いただいた『五円玉の温もり』が忘れられんのだ。……あの労働の達成感に比べれば、神の業務などただの虚無に等しい!」
オリンは、俺に向かって深々と頭を下げた。
「頼む、店長君! 報酬はこのコロッケ一個(と麦茶)で構わん! 私を、私をもう一度、あのレジという名の『聖域』に立たせてはくれないだろうかッ!」
世界の頂点に立つ絶対神が、コロッケ一個の現物支給で「レジ打ちのパートをさせてくれ」と懇願してくる。
この世界で、こんな狂った光景を見ているのは間違いなく俺一人だろう。
「……はぁ」
俺は、深いため息をつき、新しい紙皿に揚げたてのコロッケを二つ乗せ、濃厚なウスターソースをたっぷりと掛けた。
「あんたみたいな超絶有能なレジ打ち要員がタダ働きしてくれるっていうなら、こっちとしては断る理由がねぇよ。……ほら、食ったら手を洗って、三番レジに入れ。夕方のピークが来るぞ」
「おおっ! 感謝するぞ、店長君! いただきますッ!」
オリンは満面の笑みでコロッケを受け取り、ハフハフと幸せそうに頬張り始めた。
数分後。
スーパー折原の店内には、再びあの『伝説の光景』が繰り広げられていた。
「いらっしゃいませェェッ! お客様、その太陽芋は本日の特売品! 素晴らしいお目が高い! スキャン(承認)! お次はロック鳥のモモ肉、鮮度抜群なりッ! スキャン(承認)!」
ピピピピピピピピッ!!
緑色のエプロンをなびかせ、狂ったようなテンションでバーコードリーダーを振るうハゲ頭のおっさん(主神)。
「ああっ、おじさん! 今日もレジ早いのねぇ! 助かるわぁ!」
「フハハハッ! 恐悦至極! お客様の笑顔こそが、我が至高の神酒なりッ! さあ次のお客様、カゴをこちらへ!」
オリンは完全に店舗の空気に溶け込み、むしろ誰よりも活き活きと『労働の喜び』を謳歌していた。
だが、その狂乱のレジ打ちの隣(二番レジ)で、この世の終わりみたいな顔をしている者が約一名。
「うぅ……ぐすっ……。なんで……なんで主神様が、私の隣のレジで完璧な接客をしてるのよぉ……」
ピンクの芋ジャージ姿の女神、ルチアナである。
七億金貨の借金を返すため、一千年の労働を義務付けられた彼女は、本来なら適当にサボりながらレジを打つのが日課だった。
しかし、天界の絶対的なトップ(直属の超怖い上司)が、真横で『超絶クオリティの神速レジ打ち』を披露しているのである。サボる隙など一ミリたりとも存在しない。
「ルチアナ君! そちらの列、少しお客様の滞留が起きているぞ! もっとスキャンの速度を上げ、カゴへの移し替えを最適化するのだ! 労働の喜びを噛み締めよ!」
「ひぃぃっ! はいぃぃぃッ!! スキャン(承認)! スキャン(承認)ですぅぅッ!」
ルチアナは涙目でスキャナーを振り回し、かつてないほどの真面目さで労働を強制されていた。
「ガッハッハ! オリンのおっさん、すっかりウチの店の顔になりつつあるな!」
品出しをしながら、竜人イグニスが腹を抱えて笑う。
「おじ様、とってもピカピカで素敵ですの! これで私のチェキも売ってくれたら最高ですのに!」
強欲アイドルのリーザが、ステージの上から手を振っている。
「……やれやれ。また一人、面倒な従業員(常連客)が増えちまったな」
俺は、レジの奥からその騒がしくも平和な光景を眺めながら、思わず苦笑をこぼした。
借金まみれの女神。
魔王と竜人。
月兎族の村長と、強欲な人魚姫。
そして、パートタイムでレジを打つ天界の主神。
俺の『スーパー折原』は、このアナスタシア世界において、いよいよもって『最も規格外で、最も平和な場所』へと進化しつつあった。
このまま、特売日を乗り越え、コロッケを揚げ、少しずつ店の借金と家賃を返していく。そんなささやかで騒がしい日常が、永遠に続いていくのだと、俺は信じて疑わなかった。
――だが。
資本主義という名のバケモノは、平和な個人店をいつまでも放ってはおかない。
スーパー折原の異常な売上と繁盛は、すでに『ある存在』の冷酷な瞳に捕捉されていたのである。
*
場面は変わり、ポポロ村から遠く離れた、大陸最大の商業都市『グラン・バザール』。
その中心にそびえ立つ、黒曜石とガラスで設えられた巨大な高層建築物――アナスタシア世界の物流と小売を牛耳る超巨大チェーン企業、『メガ・マーチャント商会』の本部タワーである。
最上階の、冷たい魔力照明に照らされた重役室。
最高級の革張りの椅子に深く腰掛け、片手にワイングラスを揺らしている男がいた。
銀色の髪をオールバックに撫でつけ、仕立ての良い漆黒のスーツを着こなした、氷のように冷たい美貌の男。
メガ・マーチャント商会の冷酷無比なる専務取締役、ザルドである。
「……専務。先月の、第7エリア(ポポロ村周辺)の売上データが上がってまいりました」
スーツ姿のゴブリンの秘書が、怯えた様子で一枚の『魔導データクリスタル』をザルドのデスクに恭しく置いた。
ザルドはワイングラスを置き、クリスタルに微弱な魔力を流し込んだ。
空中に、青白い光で構成されたグラフや数字が投影される。
「……ほう」
ザルドの細い目が、冷たく光った。
「我が商会が展開するポポロ村周辺の支店、および提携先の商店ギルドの売上が……前月比で『八十パーセント減』だと? これは一体どういうことだ。飢饉でも起きたか?」
「い、いえ……。それが、ポポロ村の辺境に、数ヶ月前にオープンした『たった一件の個人商店』が、周辺の顧客を根こそぎ奪っているという報告が……」
ゴブリンの秘書が、震える声で報告書を読み上げる。
「個人商店? 冗談を言うな。我がメガ・マーチャント商会の圧倒的な資本力と品揃え、そして独自の仕入れルートに対抗できる個人店など、この世界に存在するはずがない」
「し、しかし! データによれば、その店は『ロック鳥の肉』を半額で売り捌き、『マグローザの大トロ』を日常的に仕入れ、さらには『顔面パイ』などという未知の魔法アイテム(?)で莫大な利益を上げていると……! しかも、店舗の警備と品出しには『竜人と魔王』を使い、レジには『天界の神』が立っているという、意味不明な噂まで飛び交っておりまして……!」
「……馬鹿馬鹿しい」
ザルドは、投影されたデータクリスタルを、指先でパチンと弾き消した。
「竜人だの魔王だの神だの……。田舎の個人店が、客を惹きつけるために流した『誇大広告』に過ぎん。ファンタジー世界の迷信を利用した、古典的な客引きの手口だ」
ザルドは立ち上がり、ガラス張りの窓から、眼下に広がる巨大な商業都市の夜景を見下ろした。
「だが、事実として、我々の『シェア』が奪われている。これは見過ごせない問題だ」
ザルドの口元に、極めて冷酷で、資本主義の権化のような残忍な笑みが浮かんだ。
「ビジネスにおいて、最も美しいのは『完全なる独占』だ。我々の市場を荒らすイレギュラーな個人店など、この世界には不要。……潰すぞ」
「は、はいっ! すぐに近隣の支店長に圧力をかけ、価格競争で――」
「生ぬるい」
ザルドは、ワイングラスの残りを一気に飲み干し、ガラスのグラスを床に叩きつけて粉々に粉砕した。
「そんな悠長なことはせん。私が直々に指揮を執り、あの『スーパー折原』とかいう個人店に、我がメガ・マーチャント商会の『圧倒的な資本力』を見せつけてやる。仕入れルートの完全封鎖、問屋への圧力、そして……最終的には『敵対的買収』だ」
ザルドの瞳の奥で、氷のような冷たい炎が燃え上がった。
「個人店の店長ごときが、商売を語るな。小売業の真の恐怖(チェーン店の暴力)を、その身に刻み込んでやる」
ポポロ村のスーパー折原で、コロッケとレジ打ちに沸き立つ限界労働者たちのささやかな日常。
彼らの笑顔の裏側で、アナスタシア世界最大の『巨大チェーン企業』という名の黒い影が、音もなく、そして確実に、その鋭い牙を剥こうとしていた。
神や魔王といったステータス上の暴力ではなく。
金と権力とシステムで個人店を物理的に圧殺しにくる『現代の企業戦争』。
スーパー折原の真の戦いは、これからが本番であった。
読んでいただきありがとうございます。
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