EP 7
地獄のタイムセールと、神のレジ打ち
「……き、貴様、正気か!? この私に、この薄汚れた緑色の布を着ろと言うのか!」
スーパー折原のバックヤード。
怒号のようなタイムセールの喧噪が扉の向こうから聞こえてくる中、主神オリンは純白の高級スーツの上にスーパーの指定エプロンを押し付けられ、ピカピカのスキンヘッドを赤くして激怒していた。
「薄汚れたとはなんだ。毎日ラスティアの闇魔法で完璧に殺菌洗浄されている清潔なユニフォームだぞ」
俺――折原晴也は、オリンの背後に回り込み、エプロンの紐をギリッとキツめに結び上げた。
「ぐえっ!? 首が……首が締まる……!」
「いいかSV。本部の人間が偉そうに『現場の改善点』とやらを語るなら、まずは自分自身が現場の『真の地獄』を肌で感じてみろ。クーラーの効いた本部で数字だけを見てるお偉いさんには、今の売り場のヤバさは絶対に理解できないからな」
俺は、オリンの肩をバンッと叩いた。
「それに、あんたはさっき俺の奢りでコロッケを食って、胃薬まで飲んだんだ。その分の『労働』は、きっちりレジ打ちで返してもらうぞ」
「な、なんという横暴だ……! 天界のトップたるこの私が、なぜ下界の小売業でレジ打ちなどという雑用を……ッ!」
「文句があるなら、コロッケと胃薬の代金(金貨百枚)を今すぐ払え。払えないなら働け」
「……ぐぬぬぬぬッ!」
理不尽極まりない(そして強引な)俺の論法に、オリンは反論できずワナワナと震える。
その光景を横で見ていた女神ルチアナは、ポテトチップスを口に運んだまま、完全に石化していた。
(しゅ、主神様が……全知全能の主神様が、店長にエプロンを着せられて、完全に『新人パートのおっさん』にされてる……! この店長、本当に命知らずにも程があるわ……!)
「よし、準備完了だ! いくぞSV、戦場へ!」
俺はオリンの背中を力強く押し、バックヤードの扉を蹴り開けた。
――ゴォォォォォォォッッ!!
扉を開けた瞬間、まるで熱波のような凄まじい喧騒と活気が、俺たちの全身に叩きつけられた。
「キャベツ半額ゥゥッ! 早くよこしなさいよ!」
「ちょっとアンタ、私のカートにぶつからないでよ!」
「ママー、お菓子買ってー!」
ポポロ村の近隣から馬車を連ねてやってきた『遠征組』の主婦たちによって、店内は完全に足の踏み場もないほどのパニック状態に陥っていた。
特売のワゴンはハイエナに襲われた後のように荒らされ、レジにはそれぞれ三十人以上の長蛇の列ができている。
「て、店長ォォッ! もう限界よ! 手首が腱鞘炎になりそう!」
「店長さん、小銭の補充をお願いしますぅぅっ!」
レジ打ちを担当しているキャルルとルルナが、涙目で悲鳴を上げている。
「ひぃぃっ……! な、なんだこの暴徒の群れは! 魔王軍の侵攻か!?」
オリンが、そのすさまじい光景に怯み、思わず後ずさる。
「馬鹿野郎、これこそが小売業の華、『タイムセール』だ! 客の熱気と欲望が渦巻く、資本主義の最前線だよ!」
俺はオリンの襟首を掴み、空いている三番レジへと強引に引きずっていった。
「いいか、よく聞け! やることは簡単だ。お客様がカゴに入れてきた商品の『魔導バーコード』を、このスキャナーで読み取る。そして、読み取った商品を別のカゴに綺麗に移し替える。ただそれだけの単純作業だ!」
俺は、魔導バーコードリーダー(ルルナのガチャ産)をオリンの手に握らせた。
「そ、そんな単純作業、私にできるわけが……いや、そもそも神である私がやるようなことではない!」
「あ? 本部のSVのくせにレジ打ち一つできないのか? 口先ばかりで、いざ現場に立ったら使い物にならない役立たずのスーツ組ってわけか。ふん、期待した俺が馬鹿だったな」
俺がわざとらしくため息をつき、極めて冷ややかな視線を向ける。
「……ッ!!」
オリンのピカピカの頭頂部に、再び青筋が浮かんだ。
「ば、馬鹿にするなァァッ! 私は天界を統べる主神だぞ! このような下界の単純作業など、目をつぶっていても完璧にこなして見せるわ!」
オリンの無駄に高いプライド(とSVとしての意地)が、俺の安い挑発に見事に引っかかった。
「言ったな! なら見せてもらおうか、あんたの『完璧なオペレーション』とやらを!」
「ふんっ! 見ておれ!」
オリンが三番レジのカウンターに立った瞬間、待ち構えていたかのように、山盛りのカゴを持ったおばちゃんがドンッ! と商品を突き出してきた。
「ちょっとアンタ、見ない顔ねぇ。新人さん? 急いでるんだから、早くお会計してちょうだい!」
「ひっ!? は、はいっ!」
オリンは、おばちゃんのすさまじい威圧感に気圧されながら、震える手で大根を掴み、バーコードリーダーを当てた。
……ピピッ。
「おおっ、読み取れたぞ! 次は……この肉のパックだな」
……ピピッ。
「よし、順調だ……だが、このカゴへの移し替えが難しいな。大根の上に卵を乗せたら割れてしまうではないか……ああっ、手が滑って……」
オリンは、慣れない手つきでオロオロと商品を処理していく。
だが、そのスピードは絶望的に遅かった。
「ちょっとおじさん! 手際が悪いわよ! 隣のウサギの女の子のレジの方が倍くらい速いじゃないの!」
「うしろ、すごい並んでるんですけどー!」
客からの容赦ないプレッシャー(クレーム)が、オリンのメンタルをゴリゴリと削っていく。
(い、いかん……! 頭では分かっているのに、手が追いつかない……! お客様の視線が……怒号が……私の心をプレッシャーで押し潰そうとしてくる……ッ!)
オリンの背中に、嫌な汗が滝のように流れ落ちる。
神威を放って黙らせることもできない。ここは『レジ』という聖域であり、客と店員という絶対的なヒエラルキーの中では、天界の神といえどもただの『手際の悪いおっさん』でしかないのだ。
(これが……これが『現場』だというのか……ッ! クーラーの効いた天界の執務室とは次元が違う! 生身の人間の欲望と焦燥が、直接私に叩きつけられてくる……ッ!)
オリンの処理速度がさらに落ち、レジの列から「チッ」と舌打ちが聞こえた、その瞬間だった。
「……待てよ?」
オリンの脳裏に、ふと、ある閃きが舞い降りた。
(右から流れてくる『未処理の物体』を視認し、手元の『道具』で情報を処理し、左の『完了済みスペース』へと正確に移動させる……)
オリンは、両手の中にある大根とバーコードリーダーを見つめた。
(……この一連の動作。私が天界で何万年もやり続けている『決裁書類のハンコ押し』と、全く同じ構造ではないか!)
ドクンッ……!
オリンの心臓が、大きく脈打った。
天界の主神。それは、アナスタシア世界中の何億という人間や神々から送られてくる「祈り」「クレーム」「予算申請」といった莫大な情報を、たった一人で捌き続ける『究極の事務処理能力者』である。
一日に数十万枚もの書類に目を通し、瞬時に承認か却下かを判断し、狂いのない精度でハンコを叩きつけ続ける。その繰り返しの歴史こそが、オリンという神のアイデンティティなのだ。
「……商品のバーコードは『書類』。リーダーの光は『決裁のハンコ』。そしてカゴへの移し替えは『書類の仕分け』……!」
オリンのサングラスの奥の瞳が、カッ! と黄金色に輝いた。
「——なんだ。私はすでに、この作業の『極致』ではないか」
その瞬間。
主神オリンのプレッシャーは完全に消え去り、彼の肉体は『神の事務処理モード』へと完全に移行した。
「……スキャン(承認)!」
ピッ!
オリンの右手が残像を残して動き、カゴの中の牛乳パックのバーコードを正確に読み取った。
「スキャン(承認)! スキャン(承認)!」
ピッ! ピッ!
早い。先ほどまでのモタモタした動きが嘘のように、オリンの両手は機械のような精密さとスピードで商品を処理していく。
「おおっ!? な、なんだいこのおっさん、急に動きが……!」
文句を言っていたおばちゃんが、目を丸くして驚愕する。
「甘い! 甘すぎるぞ下界の民よ! 卵のような割れ物は後回し! 重い野菜とペットボトルで強固な基礎(土台)を構築し、その上に肉や惣菜のパックを隙間なくテトリスのごとく敷き詰める! これぞ天界式・完璧なる書類整理術の応用なりッ!」
ピッ! ピピッ! ピピピピッ!!
オリンの手元から、凄まじい速度で電子音が鳴り響く。
彼がスキャンした商品は、空中で見事な放物線を描き、移し替え用のカゴの中へと、ミリ単位の狂いもなく美しく収まっていく。
「な、なんてスピードだ……!」
隣のレジで打っていたキャルルが、思わず手を止めて見入ってしまう。
「嘘でしょ……主神様が、あんな神速のレジ打ちを……!?」
バックヤードからこっそり覗いていたルチアナも、その光景に顎を外さんばかりに驚いている。
俺も、腕を組んでその様子を眺めながら、思わず戦慄を覚えていた。
(すげぇ……。熟練のパートのおばちゃんすら凌駕する、神がかり的な手際だ。しかも、商品の扱いが信じられないほど丁寧で、カゴへのパッキングが芸術の領域に達している……!)
「次! 次のお客様、早く商品を出し給え! 我が神速の裁き(スキャン)を受けよォォッ!」
オリンは、完全にトランス状態に陥っていた。
天界の静かで孤独な執務室での作業とは違う。自分の処理速度が、目の前の客の列をドンドン消化していく快感。そして、処理するたびにチャリンチャリンと金(売上)が積み上がっていく、という分かりやすい成果。
それは、数万年間、誰からも直接感謝されることなく裏方に徹してきた天界のトップが、初めて味わう『労働のダイナミズム』であった。
「はははははっ! 素晴らしい! スキャン! 承認! 全て通してやるわァァッ!」
ピピピピピピピピピッ!!!!
神の事務処理能力がレジ打ちという作業で奇跡の覚醒を果たし、三番レジの行列は、まるでモーセの十戒のように凄まじい速度で割れて(消化されて)いった。
緑色のエプロンをなびかせながら、狂ったようにバーコードリーダーを振るうハゲ頭のSV。
その光景は、スーパー折原の伝説として、ポポロ村の主婦たちの間で長く語り継がれることとなるのである。
読んでいただきありがとうございます。
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