EP 5
地球の神聖なる粉(胃薬)と、神の胃袋に吹く清涼な風
「ぐ、うぅぅ……私の、数万年酷使された胃壁が……ルチアナ君の七億のリボ払いで……完全に、崩壊する……」
スーパー折原の特設ステージ前。コンクリートの地面に突っ伏したまま、純白の高級スーツを着たハゲ頭の男――天界のトップである主神オリンは、虫の息で呻いていた。
「おい、しっかりしろSV! 本部の人間が現場の入り口でぶっ倒れるなんて、どんなブラック企業の告発動画だ! 営業妨害にも程があるぞ!」
俺――折原晴也は、オリンの肩を乱暴に揺さぶりながら舌打ちをした。
「て、店長さん! このおじ様、顔が真っ青ですの! やっぱり私のチェキが金貨十枚なのがショックだったんですのね……わ、分かりましたの、今回だけ特別に金貨五枚にまけてあげますの!」
「お前は引っ込んでろ! 原因の半分はお前の法外な押し売りだろうが!」
俺は未だにSSRチェキを握りしめているリーザを怒鳴りつけ、レジから駆けつけてきた教会の神官、ルルナに向き直った。
「ルルナ、急げ! お前の善行ポイントで、地球の『胃腸薬』を出すんだ! キャベツ由来の成分が入ってる、あの緑と白のパッケージの粉末だ!」
「はいっ! 地球の神様、どうかこの可哀想なストレス過多のおじ様に、慈悲の特効薬をお与えください!」
ルルナが両手を組み、空に向かって真剣な祈りを捧げる。
ポンッ! という軽快な音と共に、俺の手の中に小さな小包が錬成された。
緑と白の爽やかなデザイン。封を切ると、独特の生薬とキャベツの混ざったような、スーッとする香りが漂ってくる。間違いない。俺が社畜時代、深夜のデスクで何度となく水なしで飲み下した、あの『最強の胃腸薬』である。
「ほら、口を開けろSV! 水で一気に流し込むんだ!」
俺はオリンの頭を抱え起こし、紙コップに入れた水と一緒に、その『神聖なる粉』を強引に彼の口の中へと放り込んだ。
「ごふっ!? げほっ、ごほっ! な、なにを飲ませたのだ……ッ! 独特の匂いが鼻に抜ける……毒か!?」
オリンがむせ返りながら、涙目で俺を睨みつける。
「ば、馬鹿め……! 私は天界のトップ、主神であるぞ! 私の慢性神経性胃炎は、数万年にわたる神々の不始末と、決裁書類の山によって刻み込まれた『魂の傷』! 天界の最高位回復魔法や、神酒をもってしても、ただの一度も痛みが引いたことはないのだ! そんな下界の、よくわからない粉末で治るわけが——」
そこまで叫んだオリンの言葉が、ピタリと止まった。
「——んんっ!?」
オリンのピカピカのスキンヘッドが、ビクッと跳ね上がった。
彼の胃袋の中で、信じられない現象が起きていた。
荒れ果て、焼け焦げるように痛んでいた胃粘膜の表面を、清涼な風が優しく吹き抜けていく感覚。キャベツ由来の粘膜修復成分と、過剰な胃酸を中和する制酸剤が、神の胃袋の奥底で完璧なハーモニー(化学反応)を奏でていたのだ。
「な、なんだこれは……!? 胃が……胃の痛みが……波が引いていくようにスーッと消えていく……!」
オリンは、震える両手で自分のお腹を押さえた。
「痛くない……。あれほど私を苦しめていた、鉛を飲んだような重みも、キリキリとした痛みも……完全に消え去っている! むしろ、胃の腑の底から、清らかな泉が湧き出しているかのような爽快感すらあるぞ!」
オリンは、コンクリートの地面からガバッと立ち上がった。
「き、奇跡だ……! これぞ真の奇跡! 天界の魔法すら凌駕する、圧倒的な治癒力! 店長君、貴様が飲ませたあの粉は、一体何なのだ!? どこの神話の秘薬だ!?」
オリンが、俺の両肩を掴んでブンブンと揺さぶる。
「秘薬でも魔法でもない。ただの市販薬だ。地球の製薬会社が、ストレス社会で戦う労働者(社畜)たちの胃袋を守るために、長年の研究と企業努力で作り上げた『科学の結晶』だよ」
俺は、空になった薬の包み紙をゴミ箱に捨てながら、フッと鼻で笑った。
「天界のトップだか本部のスーパーバイザーだか知らないがな。あんたみたいに、現場の苦労も知らずに書類と数字ばっかり睨んでストレスを溜め込んでるお偉いさんには、こういう『実利』のあるもんが一番効くんだよ」
オリンは、俺の言葉に雷に打たれたように立ち尽くした。
「地球の製薬会社……労働者を守るための科学の結晶……」
オリンの目から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「なんという……なんという慈悲深き世界だ! 天界の神々は、私の胃痛など見向きもせず、次から次へとトラブルと書類の山を押し付けてくるというのに! 地球の人間たちは、見ず知らずの他人の胃壁を守るために、これほどの叡智を注ぎ込んでいるというのか……ッ!」
オリンは、はばかることなく天を仰いで号泣し始めた。
神の威厳も、本部の視察員としての冷徹さも完全に崩壊し、そこにあるのはただ一人、「長年の胃痛から解放されて泣き崩れる中年男性」の姿であった。
「おじ様、泣いてる場合じゃないですの! 胃が治ったなら、金貨五枚で私のチェキを——」
「リーザ、お前はもうあっち行ってろ!」
俺は強欲アイドルを追い払い、呆れ半分で呟いた。
「……まあ、なんでもいいが。倒れられて労災問題に発展しなくてよかったよ」
俺がそう言って店に戻ろうとした、その時だった。
――ギュルルルルルルゥゥゥッ……!!
スーパーの入り口に、雷鳴のような凄まじい音が響き渡った。
「……ひゃっ!? おじ様の胃袋から、ものすごい音がしましたの!」
リーザが驚いてウサギのように飛び退く。
オリンは、ハッとして自分のお腹を押さえ、数万年ぶりに顔を真っ赤にして照れた。
「……す、すまない。胃の痛みが完全に消え去り、胃壁が正常に働き始めた途端……強烈な『空腹』が私を襲ってきたようだ。思えば、ここ数百年、まともな固形物を食べていなかった……」
俺は、深いため息をついた。
「……本部のお偉いさんが、現場で腹を鳴らしてぶっ倒れてちゃ、示しがつかないだろう。しかも、開店早々に店の前で騒ぎを起こしてくれたしな」
「う、うむ……それは……すまなかった」
さっきまで威圧的にコンプライアンス違反を並べ立てていたオリンが、借りから来たネコのように小さくなっている。
「仕方ない。視察の邪魔をした詫びと、騒ぎを起こした迷惑料の相殺ってことで……おっさん、ちょっとバックヤードの厨房に来い」
「ちゅ、厨房……?」
「ああ。ちょうど今、俺たちの『まかない』が揚がったところだ。スーパー折原名物、特製ビーフコロッケ。……胃が治ったんなら、最高の状態で食えるだろう」
俺がニヤリと笑うと、オリンはゴクリと喉を鳴らした。
天界の絶対神を襲った最大のピンチ(胃痛)は、地球の市販薬によって見事に解決された。
そして、この後。
神の味覚は、下界のジャンクな『揚げたての惣菜』によって、完膚なきまでに破壊(魅了)されることとなるのである。
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