EP 2
天界トップの抜き打ち監査(覆面調査)と、胃痛のSV
「ぐぬぬ……! なんという野蛮な……! 下界の人間どもは、神に対する畏敬の念というものを忘れてしまったのかッ!」
特売の卵と半額のキャベツを求める主婦たちの怒濤の突撃に巻き込まれ、スーパー折原の店内奥深くへと押し流された主神オリン。
先ほどまでの神々しいオーラは完全に消え失せ、オーダーメイドの純白スーツはシワシワのヨレヨレ、肩には特売のチラシがペラリと張り付いていた。
「まさか、私が放つ神威を正面から受けて、微塵も怯まない人間がいるとは……。あの緑色のエプロンをした男(店長)、一体何者なのだ……?」
オリンは、ピカピカのスキンヘッドに浮かんだ冷や汗をハンカチで拭いながら、呆然と呟いた。
彼の長い神生において、初対面で「品出しの邪魔だ」と台車で轢かれそうになった経験など、天地開闢以来初めてのことである。
「……だが、退くわけにはいかない」
オリンは、スーツの襟を正し、鋭い眼光を取り戻した。
「ルチアナ君の莫大なリボ払い(七億)の件もある。それに、この異常な活気と、魔王や竜人を平然と使役しているこの店舗……。明らかに世界の理から外れた『異物』だ。ならば、正面から神として君臨するのではなく、人間のルールに乗っ取って『内部から不正を暴き出す』のが監査役の務め!」
オリンは懐から、下界の視察用に用意していたアイテム——『真っ黒なサングラス』を取り出し、カチャリと装着した。
「これぞ、下界の商業ギルドで密かに行われているという秘策……『覆面調査』! 店員のフリをして客に紛れ、接客態度や陳列の乱れ、コンプライアンス違反を徹底的に洗い出してやる!」
サングラスをかけ、無駄に威圧感のあるスーツ姿のハゲ頭の男。
どう見ても『そのスジのヤバい取り立て屋』にしか見えないという致命的な事実に、天界のトップは全く気づいていなかった。
オリンは、客のフリをしてカゴを持ち、店内をゆっくりと巡回し始めた。
「ほう……」
精肉コーナーでは、竜人のイグニスが、客のおばちゃんたちと談笑しながら肉のパックを並べている。
「奥さん、今日のロック鳥は脂が乗ってて最高だぜ! 俺様のブレスでサッと炙れば、旦那の酒のつまみにピッタリだ!」
「あらやだ、イグニスちゃんったら商売上手ねぇ。二パックもらっちゃおうかしら」
鮮魚コーナーでは、魔王ラスティアが、手から微弱な冷気を放ちながら陳列ケースの温度を保っていた。
「ちょっと! マグローザの切り身を素手でベタベタ触らないで! 鮮度が落ちるでしょ! 買うならさっさとカゴに入れなさい!」
「ご、ごめんなさいねぇ。ラスティアちゃん、今日も厳しいんだからぁ」
オリンは、サングラスの奥で目を丸くした。
(ば、馬鹿な……。血の気の多い竜人が、愛想よく肉を売っている? 恐怖で世界を支配するはずの魔王が、主婦の鮮度管理を叱っているだと!? 一体どんな洗脳を施せば、あの凶悪なバケモノどもが『優秀なパートタイマー』になり下がるのだ……!)
だが、オリンはすぐに首を振って監査官の顔に戻った。
「いや、騙されてはいかん。一見すると活気があるように見えるが、必ずどこかに『たるみ』があるはずだ。……ふん、見ろ。あそこの特売ワゴンの太陽芋、ゴールデンライン(一番客の手に取りやすい高さ)から商品が三ミリほどズレているではないか。これは美観を損ねる減点対象だ!」
オリンは、懐から取り出したメモ帳に、ものすごいスピードでチェックを入れていく。
そして、彼の足は、店内の一番奥……『関係者以外立入禁止』と書かれた、バックヤードの扉の前へとたどり着いた。
「フフッ。店舗の真の姿は、客から見えない裏側にこそ現れるもの。この奥に、ルチアナ君が潜んでいるはずだ……」
オリンは、周りの目を盗んで、バックヤードの扉をそっと細く開けた。
——そこには。
「あーっはっはっは!! なにこれ、この主人公ウケる〜! 異世界転生して無双するとか、設定が甘すぎるのよ! 神の私から言わせればご都合主義の塊ね!」
積み上げられたダンボールの陰。休憩用のパイプ椅子を二つ並べて即席のベッドを作り、ピンクの芋ジャージ姿でゴロゴロと寝転がっている女神の姿があった。
片手にはポポロ村の貸本屋で借りたと思われる娯楽小説(漫画)。もう片手には、ルルナのガチャで出したであろう地球の『ポテトチップス(のり塩味)』と『コーラ』が握られている。
「あ、ポテチのストック切れたわ。おーい、ラスティア〜! 休憩に入るついでに、倉庫から新しいの持ってきて〜! あとスマホの充電器も!」
ルチアナは、鼻歌を歌いながら、ダラダラと足を宙でブラブラさせていた。
「…………ッ!!」
オリンのピカピカの頭頂部に、青筋がピキピキピキッ! と音を立てて浮かび上がった。
(ル、ルチアナーーーッ!! 天界の業務を数万件も放置し、私が代行で徹夜で決裁書類にハンコを押しているというのに! 貴様は下界で、なんという堕落の極みを尽くしているのだァァッ!!)
怒りとストレスが臨界点を突破した瞬間。
キリィィィィッ……!!
「ぐっ……!? あ、ああ……ッ!」
オリンは、胃の腑を巨大な万力で締め上げられるような激痛に襲われ、その場にうずくまった。
数万年にわたり天界のトップとして組織の重圧に耐え続けてきた主神の『慢性神経性胃炎』が、ルチアナのサボり現場を目撃したことで、マッハの速度で再発したのである。
「い、痛たたたたっ……! いかん、胃薬……天使の特濃胃薬を……」
オリンが震える手でスーツのポケットを探ろうとした、その時。
「おい」
背後から、氷のように冷たく、そしてドス黒い怒気を孕んだ声が降ってきた。
「ビクッ!?」
オリンが胃を押さえながら振り返ると、そこには、腕を組んで仁王立ちになっている、緑色エプロン姿の店長——折原晴也の姿があった。
「さっきの入り口の邪魔なおっさんか。不審者みたいな真っ黒のサングラスかけて、関係者以外立入禁止のバックヤードを覗き込んで……一体何をしてるんだ?」
俺は、怪しいハゲ頭の男を、万引き犯でも見るような鋭い目で睨み下ろした。
「き、貴様は……先ほどの、台車の男……! ぐふっ……」
オリンが胃痛に顔を歪める。
「なんだ、胃が痛いのか? ていうか、その無駄に高そうなスーツと、重箱の隅をつつくような嫌らしい目つき。それに、さっきから店内をウロウロしながらメモ帳に何か書き込んでたな……」
俺は、長年の社畜経験から培われた『小売業の直感』で、目の前の男の正体を確信した。
「……さては、お前。『本部(商業ギルドか帝国)』から派遣されてきた、抜き打ちの視察員だな?」
「ほ、本部……? 視察員……?」
オリンは一瞬キョトンとしたが、すぐにサングラスの奥の目を光らせた。
「ふ、ふん。いかにも! 私は天界……いや、この店舗の運営状況を査察しにきた、『特任視察員』だ!」
オリンは、自分が天界のトップであることを隠し、あえて俺の勘違いに乗っかることにした。この方が、店長という責任者を直接尋問しやすいと判断したのだ。
——だが、オリンは知らなかった。
俺にとって『本部から来たスーパーバイザー(SV)』という存在が、魔王や勇者よりも遥かに忌まわしく、そして憎悪の対象であるということを。
「……なるほどな」
俺の表情から、一切の感情が消え失せた。代わりに、極めて冷徹で、機械的な『完璧な営業スマイル』が顔に張り付く。
「現場の忙しさも、人手不足の苦労も一切知らないで、涼しいエアコンの効いた部屋からやってきた『スーツ組』が。一番忙しい特売日の朝に、偉そうに粗探し(ダメ出し)をしに来たってわけだ」
「なっ……! スーツ組だと!? 私は正当な監査を……」
「上等だ」
俺は、バインダーをバンッ! と叩き、オリンを見下ろした。
「本部の視察だろうが何だろうが、俺の店(現場)の完璧なオペレーションを見せつけてやる。重箱の隅をつつくような理不尽なクレームには、一ミリの隙もない『マニュアル以上の対応』で完膚なきまでに論破して、二度と偉そうな口を利けないように叩き返してやるよ」
「……き、貴様! なんという傲慢な態度だ! 店舗の責任者として、視察員に対する敬意というものがないのか!」
オリンが胃痛を堪えながら立ち上がり、神の威厳(SVの威圧感)を放とうとする。
「敬意だと? 笑わせるな」
俺は、冷たく鼻で笑った。
「現場のジャマをする奴は、客だろうが本部のお偉いさんだろうが、ただの『厄介なクレーマー』に過ぎない。……かかってこい、胃弱のSV! 小売業の最前線で培った、店長の『完全論破』の恐ろしさを骨の髄まで味わわせてやる!」
天界の絶対監査役(主神)と、元・社畜のスーパー店長。
絶対に交わるはずのない二人の、店舗の粗探しと屁理屈を巡る、仁義なき『ファンタジー・コンプライアンス対決』の幕が、激しい胃痛と共に切って落とされたのである。
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