第七章 天界の絶対監査役(クレーマー)と、魅惑の揚げたてコロッケ
迷惑な光臨と、朝の品出しラッシュ
小売業の朝は、いつだって戦場である。
特に、月に一度の『大特売日』の朝となれば、その忙しさは狂気の沙汰と言っても過言ではない。
「おいイグニス! 青果コーナーの『太陽芋』の補充が遅れてるぞ! あと三十箱、バックヤードから出してこい!」
「ガッハッハ! 任せとけプロデューサー! 俺様の竜の怪力で、五段積みにして運んでやるぜェッ!」
「バカ、崩れたら全部ロスになるだろうが! 二段ずつ慎重に運べ!」
開店一時間前のスーパー折原。
俺――折原晴也は、血走った目をカッと見開き、バインダーを片手に店内を駆け回っていた。
本日はポポロ村の近隣からも客が押し寄せる特大セールの日だ。陳列の乱れは売上の機会損失に直結し、ポップの貼り忘れは顧客の購買意欲を削ぐ。一分一秒の遅れが、店長の胃壁を物理的に削り取るのだ。
「キャルル! 精肉コーナーの『ロック鳥のモモ肉』に半額シールを……いや、今日は特売だから三割引シールを貼っておいてくれ!」
「はいはい、わかってるわよ! アタシ、村長なのにすっかりスーパーのベテランパートみたいな手つきになっちゃったわね……」
ウサギの耳を揺らしながら、キャルルが目にも留まらぬ速さでシールをペタペタと貼っていく。
「ラスティア、鮮魚コーナーの氷が溶けかかってる! 氷魔法で温度を下げろ! ただし凍らせるなよ、旨味が逃げるからな!」
「チッ、魔王であるこの私をただの巨大冷蔵庫扱いするなんて……。フッ、だが悪くない。この完璧な温度管理で、マグローザの鮮度を極限まで保ってやるわ!」
緑色エプロンを締めた魔王ラスティアが、手から微弱な冷気を放ちながら陳列ケースの温度をミリ単位で調整している。
「ルルナはレジの釣り銭チェック! リーザは外の特設ステージの掃除! ……おい、ルチアナはどこに行った!? またバックヤードでサボってソシャゲのログインボーナスを受け取ってるんじゃないだろうな!?」
俺が怒鳴り声を上げると、バックヤードの扉の奥から「ひぃっ!? ちゃんとダンボール畳んでるわよ!」という情けない女神の悲鳴が聞こえてきた。
よし、これで各ポジションの準備はなんとか間に合いそうだ。
俺は額の汗をエプロンで拭い、品出し用の巨大な台車(段ボールが山積みにされている)のハンドルを握りしめた。
「あとは、入り口付近の特売ワゴンの補充だけだ。急げ、急げ……ッ!」
俺が台車を押して店舗の入り口へと向かおうとした、その瞬間だった。
――パァァァァァァァァァァッッ!!
突然、スーパー折原の店舗の入り口付近に、目を射るような強烈な『光』が降り注いだ。
ただの太陽光ではない。どこからともなく『アァァ〜〜♪』という荘厳な天使のコーラス(BGM)が響き渡り、空気が神聖なオーラによってビリビリと震え始めたのだ。
「な、なんだ!?」
「敵襲かァッ!? 偽勇者の残党か!?」
イグニスが大斧を構え、ラスティアが闇魔法の詠唱姿勢に入る。
光の柱が店舗の入り口の自動ドア(手動)のど真ん中を貫き、その中から、ゆっくりと一つの人影が浮かび上がってきた。
「……下界の矮小なる者たちよ。恐れることはない」
重厚で、あらゆる者の鼓膜に直接響き渡るような、威厳に満ちた声だった。
光が収まると、そこに立っていたのは一人の男だった。
仕立ての良い純白の高級スーツを身に纏い、背筋をピンと伸ばしている。
そして何より目を引くのは、彼の頭頂部だ。見事なまでに剃り上げられたスキンヘッドが、背後から差し込む朝日に反射して、まるで二つ目の太陽のように神々しく(あるいは眩しく)輝いていたのである。
「なっ……! まさか……!!」
バックヤードから顔を出したルチアナが、その男の姿を見た瞬間、顔面を土気色にしてその場にへたり込んだ。
「しゅ、主神、オリン様……!? なんで、天界のトップが直々に下界へ……ッ!?」
ルチアナがガタガタと震えながら呟く。
そう、彼こそがアナスタシア世界を管理する天界の絶対的トップ。最高責任者にして主神、オリンその人であった。
ルチアナの莫大なリボ払い借金(金貨7億枚)と、天界の予算を食いつぶす数々の奇行を直接『監査』するため、激しい胃痛に耐えながら自ら下界へと降臨したのである。
「フッ……。我が名は天界を統べる者、主神オリン。此度、この不可解なエネルギー(売上)を発する店舗を、私自らが査察に——」
オリンが、神の威光を最大限に放ちながら、堂々たる名乗りを上げようと両手を広げた。
その神聖な空間は、誰もがひれ伏し、畏怖の念を抱くはずの完璧な『神の降臨シーン』であった。
——だが。ここはファンタジーの神殿でも王城でもない。
開店五分前で殺気立っている、特売日のスーパーのど真ん中である。
「そこォォォッ!! どけェェェェェェェッッ!!!!」
ガラガラガラガラガラガラッッ!!!!
俺の怒声と、車輪の悲鳴のような轟音が店内に響き渡った。
「……え?」
オリンが、広げた両手のまま、間の抜けた声を漏らして横を向く。
彼の目に映ったのは、血走った目をして山積みのダンボール台車を猛スピードで押し進めてくる、緑色エプロン姿の俺(店長)の姿だった。
「ちょっ、待っ——」
「お客様の動線(入り口)で立ち止まるなァッ!! そして納品の邪魔だァァッ!!」
ドンッ!!
俺はブレーキをかけることなく、オリンのすねの辺りに台車のバンパーを容赦なく(とはいえ怪我をしない程度の絶妙な速度で)クリーンヒットさせた。
「ぐぼァッ!?」
神の威厳もへったくれもない、変なカエルが潰れたような悲鳴を上げて、天界のトップである主神オリンが横にすっ飛ばされた。
彼は純白の高級スーツをスーパーの床に擦り付けながら、無様にゴロゴロと転がっていく。
「しゅ、主神様ァァァッ!?」
ルチアナが泡を吹いて気絶しかけた。
「痛っ……! な、何をするのだ貴様! 私を誰だと……!」
オリンがすねを押さえながら、涙目で怒鳴り声を上げようとする。
だが、俺の目は完全に『特売日前のバーサーカー(社畜)モード』に入っていた。相手が神だろうが魔王だろうが、今の俺には「品出しの邪魔をする障害物」にしか見えていない。
「誰だか知らねぇがな、ここはスーパーの入り口だ! 朝の納品と品出しで一秒を争ってる時に、道のど真ん中でピカピカ光ってんじゃねぇ! 蛍光灯の反射かと思っただろうが!」
俺は、床に座り込むオリンを完全に見下ろし、バインダーの角で彼のハゲ頭を指差した。
「そ、そんな馬鹿な……。私の、私の放つ神の威圧感を前にして、下界の人間がなぜ平然と立っていられるのだ……?」
オリンは信じられないものを見る目で俺を仰ぎ見た。
無理もない。彼が放つオーラは、本来なら普通の人間であれば呼吸すら困難になるほどの『神威』である。
しかし、長年の小売業で『理不尽なクレーマーの怒鳴り声』や『本社からの理不尽なノルマ』という、精神をゴリゴリ削るプレッシャーに耐え続けてきた俺のメンタルは、生半可な神威など完全に無効化するほどに分厚く(そして黒く)コーティングされていたのだ。
「……あー、なるほど。分かったぞ」
俺は、オリンの純白のスーツと、無駄に偉そうな態度を見て、一つの合点がいった。
「お前、『本部(ルナミス帝国か商業ギルドあたり)』からの抜き打ち視察だな?」
「ほ、本部……? まあ、天界のトップという意味では本部のようなものだが……」
「やっぱりか! どこの世界にもいるんだよな、現場の忙しさも知らねぇで、一番忙しい特売日の朝っぱらからスーツ着てウロウロして、重箱の隅をつつくようなダメ出しをしてくる厄介なお偉いさんがよ!」
「なっ……! や、厄介なお偉いさんだと!? 私は天界の——」
「うるさい! 視察したいなら邪魔にならない隅っこで大人しくメモでも取ってろ! こっちはお前みたいなスーツ組の相手をしてる暇はねぇんだよ!」
俺の完全に小売業目線の怒濤の説教に、天界の主神は圧倒され、口をパクパクとさせることしかできなかった。
数万年の長きにわたり、絶対的な権力者として君臨してきた彼に、ここまで容赦なく「邪魔な通行人」として怒鳴り散らした人間は、アナスタシア世界の歴史上、俺が初めてであろう。
ジリリリリリリリリッ!!
その時、スーパー折原の開店を知らせるチャイムがけたたましく鳴り響いた。
「よし! 開店だ! 防護シャッター全開! お客様をお迎えしろ!」
「「「いらっしゃいませェェッ!!」」」
俺の号令と共にシャッターが上がり、外で待ちわびていたポポロ村の主婦たちや、遠征してきた客の群れが、怒濤の勢いで店内へと雪崩れ込んできた。
「うわァァッ!?」
床に座り込んでいたオリンは、突進してくる「特売の卵」を目当てにした主婦たちの波に完全に飲まれた。
「ちょっ、押さないでくれたまえ! 私は神だぞ! ああっ、私のオーダーメイドの純白スーツに泥靴の跡がァァッ!」
悲痛な叫びを上げる天界のトップは、特売ワゴンの波に揉まれ、まるで木の葉のようにスーパーの奥へと流されていく。
その光景を横目に、俺はエプロンの紐をキュッと締め直した。
「さあ、今日も戦いの始まりだ! 売上目標を達成するぞ!」
天界の絶対監査役(主神)の降臨という、世界を揺るがす大事件は。
一人の社畜店長の「品出しの邪魔」という極めて現実的なクレームによって、開始わずか三分で完全にスルーされ、熱狂の特売日の幕が無理やりこじ開けられたのであった。
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