EP 10
月明かりの寝顔と、天界に届くリボ払いの絶望
狂乱の『イモッカップラーメン』パーティーから数時間後。
スーパー折原の屋上は、先ほどのどんちゃん騒ぎが嘘のような、静かな寝息と寝言の合唱に包まれていた。
「むにゃむにゃ……SSR……私のSSR……次は絶対引くわ……」
ピンクの芋ジャージを着た天界のトップ・ルチアナが、空になったカップ麺の容器を大事そうに抱きしめながら、大の字になって爆睡している。
「世界は……我が魔王軍の……半額惣菜の前にひれ伏すのだ……すぅ……」
その隣では、魔王ラスティアがルチアナの腕を枕にして、ヨダレを垂らしながら完全に威厳ゼロの寝顔を晒していた。
「リーザたそ……アンコール……もう一本、ネギマ串を……」
「むにゃ……お肉……金貨……全部私のものですの……」
「地球の神様ぁ……お腹いっぱいですぅ……」
イグニスの巨大な背中をベッド代わりにして、リーザとルルナが丸まってスヤスヤと眠っている。
度数40の芋酒『イモッカ』の原酒と、ジャンクな炭水化物の暴力的なコンボ。
それは限界労働者たちの体力と理性を完全に刈り取り、彼らを深い深い眠りの底へと叩き落としていた。
「……やれやれ。見事なまでの全滅っぷりね」
月明かりの下、唯一まともに起きていた月兎族のキャルルが、呆れたようにため息をついた。
彼女はウサギ特有の代謝の良さでアルコールを早々に分解したのか、それとも村長としての無意識の責任感が彼女の理性を保たせたのか、一人だけスッキリとした顔をしている。
「ほら、風邪引くわよ。バカ神にバカ魔王」
キャルルは、バックヤードから持ってきた毛布を、無防備に寝転がるルチアナとラスティアの肩に優しく掛けてやった。イグニスたちの上にも、大きなブルーシートを布団代わりに被せていく。
「……わりぃな、キャルル。俺も、そろそろ限界みたいだ……」
木箱の背もたれに寄りかかっていた俺――折原晴也は、呂律の回らない口で呟いた。
イモッカップラーメンの破壊力は凄まじかった。腹の底から湧き上がるような満腹感と、脳を麻痺させるアルコールの多幸感。瞼が、鉛のように重い。
「店長も無理しないで寝なさい。今日は本当に、アンタが一番頑張ったんだから」
キャルルが、俺の隣にしゃがみ込み、ふわりと温かい毛布を掛けてくれた。
「それにしても……信じられない光景よね」
キャルルは、屋上に転がるバケモノたちの寝顔を見渡して、クスッと笑った。
「神様に魔王様に、最強の竜人に、深海の人魚。ちょっと前までは、出会えば殺し合いになってもおかしくないような連中が、同じスーパーの屋上で、同じ毛布にくるまってカップラーメンの匂いの中で寝てるんだもの。……全部、アンタが作り出した『日常』よ、店長」
「……俺は、何もしてねぇよ」
俺は、重い瞼を半分閉じながら、ボソボソと返した。
「ただ、時給を払って、レジ打ちをさせて、特売品を並べさせてるだけだ。……こいつらが勝手に、俺の店に居座ってるだけさ」
「ふふっ。そういうことにしておいてあげる」
キャルルは立ち上がると、夜空の満月に向かって両手を掲げた。
「さあ、明日の特売日に二日酔いで遅刻されたら困るからね。アタシからの、ほんの『お節介』よ」
キャルルのウサギの耳が淡く発光し、彼女の指先から、銀色のキラキラとした光の粒子が降り注いだ。
月兎族の秘術――『月光の浄化』。
その優しい光は、ルチアナたちの体を包み込み、体内に残留する凶悪なアルコール毒素を、ゆっくりと、しかし確実に分解していく。
スゥッ、と、苦しそうだったルチアナたちの寝息が、穏やかなものへと変わっていった。
「……サンキューな、村長」
俺は、その心地よい銀色の光を浴びながら、いよいよ意識が薄れていくのを感じていた。
(……前世の俺は、夜が来るのが怖かったな)
ふと、社畜時代の記憶が脳裏をよぎる。
深夜のワンオペ明け。ボロボロのアパートに帰り、短い眠りにつく瞬間。
目を覚ませば、また地獄のようなクレーム対応とサービス残業が待っている。『明日』が来るのが恐ろしくて、眠りたくないとさえ思っていた。
でも、今は違う。
明日もまた、ドタバタな特売日が待っている。
ポンコツな神が陳列を間違え、強欲なアイドルが小銭をごまかそうとし、魔王がモップをへし折るかもしれない。
それでも、俺は……あの騒がしくて愛おしい『明日』の店に立つのが、楽しみで仕方なかった。
「……やっぱり、平和が一番だな」
俺は、満月の光と秋の夜風に包まれながら、かつてないほどの穏やかな安心感と共に、深い眠りへと落ちていった。
スーパー折原の屋上で寄り添って眠る、ちっぽけで最強な限界労働者たち。
彼らのささやかな宴は、こうして静かに、最高の後味を残して幕を閉じたのである。
――しかし。
彼らがこの下界で『最高の平和』を貪っていたその頃。
遥か上空、雲を突き抜けた先にある『天界』の最高機関では、一人の男の胃袋が、物理的に崩壊の危機を迎えていたことを、俺たちはまだ知る由もなかった。
幕間:天界の胃薬と、迫り来る監査の足音
天界・中央行政塔、最上階の主神執務室。
純白の大理石で囲まれた無機質で広大なその部屋には、天井まで届きそうなほどの『決裁書類の山』がそびえ立っていた。
「……承認。却下。差し戻し。承認……」
部屋の中央にある巨大なクリスタルデスクで、一人の男が、死んだ魚のような目でハンコを押し続けている。
頭頂部が見事に輝くスキンヘッド。仕立ての良い純白のスーツ。彼こそが、このアナスタシア世界を管理する天界のトップにして、すべての神々を束ねる最高責任者――主神オリンであった。
「主神様。第7エリアの天候調整システムへの魔力供給、承認をお願いします」
「ああ、ここに置いておきなさい」
天使の部下が次々と持ってくる書類の束に、オリンの胃がキリキリと音を立てる。
(……おかしい。明らかに私の業務量が増えている。なぜだ? なぜ、本来ならエリア管理を担当しているはずの神々からの報告が、私のところにダイレクトに回ってくるのだ……?)
オリンは、こめかみを揉みながら、一つの疑惑にたどり着いていた。
「……おい、エリエル君」
オリンは、秘書の天使を呼び止めた。
「先日、視察という名目で下界へ降りたきり、まったく音沙汰のない『ルチアナ君』はどうなっている? 彼女の担当エリアの未処理タスクが、すべて私に回ってきているのだが」
「あ、はい……。ルチアナ様ですが、通信を繋ごうとしても『現在、スーパーのレジ打ちで手が離せません』という自動応答メッセージが返ってくるだけでして……」
「スーパーのレジ打ちだと? 天界のトップ層に名を連ねる女神が、なぜ下界の小売業で時給労働をしているのだ!?」
オリンが机をバンッと叩いた。
「そもそも、あの炎上神ワイズの不祥事(ヤラセ配信)の件もそうだ! ワイズのチャンネルをBANし、システムログを天界の監査局に送りつけてきたのはルチアナ君のアカウントだったが……その際の『システム接続経路』が異常すぎるのだ!」
オリンは、デスクの引き出しから一枚の『請求書(赤紙)』を取り出し、ワナワナと震える手でそれを持ち上げた。
「見ろ! これを!!」
そこには、『天界クレジットカード・ルチアナ様ご利用明細』という文字と共に、信じられない内訳が羅列されていた。
『・ソシャゲ「聖剣の騎士団」ガチャ天井費用:金貨9万枚』
『・動画配信サイトへのプレミアム会員費およびスパチャ代:金貨5千枚』
『・天界ファイアウォール強制突破(DDoS攻撃)に伴うサーバー修繕費:金貨5億枚』
『・ゴッドチューブのドローン回線ジャックに伴う違約金:金貨2億枚』
『合計リボ払い残高:【金貨7億9万5千枚(※利息含まず)】』
「な、なんだこの桁はァァァッ!! 国家予算か!? 彼女は下界で、一体どんなサイバーテロを起こしているのだッ!?」
オリンのつるつるの頭頂部に、青筋がピキピキと浮かび上がる。
「いくら彼女が優秀な女神だとはいえ、限度というものがある! 神界の経費でソシャゲに課金し、あろうことか天界のサーバーを物理的に破壊してドローンをハッキングするとは……ッ! 始末書どころの騒ぎではないぞ!!」
「お、落ち着いてください主神様! 胃に穴が空きます!」
「すでに空いているわァッ!!」
オリンは、デスクの引き出しから常備薬である『天使の胃薬(特濃)』を取り出し、水も飲まずにボリボリと噛み砕いた。
強烈な苦味が、彼の限界を迎えたストレスをわずかに中和する。
「……ハァ、ハァ……」
オリンは、荒い息を吐きながら、窓の外――遥か眼下に広がる下界の景色を睨み下ろした。
「……よかろう。ルチアナ君がそこまで職務を放棄し、天界の予算を食いつぶすというのなら……私にも考えがある」
オリンは、決裁用のハンコをデスクに叩きつけ、スーツのネクタイをギリッと締め直した。
「私が直々に下界へ降りる。……そして、彼女を堕落させたという元凶……『スーパー折原』とかいうふざけた店を、この手で直接『監査(業務改善命令)』してやる!!」
静かな月夜のポポロ村で、呑気にイモッカップラーメンを啜って爆睡している限界労働者たち。
彼らの愛する『矮小で平和な日常』に、今度は魔王でも偽勇者でもない――『天界の絶対的な監査役(最強のクレーマー)』という名の嵐が、ヒタヒタと足音を立てて接近しつつあった。
スーパー折原のドタバタな特売日は、まだまだ終わらない。




