EP 8
神と魔王の幸福論と、限界労働者の夜
「……ねぇ、店長ぉ。聞いてるぅ?」
スーパー折原の屋上。満月が真上に昇り、宴が最高潮(全員が完全に出来上がった状態)に達した頃。
俺――折原晴也の両肩には、天界と魔界の絶対的トップである二人の美女が、スライムのようにデロデロに溶けた状態で寄りかかっていた。
「……あー、聞いてる聞いてる。だから俺の肩に体重をかけるな。重い」
俺は、右肩に寄りかかるピンクの芋ジャージ姿のルチアナと、左肩に顔を埋める黒い甚平姿のラスティアを適当にあしらいながら、サケスキーの水割りをちびちびと啜っていた。
度数40の悪魔の芋酒『イモッカ』のハイボールをガブ飲みした二人は、すっかり出来上がり、完全に『管を巻く酔っ払いのOL』と化していた。
「だいたいねぇ! 天界のシステムって古すぎるのよ! 主神のオリン(ハゲ)なんて、いまだに決裁書類を紙とハンコで処理してんのよ!? 信じられる!? 下界の祈り(クレーム)を何万件も捌いて、世界の理を調整して……挙句の果てに予算は削減! あんなの、神の名を借りた超絶ブラック企業よ!」
ルチアナが、空のジョッキを振り回しながら日頃の愚痴をぶちまける。
「わかる、わかるわよルチアナ……」
ラスティアも、とろんとした赤い瞳で深く頷いた。
「魔界なんて、もっと最悪よ。ちょっとでも隙を見せたら、下克上を狙う血の気の多い魔将どもが反乱を起こすんだから。24時間365日、常に『絶対的な恐怖と威厳』を張り巡らせてなきゃいけない。……肩こりと胃痛で、魔王なのに寿命が縮む思いだったわ」
神と魔王。
この世界で最も強大で、最も自由に見える存在。
だが、その実態は、巨大すぎる組織のトップとして、果てしない責任とストレスに縛り付けられた『究極の社畜』であったのだ。
「……だからね」
ルチアナが、ふにゃりと笑って、俺のエプロンの紐を指で弄った。
「私、このスーパーの『アルバイト』が、本当に楽しくて仕方ないの。時給は安いし、お局はうるさいし、クレーマーには頭を下げなきゃいけないけど……」
「……仕事が終われば、ちゃんと『終わり』だものね。家に帰って、お風呂に入って、こうして美味しいお酒が飲める。……明日世界が滅ぼうが、それは私たちの責任じゃない。ただの『スーパーの店員』なんだから」
ラスティアが、愛おしそうに俺の左腕に頬を擦り寄せる。
「店長。アンタが私に『レジ打ち』っていう、矮小で、でも確実な『日常』を与えてくれたのよ。……だから、ありがとう。アンタの店で働くの、最高に幸せよ」
神と魔王が、酔った勢いとはいえ、満面の笑みでそんな『底辺の幸福論』を語りかけてくる。
「……お前らなぁ」
俺は、呆れたようにため息をついた。
世界の頂点に立つバケモノたちが、時給数百円のレジ打ちと、屋上での安い酒に「最高の幸せ」を見出している。端から見れば滑稽で、信じられない光景だろう。
だが、俺には痛いほど分かっていた。
前世の俺も、終わりの見えないサービス残業と、上司とクレーマーの板挟みで、心も体もすり減らすだけの『歯車』だった。あの頃の俺は、生きているのではなく、ただ『死んでいないだけ』だった。
異世界に来て、スーパーの店長になった。
相変わらず金はないし、魔物は襲ってくるし、従業員は規格外のポンコツばかりで毎日胃が痛い。
それでも。
「……まあ、悪くない商売だよな」
俺は、夜空の月を見上げて、ふっと笑った。
「自分で仕入れた野菜を、村のおばちゃんたちに売る。お前らみたいなバカどもと一緒に汗を流して、終わったらまかないを食って、酒を飲む。……世界を支配する野望も、歴史に名を残す名声もねぇけど、俺は、この『手の届く範囲のちっぽけな日常(店)』が、なんだかんだ一番気に入ってるんだよ」
俺の言葉に、ルチアナとラスティアが、嬉しそうに目を細めた。
「ガッハッハ! 全く同感だぜプロデューサー!」
いつの間にか、ドラム缶コンロの前で串を焼いていたイグニスも、サケスキーの瓶を片手に会話に混ざってきた。
「俺様も、昔は『最強の竜人』として世界中の強者と殺し合うことしか頭になかったが……今は、リーザたそのライブでサイリウムを振って、プロデューサーの作った唐揚げを食うのが、人生で一番楽しいぜェッ!」
「私もですの! 深海の底で一人ぼっちで沈没船の金貨を数えていた時より、みんなと一緒にレジの小銭を数えてる方が、ずっとずっと『宇宙一の幸せ』ですの!」
リーザが、ジンジャーエールのグラスを高く掲げる。
「ですね! 教会の祈りより、特売日のチラシ配りの方が、よっぽど人々の笑顔に繋がってる気がします!」
「アタシも、村長としてこんなに活気のあるポポロ村を見られて、毎日が楽しいわ!」
ルルナとキャルルも、満面の笑みで同意した。
力を持たない一般人も。力を持て余した神も魔王も。
ここ(スーパー折原)では、誰もがただの『平和な日常を愛する従業員』だ。
シリアスな死闘や、世界を揺るがす陰謀なんて、俺たちの人生には必要ない。ただ、美味しいご飯と、笑い合える仲間がいれば、それで十分なのだ。
「……よし。お前らの気持ちは痛いほど分かった」
俺は、両肩の美女たちを軽く引き剥がし、パンッ! と手を叩いて立ち上がった。
「エモい話はここまでだ! 腹の容量もアルコールも、完全に『シメ』を受け入れる準備が整ったな!」
「ウオォォォッ! 待ってましたァッ!」
全員の視線が、テーブルの真ん中に鎮座する、七つの『ワンカップラーメン』に釘付けになる。
「いよいよ、地球の神聖なる夜食の出番ね……! ゴクリ」
ルチアナが、生唾を飲み込む。
「ああ。深夜に食べるジャンクなスープと炭水化物。これこそが、明日を生きる労働者のための究極のガソリンだ。……よし、イグニス! お湯を沸かすぞ! やかんを持ってこい!」
俺が指示を出すと、イグニスがハッとした顔をして、ドラム缶コンロの方を振り返った。
「あっ……わりぃプロデューサー。さっき焼き鳥を全部焼き切ったところで、炭の火が完全に消えちまった。俺様のブレスも、酒を飲みすぎて魔力切れで出ねぇ……」
イグニスが、サケスキーの空き瓶を振ってヘラヘラと笑う。
「なっ!? お前、お湯が沸かせないってどういうことだ! カップラーメンはお湯がないとただの乾燥したヒモと粉だぞ!?」
俺は慌ててやかんに水を入れようとしたが、そもそも屋上に運んできた飲料水のピッチャーも、酒飲みの神と魔王がすべて飲み干してしまって、一滴も残っていなかった。
「うそでしょ!? ここまで焦らしておいて、おあずけなんて絶対に嫌よ! 店長、なんとかしなさいよ!」
「そうよ! 魔法でなんとか……って、私もルチアナも、酔っ払って魔力制御がガタガタだから、今魔法を使ったら屋上ごと吹き飛ぶわよ!」
ルチアナとラスティアが、ワンカップラーメンを抱きしめて駄々をこねる。
「くそっ……! 下の厨房まで降りてお湯を沸かしてくるか……?」
俺も、すでにサケスキーのアルコールがかなり回っており、思考がひどく鈍っていた。階段を上り下りするのすら面倒くさいという、泥酔者特有の極度のめんどくさがりが発動している。
その時。
俺の濁った視界の隅に、テーブルの上にドンッと置かれた、ある『液体』が飛び込んできた。
「…………あれ?」
俺は、その透明な液体が入った巨大なガラス瓶を見つめた。
ポポロ村の酒造所から特別に仕入れた、アルコール度数40の芋酒。
悪魔の酒、『イモッカ』の原酒である。
(水はない。火も少ししか残ってない。……でも、アルコールなら……燃える、よな?)
普段の俺なら、絶対にそんな馬鹿なことは考えない。アルコールを加熱すれば揮発して危険だし、そもそも酒をカップラーメンの『お湯』の代わりにするなど、狂気の沙汰だ。
だが、今の俺の脳は、激務からの解放感と、アルコールの酩酊によって、完全に『コンプライアンス(常識)』のタガが外れきっていた。
「……おい、お前ら」
俺は、イモッカの原酒の瓶をガシッと掴み上げ、ニヤリと……極めて邪悪で、そして知能指数の著しく低い笑みを浮かべた。
「水がないなら、酒でラーメンを作ればいいじゃないか」
「「「えっ?」」」
従業員たちが、ポカンと口を開ける。
「度数40だ。ドラム缶の残った余熱(熾火)の上にやかんを置いて、このイモッカを丸ごとドバドバと注ぎ込めば、アルコールの揮発力ですぐに沸騰するはずだ! それをそのまま、カップ麺に注ぐ!」
「て、店長!? それ、いくらなんでもヤバくない!? アルコール度数40のお湯(酒)でラーメンを作るなんて、聞いたことないわよ!?」
さすがのルチアナも、その暴挙に顔を引きつらせた。
「ガッハッハ! 面白ぇじゃねぇかプロデューサー! 芋焼酎の風味がする醤油ラーメン! 正真正銘、大人(限界労働者)だけの禁断の夜食ってわけだ!」
イグニスが、大ウケしてテーブルを叩く。
「いいわね……! 背徳感がマシマシで、魔王の血が騒ぐわ! やりなさい店長!」
ラスティアも完全に悪ノリモードに入った。
「よし! 決まりだ! 禁断の食『イモッカップラーメン』の調理を開始するぞォッ!!」
俺は、狂ったようなテンションでやかんにイモッカの原酒を全量ドボドボと注ぎ込み、かすかに熱の残るドラム缶コンロの上に叩きつけるように置いた。
月下の屋上で、酔っ払った限界労働者たちによる、絶対に真似してはいけない『最凶の夜食テロ』が、今まさに引き起こされようとしていた。




