EP 5
給料日の絶望と、秒で溶ける労働の結晶
「――よし。これで全員分だな」
狂気の『顔面パイ投げ特売日』から数日が経過した、月末のスーパー折原・バックヤード。
閉店後の静まり返った室内で、俺――折原晴也は、長机の上に並べた茶色い封筒を、従業員たちへと一つずつ手渡していた。
封筒の表には、『給料袋』という文字が黒々と書かれている。
「今月も一ヶ月、お疲れ様だった。特売の品出しから、レジ打ち、果ては偽勇者との命懸けの防衛戦まで……本当によくやってくれた。俺一人じゃ、この店はとっくに潰れていたよ」
俺は、限界労働者のような隈を作った目を細め、心からの感謝を込めて頭を下げた。
「ガッハッハ! 水臭いぜプロデューサー! 俺様は推しの近くで働けてるだけで、毎日がハッピーボーイだからなァッ!」
首にタオルを巻いた竜人イグニスが、給料袋を受け取って豪快に笑う。
「ふふん! 天界のトップであるこの私が、下界で時給労働をしてやったんだから感謝しなさいよね! あー、これでようやく新しいソシャゲに課金できるわー!」
ピンクの芋ジャージを着た女神ルチアナが、封筒の厚み(銅貨と銀貨)を指で確かめながら、だらしない笑みを浮かべる。
「魔王の私が、チマチマと野菜の鮮度管理をした甲斐があったわ。これで今月もリーザちゃんのグッズが買えるわね」
緑色エプロンを身につけた魔王ラスティアも、ホクホク顔で給料袋を懐にしまった。
「店長さん、私も教会の修繕費の足しにします! いつもありがとうございます!」
ルルナが深々と頭を下げる。
そして、リーザとキャルルもそれぞれの歩合と給料を受け取り、バックヤードは『労働の対価を手にした者たちの、月に一度の至福の時間』に包まれていた。
――のはずだった。
ピロリロリンッ!
静かな空気を切り裂くように、ルチアナのジャージのポケットから、甲高い電子音が鳴り響いた。
「ん? エンジェルすまーとふぉんの通知? 天界の決裁書類なら、後回しにするわよ……」
ルチアナが欠伸をしながらスマホの画面を開いた、その瞬間。
スッ……。
ルチアナの顔から、一切の表情と血の気が消え失せた。
「……え?」
彼女が握りしめたスマホの画面には、天界の最高財務機関(オリン・ハゲ主神直轄)からの、無慈悲なメッセージが表示されていた。
『【天界クレジットカード・お支払いのご案内】
ルチアナ様。今月のリボ払い(自動)のご利用残高および手数料の引き落とし日が到来いたしました。
先日の遠隔ハッキング時の通信費用および、ソシャゲの課金代金が加算され、今月のお支払い額は【銀貨200枚】となります。
なお、お客様の現在の口座残高が不足しているため、今月のアルバイト給与から全額を【強制天引き】させていただきます。ご利用ありがとうございました。』
シュゥゥゥゥッ……。
ルチアナの手元にあった茶色い給料袋から、チャリンチャリンと音を立てて硬貨が『天界のシステム』へと吸い込まれていき――一瞬にして、袋の中身が空っぽになった。
「あ……あ、ああ……」
ルチアナは、ペラペラになった茶封筒を両手で持ち上げ、震える声で呻いた。
「私の……私の一ヶ月分の、汗と涙のレジ打ち代が……。あの、クレーマーのおばちゃんに怒鳴られながら耐え抜いた、私の労働の結晶が……ッ!!」
「自業自得だろうが」
俺は冷たい目でルチアナを見下ろした。
「だから言っただろう。リボ払いは借金だ。ソシャゲのガチャに天井まで突っ込むからそうなるんだよ。計画的に使わないから、永遠に利息だけ払い続けるハメになるんだ」
「う、うるさいわね! 欲しいキャラがピックアップされてたら、回すのが神としての義務なのよ! あああぁぁっ、私の給料ぉぉぉッ!」
ルチアナが床に崩れ落ち、ペラペラの封筒を抱きしめて号泣し始めた。
その悲惨な光景を横目に、イグニスとラスティアは「俺たちはリボ払いなんかしないから安全だぜ」と笑い合っていた。
だが。
「ふふふ。皆様、お給料が入って懐が温かそうですわね……!」
バックヤードの奥から、悪魔のような、いや、それ以上に強欲な笑みを浮かべたリーザが、巨大なダンボール箱を抱えて現れた。
「な、なんだリーザたそ? その箱は」
イグニスが嫌な予感に顔を引きつらせる。
「ジャジャーン! 先日の特売日で大バズりした記念に作りましたの! 『リーザの顔面パイまみれ・激レアチェキ(ランダム封入・全五十種)』の新作グッズですのーッ!!」
リーザが箱を開けると、そこには、真っ白なクリームまみれになりながら様々な表情(恍惚、泣き顔、ドヤ顔など)を浮かべるリーザの写真(魔法写し絵)が、小袋に入れられて大量に詰まっていた。
「な、なんだとォォッ!?」
イグニスとラスティアの目の色が、一瞬にして『限界オタク』のそれに変わった。
「あの伝説の特売日のチェキ!? しかもクリームまみれ!? そんな神グッズが、なぜ今まで世に出なかったのよ!」
ラスティアが、バンバンと机を叩いて身を乗り出す。
「ふふん! もちろん、SSRには、私の『クリームつきの直筆サイン』が入っておりますの! ちなみに一回銀貨二枚! さあさあ、今なら箱買い(コンプリートセット)も可能ですのよ!」
リーザが、悪徳商人のような手つきで、小袋をシャラシャラと鳴らして誘惑する。
「う……うおおおおおっ……! SSRの直筆サイン入りパイまみれチェキ……! 欲しい! 喉から手が出るほど欲しいぜェッ!」
イグニスが、もらったばかりの給料袋を握りしめ、ワナワナと震え始めた。
「だ、ダメよイグニス! これは一ヶ月の生活費と……」
ラスティアが理性を保とうとするが、リーザがすかさず追撃をかける。
「あららー。お二人とも、私の『一番のファン』だと思っていたのに、残念ですのー。このSSRチェキ、もし売れ残ったら、他のファンの方に売っちゃおうかしら……」
チラッ、とリーザが流し目を送る。
ブチィッ!!
二人のオタクの脳内で、理性の糸が完璧に断ち切られる音がした。
「「全部(箱買い)よこせェェェェェェッッ!!!!」」
バサァッ!!
イグニスとラスティアは、先ほど受け取ったばかりの給料袋を、躊躇いもなくリーザの前に叩きつけた。
「まいどありですのーっ!!」
リーザは光の速さで給料袋を回収し、代わりにチェキの詰まったダンボール箱を二人に押し付けた。
「ガッハッハ! これで俺様も真のトップオタだぜェッ!」
「さあ、開封の儀よ! SSRよ出なさい!」
二人は狂ったようにチェキの袋を破り始めた。
しかし。
「……ん? ノーマル、ノーマル、ノーマル……おい、リーザたそ。これ、五十袋開けたのに、SSRが一つも入ってねぇぞ?」
イグニスが、顔を引きつらせて振り返る。
「え? もちろん確率(1%)ですので、箱買いで確定するとは一言も言ってませんのよ? 追加で回しますの?」
リーザが、無慈悲な強欲スマイルで言い放った。
「「…………」」
イグニスとラスティアの動きが、完全に停止した。
彼らの手元には、山のようなノーマルのチェキと、完全に空っぽになった給料袋だけが残されていた。
*
「…………俺たち、何のために働いてるんだろうな」
数分後。
バックヤードの床には、リボ払いで一文無しになった天界のトップ(ルチアナ)、ガチャの沼に沈んで給料を全損した魔界のトップ(ラスティア)、そして竜人の三人が、完全に死んだ魚の目をして並んで体育座りをしていた。
給料日という月に一度の祭りは、開始からわずか三分で、彼らに残酷な現実(無一文)を突きつけて終了したのだ。
「……自業自得よ、あんたたち」
キャルルが人参ジュースを啜りながら、哀れむような目で三人を見下ろしている。
「本当ですよ! お金は計画的に使わないとダメって、いつも店長さんが言ってるじゃないですか!」
ルルナも説教くさく口を尖らせた。
俺は、無言でバインダーの集計表を見つめていた。
売上は出ている。特売日のおかげで、店の利益は過去最高を記録した。
だが、そこから商品の仕入れ代、店舗の修繕費、魔導具の電気代、そして何より『ポポロ村の店舗物件の家賃』を差し引くと、俺の手元に残る『純利益』は、スズメの涙ほどしかなかった。
さらに、来月は冬物の在庫を大量に仕入れなければならない。
(……結局、回している額がデカくなっただけで、俺もこいつらと同じ『限界労働者』から抜け出せていないんじゃないのか?)
俺は、激しい胃痛を覚えながら、深く、深くため息をついた。
異世界に来て、神や魔王をこき使い、無敵の偽勇者をぶっ飛ばした。
それでも、毎月の支払いや家賃に追われる生活からは、どう足掻いても逃れられない。それが、資本主義という名の真のバケモノの恐ろしさなのだ。
「……あーあ。お腹空いたわねぇ……」
ルチアナが、ペラペラの給料袋を頭に乗せて力なく呟いた。
「今月の魔王城の仕送り、どうしよう……」
「俺様の明日の飯代が……」
絶望のオーラで淀みきったバックヤード。
このままでは、明日の特売のモチベーションにも関わる。店の売上(俺の生活)を守るためには、ここで従業員たちのメンタルをケアしてやらなければならない。
「……おい、お前ら。そんなしけた顔をするな」
俺はバインダーを置き、エプロンの紐を解きながら、わざとぶっきらぼうに言った。
「今日は給料日だ。それと同時に、リニューアルオープンと、偽勇者戦の打ち上げをやるって言っただろうが」
「……え?」
三人の限界労働者が、うつろな目を俺に向けた。
「俺の奢りだ。好きなだけ食って飲んでいい。サウナの電源も入れておいたから、ひと風呂浴びてこい」
俺の言葉に、死んでいた三人の目に、パッと光が戻った。
「て、店長ォォッ!?」
「プロデューサーァァッ!」
「信じてたわ! アンタがこの世界で一番の太っ腹だって!」
「うるさい、泣きつくな! オッサンの涙なんて見たくねぇ!」
俺は縋り付いてくるイグニスを蹴り飛ばし、ため息をついた。
「ほら、準備するぞ。会場は店の屋上だ。ルルナ、キャルル、リーザも手伝え」
「はいっ!」
「今夜は飲むわよー!」
従業員たちが、息を吹き返したようにワッと準備に動き出す。
給料日の絶望。労働者の悲哀。
そんなものは、美味い飯と酒で腹に流し込んで、明日からの労働力に変換するしかないのだ。
俺たちは、大量の食材と酒を抱え、秋風の吹き抜けるスーパー折原の屋上へと足を向けた。
月明かりの下、すべてを洗い流す最高の『宴』が、今まさに始まろうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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