EP 6
「故郷への手紙と、男たちの豚汁」
埃っぽい空き店舗に、心地よい夜風が吹き込んだはずだった。
『きゅるるるるるるぅぅぅぅぅぅぅぅっ』
突如現れた絶世の美女の腹の底から、ドラゴンが咆哮するような凄まじい腹の虫が鳴り響いた。
「……あら、はしたない音を聞かせてしまいましたわね」
長い黒髪をかき上げながら、美女は全く悪びれる様子もなく微笑んだ。
タローマン製の無骨なデニムのオーバーオール。首には白いタオルを巻き、その手にはなぜか真新しいノコギリが握られている。どう見てもガテン系の農業女子かDIYキャンパーの出で立ちだが、その顔立ちは恐ろしいほど整っており、隠しきれない高貴な色気が溢れ出していた。
「あ、あの……お客様、でしょうか?」
俺が店長スマイルで尋ねると、彼女は我が物顔で倉庫の中へと足を踏み入れた。
「私はスアイ。このポポロ山でDIYキャンプとスキー場開拓を楽しんでいる、ただの農業キャンパーですわ。さっき山から、信じられないほど美味しそうな極上ローストポークの香りがしたので下りてきたのだけど……どうやら一足遅かったみたいですわね」
スアイは、イグニスの足元に転がるバイソンの巨大な骨を見て、チッと舌打ちをした。
「……おいハルヤ。あの女、ただのキャンパーじゃねぇぞ」
イグニスが俺の耳元でヒソヒソと囁いた。
「尋常じゃねぇ冷気の魔力を纏ってやがる。たぶん、アバロン魔皇国の幹部クラス……下手すりゃ魔将軍だ」
そんなヤバい奴が、なんでポポロ村でノコギリ持ってキャンプしてるんだ。
だが、スーパーの店長にとって、相手の身分など関係ない。腹を空かせて来店したのなら、それは立派な『お客様』だ。
「申し訳ありません、お肉は先ほどこちらの彼(従業員)が平らげてしまいまして。ですが、開店準備の手伝いをしてくれたお礼に、これから『賄い飯』を作ろうと思っていたところです。よろしければ、スアイ様もご一緒にいかがですか?」
「あら、いいんですの? 世俗の煩わしさを捨ててスローライフを満喫しているとはいえ、他人の作った温かいご飯には目がありませんのよ。いただきますわ」
スアイは遠慮という概念をキャンプ場に置いてきたらしく、ドカッと木箱の上に腰掛けた。
「ハルヤ様! 賄い飯なら、さっきメロロン農家のおじさんを助けたポイントで引いた、この神の国の調味料が使えませんか!?」
ルルナが空中のガチャ画面から取り出したのは、地球のスーパーならどこにでも売っている『だし入り合わせ味噌』のパックと、粉末の『和風だしの素』だった。
「でかしたルルナ! ロックバイソンの端肉と、村の八百屋でもらった根菜がある。これなら極上の『豚汁』が作れるぞ」
俺は即席でレンガを組んだ竈に鍋を火にかけ、調理を開始した。
太陽芋(じゃがいものような芋)と、月見大根、そしてニンジンを乱切りにする。ロックバイソンの端肉をごま油で炒め、根菜を放り込んで水を注いだ。
だが、ここで問題が発生した。
「……ロックバイソンの肉も、この異世界の根菜も、繊維が強すぎて普通に煮込んだら柔らかくなるまで三時間はかかるな」
賄い飯にそんな時間はかけられない。腹を空かせた従業員(と厄介なクレーマー予備軍の美女)を待たせるのは三流の仕事だ。
俺は脳内のシステムを開き、手のひらに『半額シール』を生成した。
そして、煮え立ち始めた鍋の側面に、それをペタリと貼り付ける。
『半額』
「俺のスキルは、対象の『価値』や『概念』を半分に引き下げる。ならば、食材の『硬さ』と『煮込み時間』も半額(50%オフ)にできるはずだ!」
鍋の中から、シュワァァッという不思議な音が鳴った。
本来なら長時間煮込まなければ組織が崩れないはずの強靭な魔獣の肉と根菜が、シールの効果によって分子レベルの『結合力(硬さ)』を半減させられ、わずか数分でトロトロの飴色へと変化していく。
俺はそこに、ルルナの出した和風だしと合わせ味噌をたっぷりと溶き入れた。
――ふわり。
倉庫の中に、ごま油の香ばしさと、豚肉(バイソン肉)の強烈な旨味、そして味噌とだしのホッとするような甘い香りが爆発的に広がった。
「な、なんだこの匂いは……! さっきのローストポークとは違う、腹の底から直接鷲掴みにされるような暴力的な食欲をそそりやがる……!」
イグニスが両手でどんぶりを持ち、ガクガクと震えている。
「お待たせしました。スーパー折原特製、極上豚汁だ」
俺が三人のどんぶりにたっぷりと豚汁をよそって渡すと、倉庫の中は一瞬にして静寂に包まれた。
ズズッ、と汁をすする音だけが響く。
「……っ!? う、う、うめぇぇぇぇぇぇっ!!」
イグニスが咆哮した。
「なんだこのスープ! 味噌っていうのか!? 信じられねぇほど深いコクだ! しかもこのバイソンの肉、口に入れた瞬間に溶けやがったぞ! 根菜も中まで味が染み染みじゃねぇか!」
「美味しいです! 教会で食べる冷たいパンと薄いスープとは大違いです……!」
ルルナも、涙ぐみながら太陽芋をハフハフと頬張っている。
「……あぁ、これは反則ですわ」
スアイは目を閉じ、陶酔したように吐息を漏らした。
「DIYでかいた汗に、この塩分と出汁の旨味が細胞の隅々まで染み渡りますわ。……世俗を離れたはずなのに、こんな美味しいものを知ってしまったら、またここに来たくなってしまいますわね」
絶世の美女が、オーバーオール姿で豚汁をすする。異世界ならではのシュールで美しい光景だ。
鍋いっぱいに作った豚汁は、あっという間に三人の胃袋へと消えていった。
「いやぁ、食った食った! 『失敗の本質』によれば、兵站の軽視は軍の崩壊を招くからな! ハルヤ、お前の店は絶対に繁盛するぜ!」
イグニスが豪快に笑いながら、作業着のポケットから手拭いを取り出そうとした。
その時、ポケットから一枚の紙切れがポロリと床に落ちた。
「ん? イグニス、何か落ちたぞ」
俺が拾い上げると、それは村の郵便局に出す前の『封筒』と、中から顔を出した一枚の『写真(魔導絵葉書)』だった。
「あっ!? バカ、見るな!!」
イグニスが血相を変えて飛びついてきたが、俺はステップで軽く躱し、その絵葉書を見てしまった。
そこに写っていたのは、豪奢な王座にふんぞり返るイグニスと、その後ろにそびえ立つ『イグニスの純金の像』……の、ように見せた『雑な切り貼り(コラージュ)画像』だった。
ルナミス帝国の城の風景画の上に、ポーズを決めたイグニスの姿がハサミで切り抜かれて糊付けされ、純金の像に至っては黄色のクレヨンで手書きされている。
「……イグニス。お前、実家の親父とお袋に送るって言ってた『城が建った』って証拠の写真……これか?」
「…………あぁ、そうだ」
イグニスは地面にへたり込み、両手で顔を覆った。
「俺様は天才的な火力を持ってるはずなのに、街の冒険者パーティーじゃ『素材を燃やしすぎて売り物にならねぇ』ってクビにされちまってよ。でも、見栄張って村を出た手前、いまさら『日雇いやってます』なんて親に言えねぇだろ……! だから毎月、給料が出たらこうやって合成写真を作って送ってたんだよ……!」
大柄な竜人が、体育座りをしてボロボロと泣き始めた。
仕送りでカツカツのくせに、知識と見栄だけは一丁前。どうしようもなく不器用で、愛すべきバカだ。
「……ふふっ」
スアイが豚汁のどんぶりを置き、上品に笑った。
「見栄を張るのも男の甲斐性ですけれど、親御さんはそんな雑なコラージュ、とっくに気づいてますわよ? それでも何も言わないのは、あなたが元気で生きているだけで嬉しいからですわ」
「うぅっ……スアイ姉さん……!」
俺は絵葉書を封筒に戻し、イグニスに突きつけた。
「イグニス。明日から、うちのスーパーの『正規雇用(専属用心棒)』として働け」
「えっ?」
「俺たちの店は、これから世界一のスーパーになる。各国の王族や魔将軍だって、行列を作って買い物に来るような店にな。そうなれば、お前は世界一のスーパーを守る『本物の英雄』だ。その時、胸を張って本物の純金の像(木彫りの金箔張り)を実家に送ってやればいい」
イグニスは目を丸くして俺を見上げ、やがて顔をぐしゃぐしゃにして立ち上がった。
「……おう! やってやるぜ店長! 俺様の命、お前の店に預けた!!」
こうして、誇り高き(見栄っ張りの)竜人は、晴れてスーパー折原のオープニングスタッフとなったのだった。
翌朝。
ポポロ村の朝日を浴びながら、倉庫の入り口に真新しい『スーパー折原』の看板が掲げられた。
「よし、プレオープンだ。お客様を笑顔で迎えるぞ!」
「はい、店長!」
「おうよ!」
俺たちが意気揚々と扉を開け放った、その直後だった。
ドカァンッ! という乱暴な音と共に、店の入り口に数人の荒くれ者たちが土足で踏み込んできた。
揃いの黒い軍服。ルナミス帝国軍のワッペンをつけた、目つきの悪いならず者兵士たちだった。
「おいおい、こんな辺境に新しく店ができたって聞いて来てみりゃ……なんだこの小汚え何でも屋は。おう店長、みかじめ料(保護費)の支払い手続きは済んでるんだろうなァ!?」
オープン初日から、最悪のクレーマー(物理)のご来店である。
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