EP 5
「ポポロ村の狂った農作物と、スーパー折原の開店準備」
「ぎゃあああああ! 頼む、行かないでくれメロローンッ!!」
「あなた! 息子の顔を見て! 目を覚まして頂戴ッ!!」
のどかな田園風景が広がるはずの畑のど真ん中で、熟年夫婦が血を吐くような修羅場を繰り広げていた。
イグニスに案内されてポポロ村の中へと進んだ俺とルルナの目に飛び込んできたのは、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした農家のおじさんが、巨大な果実を愛おしそうに抱きしめて号泣している姿だった。
おじさんが抱いているのは、地球の夕張メロンを二回りほど大きくしたような網目模様の球体。だが、決定的に狂っている点がいくつかあった。
まず、そのメロンには女性の唇のような形の艶めかしいヘタがついており、それが「ぽよん、ぽよん」と果肉の弾力をアピールするように揺れている。さらに信じられないことに、その果実から、鼓膜を優しく撫でるような信じられないほど甘い『大人の女性の声』が聞こえてくるのだ。
『うふふ……ダメよ、あなた。私はただのメロンだもの。そんなに強く抱きしめられたら、果汁が溢れちゃうわ……♡』
「関係ねぇ! メロロン、俺は本気だ! 畑も、家も、女房も全部捨ててお前と駆け落ちするって決めたんだ!!」
「正気に戻りなさいよこのクソハゲぇぇぇ!!」
鍬を振り回して暴れる奥さんと、それを必死に羽交い締めにしている近所の農家たち。周囲には、嗅いだだけで脳がとろけそうになるほど濃厚で、甘ったるい桃色の香気が霧のように立ち込めていた。
「うわぁ……完熟のクイーンメロロンですね。よくないわ、本当にあの子は人生クラッシャーです……」
ルルナが、まるで歌舞伎町の闇深すぎるホストクラブの噂でもするような、底寒い目でその光景を見つめていた。
「ハルヤ、近づくなよ。あれは『メロロン』っていう魔性の果実だ。熟すと人間の思考力を奪うチャーム(魅了)花粉を撒き散らしやがる。自警団としても、毎年これで破滅する農家が後を絶たなくて頭が痛ぇんだドス……じゃなくて、痛いんだよ」
イグニスが巨体を震わせる。どうやら、自分の口癖である「ドス」が、アバロン魔皇国の土魔将軍ドスンと被るのを気にして必死に言い直しているらしい。インテリ脳筋の変なこだわりはどうでもいい。
「ハルヤ様、あのままだとおじさんの家庭が崩壊してしまいます! ガチャで何か……何か耳栓になるような神の国の防具を出せれば……!」
ルルナが血走った目で空中に手をかざそうとする。だが、今の彼女のポイント残高は、さっき紙コップを出したせいでほぼゼロのはずだ。
「待て、ルルナ。ガチャを回す必要はない。元スーパー惣菜部チーフ兼店長を舐めるなよ。青果コーナーのトラブルなら、俺の管轄だ」
俺はため息をつき、スーパーの制服の襟を正した。
ただのウリ科の植物が、人間の家庭を壊すなど言語道断。何より、売り物(食材)の分際でお客様を惑わすなど、食品衛生上も接客マナー的にも断固として認められない。
俺は脳内のシステムを開き、ゴブリン退治で残っていた売上ポイントを確認した。残り5p。基本の『半額シール』なら消費ポイントはゼロだ。
「お客様、大変申し訳ございませんが、当店では『賞味期限切れのワケアリ物件』の持ち込みはご遠慮いただいております!」
俺はクレーム対応ステップを始動した。桃色のチャーム花粉が渦巻く畑の中を、すり足で滑るように突き進む。おじさんが振り回す肘や、奥さんの鍬の軌道をミリ単位で躱し、一瞬でクイーンメロロンの背後――いや、ヘタの真横へと回り込んだ。
手のひらに現れた、黄色と赤の、いつものお馴染みのシール。
それを、ぽよんぽよんと揺れるメロロンの果肉へ、思い切り『ペタリ』と貼り付けた。
『 半額』
『――え? あら? やだ、なんか急に身体が重く……っていうか、私、何気取ってたのかしら……?』
瞬間、周囲に満ちていた桃色の甘い香気が、霧散するように一瞬で消え去った。
メロロンの艶めかしい女性の声が、まるで深夜のファミレスで愚痴をこぼす疲れたアラサー女性のようなトーンへと急激に暴落していく。網目模様の輝きは失われ、どこからどう見ても「スーパーの夕方の見切り品コーナーで、カゴの隅に転がっている売れ残りのメロン」にしか見えなくなった。
メロロンの持つ『魔性(チャーム効果)』という価値が、シールによって強制的に半分に値引きされたのだ。
「……あれ?」
メロロンを抱きしめていたおじさんが、急に我に返ったように瞬きをした。腕の中の果実を見つめ、それから背後に立つ般若のような顔をした奥さんを見る。
「俺……なんでこんな、ただのツルが枯れかけたメロンを抱いて泣いてたんだ……?」
「あなたぁぁぁぁっ!!」
「ぎゃああああ! 悪かった、悪かったから鍬を置いてくれトミコぉぉぉっ!!」
無事に(?)おじさんが正気に戻り、夫婦喧嘩という名の健全な家庭の営みが再開された。周囲の農家たちから「おお、チャームを破ったぞ!」「あの制服の男、何者だ!?」と歓声が上がる。
脳内に『チャリーン♪』という軽快な音が響き、『本日の売上(店長ポイント):30p』が加算された。どうやら、メロロンの魔性を値引きしたことで、相応の売上が発生したらしい。
「す、すごいですハルヤ様! 魔性の果実の呪いまで、あの紙切れ一枚で『特売品』にしてしまうなんて!」
「ハルヤ、お前マジで何者だよ……。『経済学』の概念すらねじ曲げてやがる。だが、今の処理は実に見事だったぜ」
ルルナとイグニスが呆気にとられながらも、俺を称賛してくれた。
「さて、人助け(クレーム処理)も終わったことだし、俺の城……じゃなくて、自警団の屯所の近くにある空き家へ行くぞ」
イグニスが再び先頭に立ち、村の細い路地を抜けていく。
辿り着いたのは、村の広場から少し外れた場所にある、木造の頑丈な古い倉庫だった。
長い間使われていなかったのか、扉には埃が積もり、中は薄暗い。だが、天井は高く、床もしっかりとした石造りだ。荷物を搬入するための大きな勝手口までついている。
「ここは元々、ドワーフの旅商人が物資を保管するために使ってた倉庫なんだが、あいつらが地下帝国に引きこもっちまってからは、ずっと空き家なんだ。村長に話せば、格安で貸してくれるはずだぜ」
「……完璧だ」
俺は埃っぽい倉庫の中を見渡し、思わず拳を握りしめた。
広いフロア。中央には島(催事コーナー)を作れるだけのスペースがあり、壁際には棚を並べるのに最適な直線が続いている。奥の小部屋は、バックヤード(在庫管理室)としてそのまま使えそうだ。
「よし、ここに作るぞ。異世界初の、年中無休・お客様第一主義の総合スーパーマーケットをな!」
「すーぱーまーけっと……! 響きだけで、なんだか神聖な神殿のように感じられます!」
ルルナが青い瞳を輝かせる。いや、ただの小売店なんだけどな。
「おいおい、開店準備ってことは、色々と力仕事が必要だな? 『国富論』によれば、資本の投下はまず確実な内需――つまり、店舗というインフラの整備からだ。俺様がその馬鹿力で、棚でも何でも運んでやるぜ!」
イグニスが笑いながら、倉庫の隅に転がっていたドワーフ製の巨大な鉄のラックを、片手で軽々と持ち上げた。さすが竜人族、重労働のバイトとしてはこれ以上ない最高の人材だ。
「助かる。じゃあイグニス、まずはその棚をあっちの壁際に一列に並べてくれ。ルルナは、ガチャのポイントが貯まったら、お店のPOPに使えるようなマジックペンとか、値札になりそうなものを狙って引いてみてくれ」
「はいっ! 徳を積むために、明日から村中のドブ掃除を片っ端から終わらせてきます!」
こうして、異世界の辺境の村で、一人の社畜店長による「スーパー開店計画」が静かに、しかし着実に動き始めた。
床を掃き、棚を磨き、看板の文字を考える。前の世界では本社の指示通りに動くだけだったが、自分の店をゼロから作り上げるというのは、信じられないほど胸が躍る作業だった。
作業が一段落し、夕闇が村を包み込む頃。
俺たちは倉庫の床に腰掛け、ルルナがガチャで出したチープな紙コップの水を分け合って飲んでいた。
「明日には看板を掲げられそうだな。店の名前は『スーパー折原』でいくか」
「素敵な名前です、ハルヤ様!」
「おう、俺様が自警団の権力を使って、村中に特売のチラシを配ってやるからな、ガッハッハ!」
三人で笑い合っていた、その穏やかな空気を切り裂くように。
トントン、と、倉庫の開け放たれた扉の枠を、静かに叩く音が響いた。
「あら、ずいぶんと楽しそうですわね。ここが、あのバイソンをローストポークに変えた、おかしな人間たちの拠点かしら?」
振り返った俺たちの目に飛び込んできたのは、長い黒髪を夜風に揺らし、タローマン製の無骨なオーバーオールを完璧に着こなした、恐ろしいほど色気のある絶世の美女の姿だった。
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