EP 4
「誇り高き竜人の底辺生活と、謎の回避ステップ」
こんがりと絶妙なキツネ色に焼き上がった、ロックバイソンの極上ローストポーク。
その巨体を前に、赤い鱗と強靭な筋肉を持つ大男が、滝のようにヨダレを流して立っていた。
「おい、この肉、俺様が食ってもいいか!? いや、食うぜ!!」
大男は背中に担いでいた巨大な両手斧を放り出すと、猛然とバイソンの肉塊に飛びついた。
素手で熱々の肉を引きちぎり、大きな口を開けてガツガツと貪り食う。顔中を肉汁と脂だらけにしながら、大男は感極まったようにボロボロと大粒の涙を流し始めた。
「うめぇぇぇぇッ! なんだこれ、外はカリッとしてて中は異常にジューシーじゃねぇか! ルナミス帝国軍の炊き出しで食わされた、廃棄寸前の『ゲロオムレツ』なんかとは天と地の差だぜ! 俺様、生きててよかった……ッ!」
「あ、あの、火傷しますよ……?」
ルルナがおずおずと声をかけるが、大男は聞く耳を持たず、わずか数分で大型犬十匹分ほどの肉を平らげてしまった。
ふう、と満足げな大きなゲップを吐き出すと、大男はドカッと地面にあぐらをかき、親指で己の胸をドンと叩いた。
「いやぁ、生き返ったぜ! 俺様はイグニス・ドラグーン! 誇り高き竜人族にして、人間の街で大活躍中の英雄だ! なんせ俺様の活躍のおかげで、街には俺様の城まで建ったからな! 来月には純金の像が建つ予定だぜ、ガッハッハ!」
イグニスは自信満々に豪語した。
だが、俺の店長としての冷徹な観察眼は、彼の実態を正確に捉えていた。
誇り高き竜人族と言うわりには、着ている服はあちこち擦り切れ、泥と汗が染み付いた土木作業着のようなボロ布だ。腕には『ポポロ村・自警団』という、どう見ても末端の非正規雇用を示す薄汚れた腕章が巻かれている。
「へえ、城が建つほどの英雄様ですか。すごいですね」
「おうよ! 実家の親父とお袋にも、毎月仕送りと一緒に『城でくつろぐ俺様』の絵葉書を送ってやってるからな!」
「でも、イグニスさん」
ルルナが、純粋無垢な、一点の曇りもない青い瞳で小首を傾げた。
「先日、ホームレス村の炊き出しの列で、一番後ろに並んで『豚汁の具、多めで頼む!』と泣きそうにお願いしているのをお見かけしましたが……?」
「ブロッ!?」
イグニスが、口の中に残っていた肉汁を盛大に噴き出した。
図星だった。完全に、痛いところを突かれた顔だ。
「ば、馬鹿野郎! あ、あれは『失敗の本質』や『ランチェスター戦略』という由緒正しき兵法書に基づき、底辺の局地的な情報を収集するための……いわゆる視察だ! 英雄ってのは現場の痛みが分からねぇとダメなんだよ!」
「そうだったんですね! 素晴らしい慈愛の精神です!」
「お、おう! 分かればいいんだよ!」
ルルナが拍手をして喜んでいるが、俺はすべてを悟った。
こいつは、実力とプライドだけは一丁前だが、世渡りが下手すぎて底辺に落ちたクチだ。そのくせ「実家にデカい嘘(城が建った等)」をついてしまったせいで、引っ込みがつかなくなり、絶対に故郷に帰れなくなっているのだろう。
スーパーのバイトにもたまにいる。「俺はビッグになる」と言って上京したバンドマンが、結局深夜のレジ打ちに落ち着いて、親には「メジャーデビュー間近だ」と嘘をつき続けている、あの悲哀に満ちたパターンである。
「まあいい。肉はまだあるから、残りは全部食っていいぞ。俺たち二人じゃどのみち多すぎるからな」
「……お、おおっ! 兄ちゃん、話が分かるじゃねぇか! マジで恩に着るぜ!」
残りの肉にもむしゃぶりつきながら、イグニスの俺を見る目が「ただの迷子」から「食い物の恩人」へと明確に変わった。
腹が満たされたのか、立ち上がって巨大な両手斧を軽々と肩に担いだイグニスは、ふと鋭い武人の瞳になって俺を見下ろした。
「兄ちゃん、名前は?」
「折原晴也だ。こっちはルルナ」
「ハルヤだな。さっきお前、このバイソンが突っ込んできた時、ギリギリで躱したよな。あのステップ、何だ? 魔法の類じゃなかったぜ」
「え? ああ、ただのクレーム対応の動きだ。土下座の勢いを横スライドに応用したというか……」
「クレーム? 土下座? よく分からねぇが、俺様の目から見ても、あれは極限の『見切り』だ」
イグニスは斧の柄でトン、と地面を叩いた。
「だが、体幹がブレてて素人丸出しだったぜ。さっきは運良く躱せたが、あんな『逃げ』の姿勢じゃ、次は足がもつれて死ぬぞ。お前、その奇妙な紙切れを、すれ違いざまに敵に貼らなきゃならねぇんだろう?」
「……まあ、そうだな」
「よし! 俺様は恩義に厚い英雄だからな、肉の恩は返すぜ。お前のその『土下座回避』を、実戦で通用する立派な『インファイト』に俺様が鍛え直してやる!」
こうして、俺の異世界での修行が唐突に始まった。
ポポロ村の門前の広場で、イグニスが手加減しながら大斧を振るう。
「おらっ! 腰が高い! 『ランチェスター戦略』によれば、局地戦における第一の法則は一点集中だ! 重心を地面の底に絞り込め!」
「ひぃぃっ! 大変申し訳ございませんお客様ァァァ!」
俺は悲鳴を上げながら、大斧の鋭い軌道をすんでのところで躱し続ける。
不思議なことに、イグニスの的確な(そしてたまにビジネス書を強引に引用する謎の)指導のおかげで、俺のステップは無駄な動きが削ぎ落とされていった。
「ただ逃げる」のではなく、「相手の踏み込みや目線から攻撃の軌道を予測し、紙切れを貼る隙を作る」ための、より攻撃的で実践的な回避術へと洗練されていくのが自分でも分かった。
「ハルヤ様、イグニス様、休憩にしましょう! お水が入りましたよー!」
小一時間ほど汗を流したところで、ルルナがパタパタと走ってきた。
その両手には、地球のオフィスや試食コーナーでよく見る、薄っぺらい『100円の白い紙コップ』が二つ握られていた。
「さっきおばあさんの荷物を持ったポイントで引いたら、これが出たんです! 神の国の『カミコッ・プ』という聖杯ですね!」
「……お前、その紙コップのせいでポイント無駄にしてないか?」
「いえ! これも立派な神の恵みです!」
嬉しそうに笑うルルナから紙コップを受け取り、俺とイグニスは冷たい湧き水を飲み干した。
なんだかんだ、妙な連帯感が生まれている。悪くないチームワークだ。
「よし、今日はこれくらいにしておくか。で、ハルヤ。お前ら、村に行く当てはあるのか?」
「いや、とりあえず安全な場所で休みたいのと、俺は……ここで商売を始めようかと思ってるんだ。『スーパー』っていう、何でも屋みたいな店をな」
「スーパー? なんだそりゃ。まあいい、空き家なら心当たりがある。俺様が案内してやるよ」
イグニスの案内で、俺たちはついにポポロ村の門をくぐった。
緩衝地帯にあり、様々な種族が入り乱れる活気ある村。これでようやく一息つける――そう思った矢先だった。
「ぎゃあああああ! 頼む、行かないでくれメロローンッ!!」
「あなた! 目を覚まして! それはただの果物よ!!」
村の畑の方から、農家のおじさんの悲痛な叫び声と奥さんの怒声。
そして、嗅いだことのないような、甘ったるくも危険な謎の果実の香りが風に乗って漂ってきたのだった。
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