EP 8
覚醒のインファイト・ステップと、不良在庫の真実
「死ねェェェッ! クソ店員!!」
偽勇者ゼロスが、怒りと殺意に顔を歪めながら、オリハルコンの剣を全力で振り下ろした。
課金スキル【マネー】によって神話級にまで跳ね上げられたステータスが、ただの素人の大振りを、空間そのものを断ち割るような絶死の一撃へと変貌させている。
剣圧だけで広場の空気が圧縮され、バチバチとプラズマが弾ける音が鼓膜を叩いた。
(ひぃぃぃぃぃぃッッ!! 絶対死ぬ! 今度こそ体が真っ二つにされるゥゥッ!!)
俺の心臓は早鐘のように打ち鳴らされ、全身から嫌な汗が滝のように噴き出した。
だが、恐怖で硬直しそうになる身体を、俺の『社畜の防衛本能』が無理やり突き動かした。
――理不尽なクレーマーの怒鳴り声や、投げつけられるレジ横の什器。
――ワンオペの深夜シフトで培われた、極限状態での状況判断能力。
相手の振り被るモーション、目線、そして肩の筋肉の動き。俺の目には、ゼロスのその剣筋が、まるでスローモーションのようにハッキリと見えていた。
「フッ……!」
俺は息を短く吐き出し、膝のバネを極限まで使って、剣が到達するコンマ数秒前に、ゼロスの懐(死角)へと滑り込むように身体を沈めた。
ズッッッゴォォォォォォォォンッッ!!!
俺の頭上わずか数ミリを通過したオリハルコンの剣が、背後の地面を深くえぐり取り、クレーターのような巨大な穴を穿った。爆風が土砂を巻き上げ、スーパーの防護シャッターを激しく打ち据える。
だが、俺の体は無傷だった。
完璧なまでの『神回避』。理不尽な暴力の嵐の中で、台風の目のような安全地帯――ゼロスの腕の内側へ、俺は入り込むことに成功したのだ。
「なっ……!? な、なんで……ッ!」
ゼロスが、信じられないものを見るように目を剥いた。
「なんで当たらねぇ!? 俺のステータスは、敏捷性も命中率もカンスト(限界突破)させてんだぞ! てめぇみたいな、ステータスの低いゴミ虫が避けられるはずがねぇッ!」
「……ステータスが高ければ当たる? 馬鹿か、お前は」
俺はゼロスの足元から立ち上がり、土埃をエプロンで払いながら、極寒の冷たい声で言い放った。
「お前の剣には、殺意の方向性が単純すぎるんだよ。ただ力任せに振り回すだけで、フェイントも、相手の動きを読む駆け引きも何もない。……深夜のコンビニで、酔っ払いが適当に傘を振り回しているのと大差ないな」
「て、てめぇ……! 俺の神話級の剣技を、ただの酔っ払い扱いする気かァァッ!」
ゼロスの顔が屈辱で真っ赤に染まる。
「うるせぇ! 当たるまで振り回してやる! 俺のスタミナは課金で無限大だァッ!」
ゼロスは半狂乱になりながら、オリハルコンの剣を縦横無尽に振り回し始めた。
嵐のような斬撃の連打。だが、俺はそのすべてを、わずかな体重移動とステップの踏み替えだけで、紙一重で回避し続けた。
(ひぃぃぃっ! 怖い! 怖い怖い怖いッ! 刃先がエプロンをかすったぞ! 帰りたい! 早く布団に入って寝たいィィッ!)
俺の内心は完全に悲鳴を上げ、涙目になっていた。
だが、俺の体は一切のブレを見せず、顔には極めて冷徹で余裕に満ちた『営業スマイル』が張り付いていた。長年の接客業で培われた、感情と表情の完全な分離である。
「ハァッ……ハァッ……! なぜだ! なんで当たらねぇんだよッ!!」
数百発もの斬撃を空振りし、ゼロスがついに動きを止めた。
課金で無限のスタミナを得ているとはいえ、まったく相手に触れることすらできない現実に、彼の精神が先に限界を迎えようとしていた。
「……プロデューサーさん……すごいですの……!」
背後で倒れていたリーザが、震える声で呟いた。
「俺様の推しのプロデューサーは……やっぱ、バケモノだぜ……ッ!」
イグニスもまた、血まみれの顔に尊敬の眼差しを浮かべて俺を見つめている。
(違う! 早く警察か騎士団を呼んでくれ! 俺のメンタルだって限界なんだよッ!)
俺の悲痛なSOSは、当然ながら誰にも届かない。
「……チッ、ちょこまかと小賢しい店員だ」
ゼロスは荒い息を吐きながら、俺から距離を取り、忌々しげに舌打ちをした。
「だがな、いくら避けようが意味はねぇ。てめぇの攻撃じゃ、俺のオリハルコンの鎧には傷一つ付けられねぇんだからな! 結局、時間が経てばてめぇの体力が尽きて終わるだけだ!」
ゼロスは腰の革袋を叩き、ジャラジャラと金貨の音を鳴らして嗤った。
「見ろよ、この圧倒的な力を! 泥臭い修行なんて無駄なことはしねぇ! 愛も勇気も、強さも名声も、この世界はすべて『課金(金)』で買えるんだよ! 金を払って最高のステータスを買い、弱者を踏み躙ってPVを稼ぐ! それが現代の正義だろうがッ!!」
金で買った力。PVこそが正義。
その薄っぺらで下劣な言葉が俺の耳に届いた瞬間。
俺の心の中で、極限まで張り詰めていた『恐怖』が――完全に、真っ黒な『怒り』へと上書きされた。
「……金で買った、正義だと?」
俺の声は、自分でも驚くほど低く、そして静かだった。
「なんだよ、文句あんのか?」
ゼロスが鼻で笑う。
「……ふざけるな」
俺は、震えていた両足をピタリと止め、ゼロスを真っ直ぐに睨み据えた。
「金で仕入れた商品を、お客様に届ける。それ自体は商売の基本だ。だがな……お前がやっているのは、中身の腐ったゴミを、綺麗なパッケージ(金ピカの鎧)で包装して、高値で売りつけているだけの詐欺(悪徳商法)だ」
俺は、社畜時代に叩き込まれた、小売業としての誇りと矜持を口にしていた。
「スーパーに並ぶ惣菜一つ、野菜一つにも、農家が泥まみれで育てた苦労や、仕入れ業者の努力、そして俺たち店員がお客様の笑顔を思い浮かべてパックに詰めた『誠意(価値)』が込められている。……お前のその剣には、そういう『芯』が一切ないんだよ」
俺の言葉に、ゼロスの顔から余裕の笑みが消え、苛立ちの色が浮かんだ。
「だから、どんなにステータス(値段)をバグらせようが、お前の剣はただの『数値の暴力』に過ぎない。俺みたいな底辺の店長の、命懸けのステップすら捉えられない、中身がスッカラカンの不良品なんだ」
「だ、黙れェッ!! 底辺の一般人が、偉そうに説教垂れてんじゃねぇぞォォッ!!」
痛いところを突かれたゼロスが、顔を真っ赤にして激高した。
「俺は勇者だ! 世界中が俺の配信を見て、俺にスパチャを投げている! 俺こそが選ばれた特別な存在なんだよ! 課金だ! もっと金貨をブチ込んで、てめぇを今度こそ肉片に変えてやる!!」
ジャラララララララララッ!!!!
ゼロスが狂ったように革袋を探り、持ち合わせている全財産の金貨を、スキル【マネー】に一気につぎ込んだ。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
広場の大地が割れ、ゼロスの全身から、神や魔王にも匹敵するような、異常で暴力的なオーラの奔流が吹き上がった。
オリハルコンの鎧が眩く発光し、剣の刃が限界を超えるエネルギーに耐えきれずに震えている。
「死ね!! 死ね死ね死ね死ねェェェェッ!!」
ゼロスが、狂気に満ちた声で咆哮する。
その圧倒的な威圧感。間違いなく、次の一撃は広場全体を消し飛ばすレベルの範囲攻撃だ。もう、回避など不可能。
だが。俺はもう、逃げるつもりなど微塵もなかった。
右手に握りしめた『廃棄処理』と『半額』のシールの束。それが、俺の唯一の武器だ。
「……金で塗り固めた偽装表示か」
俺は、暴風吹き荒れる中で、ゆっくりと、だが力強い足取りで、ゼロスの方へと歩み寄っていった。
「な、なんだ……!?」
ゼロスが、一瞬怯んだように後ずさる。
神話級のステータスを持っているのは自分のはずなのに。目の前で無防備に歩いてくる、ただのエプロン姿の男から放たれる『得体の知れない店長のプレッシャー』に、彼の中の小さな自尊心が悲鳴を上げていた。
「俺は、スーパー折原の店長だ」
俺は、冷や汗を流しながらも、極限まで洗練された営業スマイルを浮かべた。
「当店では、お客様を騙し、従業員を傷つけるような不良在庫は、市場に出回る前に、店長の権限で完全に『返品処理』することになっている」
俺の右手の中で、シールが黄金の光を放ち始めた。
「これより、悪質なパッケージ詐欺に対する、返品処理を開始する」
ビビりの社畜店長が、怒りと矜持を胸に、金でステータスを買った偽勇者のメッキを完全に剥がし切る。
反撃のシールを叩き込むための、最後の一歩を、俺は力強く踏み出した。
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