EP 7
金で買った神話級ステータスと、震える店長の防犯さすまた
「死ねェェェッ! クソ店員!!」
偽勇者ゼロスが厚底ブーツで焼け焦げた地面を蹴り飛ばし、音速を超える踏み込みで俺の眼前に迫った。
振り下ろされるオリハルコンの剣。その軌道には、空気との摩擦で生じたプラズマの閃光すら纏わされている。
剣術の素養など微塵もない、ただ力任せに振り回しただけの大振り。だが、課金スキル【マネー】によって神話級にまで跳ね上げられた暴力的なステータスは、その素人の一撃を『絶対に回避不可能な必殺技』へと昇華させていた。
(ひぃぃぃぃぃぃッッ!! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬッ!!)
俺の脳内で、危険を知らせる警報がけたたましく鳴り響いた。
体が真っ二つにされるビジョンがフラッシュバックする。恐怖で全身の血の気が引き、視界が真っ白に染まりかけた。
だが、俺の体は、脳の絶望を置き去りにして、勝手に動いていた。
シュッ……!
俺は姿勢を極限まで低くし、スライディングをするように地面を転がった。
「――チッ!」
ゼロスの剣が空を切り、凄まじい衝撃波が後方の瓦礫の山を粉微塵に吹き飛ばす。
俺が握りしめていたドワーフ製の特注『防犯用さすまた』の先端が、剣の風圧に巻き込まれただけで、まるで豆腐のようにスッパリと切断されていた。
(あ、危ねぇぇぇッ!! 深夜の酔っ払い客が投げつけてきたレジ横の什器を避ける要領で、無意識に『神回避(クレーム対応ステップ)』が出ちまった!)
俺は地面を転がりながら、心臓が口から飛び出しそうなほどの動悸に襲われていた。
奇跡的に即死は免れた。だが、頼みの綱のリーチ兵器はただの短い棒切れと化し、俺は完全に丸腰になってしまった。
「……ほう。ただのゴミ虫かと思えば、意外と素早いじゃねぇか。逃げ足だけは一丁前らしいな」
ゼロスが、忌々しげに舌打ちをして振り返る。
「店長ォォォッ!!」
「プロデューサーさんッ!!」
キャルルとリーザが悲鳴を上げた。
「てめぇ……! スーパーの店長になんて真似しやがるッ!」
吹き飛ばされていたイグニスが、血まみれの顔を怒りに歪ませ、再び立ち上がった。
「俺様の推しを庇い、俺たちにメシを食わせてくれる最高の雇い主だぞ! その命を奪おうとした罪……万死に値するぜェェッ!!」
ゴアァァァァッ!!
イグニスの全身から、これまでで最大級の紅蓮の闘気が噴き上がる。竜人の誇りと怒りを限界まで圧縮した、真の全力攻撃。
「アタシも行くわ! 月影流・破衝撃ッ!!」
キャルルもまた、ウサギの耳をピンと立て、目にも留まらぬ速度でゼロスの死角へと回り込んだ。
右から、イグニスの全闘気を込めた大斧『イグニス・ブレイク』が。
左から、キャルルの鎧ごと粉砕する必殺のトンファーが。
二人の歴戦の戦士による、完璧なタイミングでの挟撃が、無防備なゼロスの両脇腹に迫る。
「やれ! イグニス、キャルル!」
俺が叫んだ、その直後だった。
「――ふん。無駄な努力だ」
ゼロスは、迫りくる二人の必殺技を見ようともせず、鼻で嗤った。
そして、腰の革袋に手を当てると、その中からジャラジャラという大量の金貨の音が鳴り響き――瞬く間に光となって消滅した。
ガァァァァァァァァンッッ!!!!
広場に、耳をつんざくような激しい金属音が轟いた。
「なっ……!?」
「うそ、でしょ……っ!?」
イグニスとキャルルの絶望の声が重なる。
二人の渾身の一撃は、ゼロスのオリハルコンの鎧に直撃した……にもかかわらず、その表面に傷一つ、いや、チリほどの傷跡すら残すことができなかったのだ。
それどころか。
「ぐわぁぁぁッ!?」
「きゃああっ!」
鎧の表面に展開された目に見えない『物理反射の絶対障壁』によって、イグニスとキャルルは自身の放った攻撃の威力をそのまま跳ね返され、再び数十メートルも後方へと弾き飛ばされてしまった。
二人は地面を激しく転がり、そのままピクリとも動かなくなってしまった。
「キャルル先輩! イグニスさんッ!」
リーザが悲鳴を上げ、二人へと駆け寄ろうとする。
「動くな、小娘。次の一歩を踏み出せば、その細い脚を切り落とすぞ」
ゼロスが、血の滴るような冷酷な声でリーザを制止した。
「……ひぃっ……!」
俺は地面に這いつくばったまま、ガチガチと歯の根を鳴らしていた。
なんだあれは。いくらオリハルコンが硬いとはいえ、あんな芸当ができるはずがない。
「驚いたか? 底辺の一般人ども」
ゼロスは、厚底ブーツの踵をカツン、カツンと鳴らしながら、俺とリーザの方へとゆっくりと歩み寄ってきた。
「血のにじむような努力? 仲間との絆? 決死の覚悟? ――くだらねぇ。そんなものは、弱者の言い訳に過ぎない。この世界はな、最終的には『金』を持ってる奴が勝つようにできてんだよ」
ゼロスは、輝くオリハルコンの鎧をコンコンと指で叩いた。
「俺のユニークスキル【マネー】は、システムに『課金』することで、あらゆるステータスと特殊効果をこの身に付与できる。さっきのトカゲとウサギの攻撃を弾いたのは、金貨一万枚を消費して発動させた『自動防御』と『ダメージ完全反射』のパッシブスキルだ。俺がただ突っ立っているだけで、てめぇらの攻撃はすべて無効化され、勝手に自滅していくってわけだ」
「……金で買った、ハリボテの強さですのね」
リーザが、恐怖に震えながらも、毅然とした態度でゼロスを睨みつけた。
「そんな偽物の力で、私の大事なファンや従業員の人たちを傷つけるなんて……あなた、本当に最低ですの」
「偽物だろうがなんだろうが、結果的に『強い』ならそれが本物(正義)なんだよ!」
ゼロスが顔を歪めて怒鳴る。
「俺はこの圧倒的な力で魔物を狩り、カメラの前で薄っぺらい正義を語るだけで、世界中から莫大な富と名声を掻き集めることができる! PVこそが全てだ! 人が死のうが、村が燃えようが、最後に俺が美味しいところを持っていけば、それが『愛と感動の物語』として消費されるんだよ!」
ゼロスは剣の切っ先を、地面に倒れ伏している俺の鼻先に突きつけた。
「てめぇらスーパーの連中には、このままここで魔物に食われて死んでもらう。その後で俺が、悲劇のヒロイン(リーザ)だけを救い出し、悲しみに暮れる彼女を抱きしめる……。カメラの画角は崩れちまったが、事後報告の悲恋モノとして編集すりゃ、まだまだ同情票(金)は稼げるからな」
「……くそっ……」
俺の口から、無力な呻き声が漏れた。
悔しい。ふざけるな。
毎日一生懸命働いて、時には理不尽なクレーマーに頭を下げて、それでも少しでもお客様に喜んでもらおうと、一円の利益を積み重ねてきた俺たちの『商売(日常)』を。
こんな、他人の命と金をオモチャにするような薄汚い詐欺師のヤラセのために、理不尽に奪われてたまるか。
だが、現実の俺の肉体は、恐怖で完全に硬直していた。
足は動かない。手には折れたさすまたの柄しかない。
圧倒的な暴力と、金で買われた絶対的なステータスを前に、ただの小売業の店長である俺に、一体何ができるというのか。
(俺には……戦闘力がない。魔法も使えない。ただの、ビビりの一般人だ……!)
「さあ、死ね。まずは口の減らないその腐った店長からだ」
ゼロスが、無慈悲にオリハルコンの剣を振り上げた。
「ダメぇぇぇっ!! プロデューサーさんから離れてェッ!!」
その時。
純白のフリルドレスを着たリーザが、自分の細い身体を盾にするように、俺とゼロスの間に飛び込んできた。
「リーザ……っ! バカ、逃げろ!」
「逃げませんの! プロデューサーさんは、私を『アイドル』として認めてくれた、たった一人の大切な人ですの! だから……私は、絶対にプロデューサーさんを守りますの!」
リーザは両手を広げ、震える声で叫んだ。
その瞳からは大粒の涙がこぼれていたが、俺を庇う背中には、一歩も退かない強い覚悟があった。
「チッ……。健気なこって。だが、俺のシナリオに『身を挺して店長を庇うヒロイン』なんて邪魔な設定は必要ねぇんだよ。……その綺麗な脚、まずは一本切り落として動けなくしてやる」
ゼロスが舌打ちをし、剣の軌道をリーザの脚へと向けた。
スローモーションのように、白刃が振り下ろされていく。
このままでは、リーザが斬られる。
俺の店の、一番大切な看板娘が、こんな不良品の手によって傷つけられる。
(――――ふざけるな)
俺の脳の奥底で、何かが『プツン』と弾ける音がした。
死の恐怖? 圧倒的なステータス差?
そんなものは、どうでもいい。
俺の目の前で、俺の店の従業員を、俺の商品を、不当に傷つけようとする『最悪のクレーマー』がいる。
それを見過ごして、何が店長だ。
俺の武器は剣でも魔法でもない。俺の武器は――『小売業の矜持』と、この手の中にある『シールの束』だけだ。
「……そこを、どけ。リーザ」
俺は、ガチガチと震える足に、気合いと怒りという名の接着剤を流し込んで、無理やり立ち上がった。
「プ、プロデューサーさん……?」
リーザが、背後で立ち上がった俺を見上げて、驚きの声を漏らす。
「下がるんだ、リーザ。……従業員を矢面に立たせて、裏に引っ込んでいるような店長は、スーパー折原にはいらない」
俺はエプロンのポケットから、クシャクシャになった『廃棄処理』と『半額』のシールを指の間に挟み込んだ。
ゼロスの圧倒的なステータスは、所詮『課金(金)』で底上げされた虚構の数字だ。
それはつまり、彼の強さは『物理法則』ではなく、『価値という概念』に依存しているということ。
ならば、対象の『物理的・概念的価値』を強制的に書き換える俺のユニークスキル【半額シール】こそが、あいつの無敵のステータスに対する、この世で唯一の『特効薬』となるはずだ。
「なんだてめぇ。まだ立ち上がる気力があったか。震えてるぜ、その貧弱な足」
ゼロスが、俺を嘲笑うように剣を止めた。
「……ああ、怖いさ。俺はただのビビりな店長だからな」
俺は冷や汗を拭い、ひきつった顔で、最高に冷徹な営業スマイルを作った。
「だがな、偽勇者。お前のような『金で塗り固めた偽装表示』の不良品は、どう見ても価格設定が間違っている。……俺が今から、お前のその無駄に高い価値を、適正価格まで値引き(マークダウン)してやるよ」
「……はっ! 狂ったか、底辺が!」
ゼロスが怒りに顔を歪め、俺の首を刎ねるべく、再びオリハルコンの剣を全力で振り下ろしてきた。
逃げ場はない。
だが、避けるつもりもなかった。
恐怖で震える体を奮い立たせ、俺は『社畜の神回避』の構えを取った。
――次の一手で、この偽りのパッケージのメッキを、完全にひっぺがしてやる。




