EP 9
ガチギレ捜索隊の強襲と、大トロによる洗脳
「キュッ、キュッ、キュッ……。ダメね、これじゃあ全然ダメ。リーザちゃんの神聖なステージ(みかん箱)に、指紋一つ、ホコリ一粒でも残っているなんて、トップオタとして絶対に許されないわ!」
スーパー折原の店舗前。
かつて世界を恐怖に陥れたアバロン魔皇国の魔王ラスティアが、指定の緑色エプロンを身につけ、手にしたモップに『究極の闇魔法』を纏わせながら、狂気的なまでの情熱で木箱を磨き上げていた。
「あー、そこそこ。あんまり削りすぎると箱が壊れるからねー」
店舗のバックヤードでは、ピンクの芋ジャージ姿の女神ルチアナが、パイプ椅子でふんぞり返りながら、ポポロシガーをふかしつつ地球の少女漫画を読み耽っている。
「くぅ〜っ、このヒーロー、なんでここでヒロインを突き放すのよ! もどかしいわね! ねえ店長、イモッカのおかわりちょうだい!」
「ふざけるな、勤務中だぞ。それにタバコの灰を床に落とすなと言っているだろうが」
俺はバインダー片手に在庫のチェックをしながら、すっかりスーパーの裏方に馴染みきった世界の頂点たちに呆れ果てていた。
彼女たちがポポロ村のスーパー折原に滞在(入り浸り)し始めてから、すでに数日が経過している。
神と魔王が時給銅貨二枚のアルバイトとして清掃と品出しをこなすこの異常な光景にも、俺たちの感覚は完全に麻痺しつつあった。
「……ねえ店長。いくらなんでも、そろそろヤバくない?」
レジ横でキャルルが、ウサギの耳を不安げに揺らしながら囁いた。
「天界のトップと魔界のトップが、何日も行方不明なのよ? 絶対に探しに来る連中がいるはずよ。もし見つかったら、アタシたち『神と魔王を洗脳して時給二百円でこき使ってる大罪人』として、消し炭にされるんじゃないの……?」
「バカなことを言うな。俺たちは正当な労働契約を結んで、彼女たちに福利厚生を提供しているだけだ。どこにもやましいことなど……」
俺が胸を張って答えようとした、まさにその時だった。
ドッッッゴォォォォォォンッ!!!!
突如として、ポポロ村の上空に雷鳴が轟き、スーパーの自動ドアが吹き飛ぶかと思うほどの凄まじい衝撃波が店舗を揺らした。
「ひぃぃぃッ!?」
俺の口から、情けない悲鳴が漏れる。
「な、なんだ!? 敵襲か!?」
警備担当のイグニスが大斧を構えて店先に飛び出す。
そこに立っていたのは、ただならぬ殺気と怒りを全身から立ち昇らせる、二つの巨大な軍勢だった。
右側には、黄金の翼を広げ、神聖な槍『グラニ』を構えた美しき天使族の長、ヴァルキュリア。
左側には、燃え盛る炎の剣を構え、部下の悪魔たちを引き連れたアバロン魔皇国の炎魔将軍、グレン。
「おのれェェッ! 忌まわしき下等生物どもめ! 我らが主をたぶらかし、このような辺境の小屋に幽閉するとは万死に値する!」
ヴァルキュリアが、血走った目で店内を睨み据え、怒りの絶叫を上げた。
「我が天界は、ルチアナ様が数日間も不在になられたせいで、決裁の書類が山のように積まれ、業務が完全にストップしているのです! 今すぐルチアナ様をお返しなさい!」
「魔王軍も同じだ!」グレンが炎の剣を地面に突き立てて咆哮する。「俺は静かに事務仕事がしたいのに、魔王様が失踪したせいで連日残業での捜索任務だ! ぜんぜん自分の時間が取れねぇんだよッ!」
ガチギレした天界と魔界の捜索隊(残業で疲労困憊のエリートたち)が、ついにスーパー折原へと突入してきたのである。
「ル、ルチアナ様ッ! ラスティア様! 今、お助けいたします!」
ヴァルキュリアとグレンが店内に踏み込み――そして、その場でピタリと石のように固まった。
「あ、そこ拭いたばっかりだから土足で踏まないでくれる? リーザちゃんのステージが汚れるでしょ」
魔王ラスティアが、緑色のエプロン姿で、額の汗を拭いながらモップを突きつけてきた。
「えっ……? ま、魔王、様……? なぜ、そのようなみすぼらしい布を被って、掃除婦の真似事を……?」
グレンが、信じられないものを見るように目を剥いた。
「あら、ヴァルキュリアじゃない。お疲れー」
バックヤードから、ピンクの芋ジャージ姿でポポロシガーをふかす女神ルチアナが、片手に漫画本を持ったままのんきに顔を出した。
「ル、ルチアナ様ァァッ!? そ、その服は一体!? なぜ神聖なる御姿を捨て、そのような堕落した休日のオッサンのような格好をされているのですか!?」
ヴァルキュリアが、あまりのショックで聖槍を取り落としそうになる。
「なによ、うるさいわね。私は今、ここで有意義な推し活ライフを送ってるのよ。書類仕事なんてオリンのハゲにでもやらせておきなさい。……それよりあんたたち、アイドルの現場に手ぶらで来たわけ? 最低でもグッズの一つや二つ、買っていくのが礼儀でしょ」
ルチアナがチュッパチャプスを舐めながら、完全に『厄介な古参オタク』の顔で言い放つ。
「あ、悪魔の洗脳だ……ッ!!」
ヴァルキュリアの瞳から、ボロボロと絶望の涙がこぼれ落ちた。
「あの規律と慈愛に満ちていたルチアナ様が、これほどまでに堕落し、完全に自我を失っているなんて! 許しません……! 我が主の尊厳を奪ったこの邪悪な館ごと、神の雷で消し炭にして差し上げますッ!!」
「俺も手伝うぞ天使! この怒り、炎魔の剣で焼き尽くしてやる!」
ブォォォォォッ!!
ヴァルキュリアの槍に一億ボルトの紫電が収束し、グレンの剣に数千度の紅蓮の炎が巻き起こる。
スーパー折原が、文字通り消滅する一秒前。
「ひ、ひぃぃぃぃぃッッ!!!」
俺はレジの奥で、頭を抱えて悲鳴を上げた。
(やめろォォッ! そんな極大魔法を店内でぶっ放されたら、ガラスも棚も全部吹き飛ぶ! 保険が下りるかどうかも分からないんだぞ! 今月の俺の給料が完全にゼロになるゥゥッ!)
恐怖で膝の震えが止まらない。だが、俺は社畜の矜持(赤字への恐怖)だけで無理やり立ち上がり、鮮魚コーナーの冷蔵ケースから『ある物』を引っ張り出した。
それは、今朝がた水産組合(元・海兵)が獲ってきたばかりの、脂がたっぷりと乗った『マグローザの大トロ』の極厚刺身パックだった。
俺は震える手で、そのパックに『試食品(無料)』と『目玉商品(超絶美味)』のシールを重ねて貼り付けた。
そして、雷と炎を放とうとしている二人のバケモノの眼前に、決死のインファイト・ステップで滑り込んだ。
「お、お客様ァァッ!! 当店での暴力行為はご遠慮くださいィィッ!! どうぞ、こちらの『本日の無料・ご試食コーナー』をお楽しみいただいて、お怒りをお鎮めくださいませッ!」
俺は半泣きになりながら、二人の口元に、醤油草のタレをたっぷりとつけた大トロの刺身を、文字通り『ねじ込んだ』。
「むぐっ!? なにをする下等生物! 天使である私が、このような下界の脂っこい生肉など――」
ヴァルキュリアが吐き出そうとした、次の瞬間。
「…………え?」
彼女の全身に、雷が落ちたような衝撃が走った。
舌の上に乗った瞬間、マグローザの濃厚な脂が体温でトロリと溶け出し、醤油草の深い旨味と絡み合って、脳の報酬系を直接ハンマーで殴りつけてきたのだ。
「な、なんですかこれ……ッ!?」
ヴァルキュリアが、持っていた聖槍をカランと落とした。
「口の中で、溶けた……!? 天界で毎日食べさせられていた、あの歯が折れるほど硬い『ホーリー・ブリック(聖なるレンガ黒パン)』や、吐き気を催すほどの苦さの『緑の絶望(青汁)』とは、次元が違う……! これが、これが『食の喜び』……っ!」
規律と栄養素にのみ囚われていた天使長の脳内が、究極の脂(旨味)によって完全に破壊された瞬間だった。
「う、美味ェェェェッ!?」
隣で大トロを咀嚼したグレンも、炎の剣を放り投げて涙を流していた。
「なんだこの美味さは! 魔王城の冷え切ったデスクで食うパサパサの携帯食料と違って、全身の細胞が喜んでやがる! 残業の疲れが、一瞬で吹き飛びやがった!」
俺の『目玉商品』のシールによる強制的な価値バフと、神界の劣悪な食環境(修行僧レベル)のギャップが、エリートたちの理性を一撃で粉砕したのだ。
「もっと! もっとありませんの!?」
「金ならいくらでも払う! 一パック売ってくれ!」
ヴァルキュリアとグレンが、血走った目で俺にすがりついてくる。
「ふ、ふふふ。お客様……。もちろん在庫はございますが、当店の大トロは高級品。金貨三枚となっております」
俺は汗だくになりながら、営業スマイルを浮かべた。
「ですが、いま当店で『アルバイト』としてご契約いただければ、なんとこの大トロ丼が『まかない』として無料で食べられますよ? サウナも利用可能です」
「「は、働きますゥゥッ!!」」
天界と魔界の精鋭捜索隊が、スーパーの床に這いつくばって完全降伏(雇用契約を締結)した。
その背後で、バックヤードからフリルドレスを着たリーザが顔を出す。
「わぁっ! また新規の太客さんがいっぱいいらっしゃいましたの! みなさん、私がいーっぱい歌って、皆さんの遠征資金を全部むしり取ってあげますのーっ!」
*
数時間後。
スーパー折原の特設ステージの前では、この世のものとは思えない狂宴が繰り広げられていた。
「L・I・Z・A! リーザァァァッ!!」
「天使の舞を見よォォッ!」
「炎魔のオタ芸を喰らいやがれェェッ!」
最前列のイグニスの両脇で、天使長のヴァルキュリアと、炎魔将軍のグレンが、両手にサイリウムを握りしめ、異常なまでのキレと魔力を伴った『オタ芸』を狂ったように打ち続けていた。
彼らの財布(捜索隊の遠征予算)は、すでにリーザへのスパチャとして完全に空っぽになっていた。
「……終わったわね。天界も魔界も」
キャルルが人参ジュースを啜りながら、遠い目をしている。
「ああ。だが、当店の売上は過去最高を更新し続けている。客が神だろうが悪魔だろうが、財布の紐を緩ませた者の勝ちだ」
俺はズキズキと痛む胃をさすりながら、特売シールによる『究極のおもてなし(洗脳)』が成功したことに、社畜としての安堵の息を吐き出していた。
ポポロ村のスーパー折原は、今日も狂気と熱狂の渦の中で、平和に(?)売上を伸ばし続けているのだった。
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